残された感情
自殺の名スポットといわれる岬があった。誰の目にもつかないでひっそりと死ねるのが人気の理由だった。
今日もまた、男が岬に来た。名前は神崎といった。
「お父さん、お母さん、今までありがとう」
神崎は岬から海へ身を投げた。
——死に損なったのか。だが、海で溺死した記憶がある。そのはずなのに、なぜか今自分は生きている。
神崎は体を起こし、周囲を見渡した。白い壁が見えた。そして、白い手も見えた。
「ん?」
白い手、白い足、白い体。なにより、体が硬い。動かしづらい。声も変だ。
「……え?」
十秒ほど経ったあたりで、神崎はようやく自覚した。自分がロボットになっていることを。
白衣を着た男が部屋に入ってきた。
「私はここである実験をしている者だ。勝手だが、その実験に付き合ってもらうことになった」
神崎は混乱していたが、「どういうことだ?」と聞いてみた。
「フン、説明してやろう」男はいった。
「海で溺死したお前の死体から脳だけを取り出し、それを私の作ったAIロボットに移植したのだよ。私はAIロボットに限界を感じていてねえ。どんなに人間に近づけることはできても、決して超えられない壁があった」
神崎は黙って聞いている。
「そう、それは感情さ。知能をどれだけ向上させようが、ロボットに感情は芽生えなかった。だから、人間の脳を直接ロボットに移植することにした」
「……なぜ、そんなことを」
「ただの探求心だよ」
得意げな顔をしていう男に、神崎は憤慨した。
「——っ! そんなことのために、一度死んだ俺を無理矢理生き返らせたのか!」
「別に誰が困るわけでもないだろう」
「俺が困る! ……もうこの世に未練なんかない。死んで、楽になりたかったのに」
「フン、お前の意見なんか聞いてない。さっさと行け!」
男が命令すると、神崎の体が勝手に動いた。必死に抵抗するが、無駄のようだ。
「俺の命令は絶対だ」
神崎が廊下に出ると、ヘルメットのような置き物が大量に床に散らばっていた。
「なんだ、これは?」
男の命令によって検査室に移動した神崎は、数時間かけて様々な検査を受けた。
検査が終わり廊下に出た神崎は、再び大量に転がっている置き物を目にして、理解した。
「——ヘルメットのような置き物、なんかじゃない。……これら全部、人の脳なんだ」
神崎は怒りを覚えた。ここに散乱しているのは、これまでに検査を受けてきた残骸なのだ。データを取り終え不要になった脳は、生きたままこうして捨てられているのだ。
「……絶対に許さない」
神崎は再び最初の部屋に戻った。
出迎えた男がいった。
「おつかれさん。おかげでいいサンプルがとれそうだよ。……じゃ、そこに寝ろ!」
「くっ——!」
命令に背けない体は、勝手に寝台に登り、寝転がった。それを見て男は、よし、といい、道具をとるためか背を向けた——。
その瞬間、神崎は男に襲い掛かろうと立ち上がった……が、
「うわっ!」
ありえないほど滑稽な姿勢で、神崎は転んだ。
「フッフッ! 残念、予めプログラミングしておいた。私を襲おうとしたら、『バカみたいに転ぶ』となぁ!」
おかしな転び方をして立ち上がれない神崎を見て、男は嘲笑した。
神崎はそこから立ち上がれないまま、首を切られた。
「あばよ、バ~カ」
頭だけ分離された神崎は、廊下に放り投げられた。
——だがその数分後、男が鼻息荒く近づいてきた。
「おい、おまえ、すごいぞ! おまえは使えそうだ!」
検査の結果が他より優れていたようで、神崎はまたロボットに移植されることになった。
「だが、余計な感情だけは取り除いておかなければな……。従順に、俺のいうことを聞いてればいいんだ」
二度目の移植を受けた神崎には、すっかり反逆の意志はなくなっていた。あれだけ男を憎んでいた気持ちが、今はまるでない。感情を司る部位を切り取ったのだろう。
感情を失い従順になったロボットは、男の助手として働くようになった。
それから半年後。
男と助手のロボットは、あの岬にやってきていた。今日は集団自殺があるらしい。ネットの掲示板で見かけたようだ。
「いいか、海に入って五分経ったら死体を引き上げるんだ」
「はい」
自殺志願者五名が、一斉に岬から落下した。
「フッフッフ! 今回は一気に五体もサンプルが手に入る!」岬の先に立ち、海に飛び込んだ人間を眺めて笑う男。
人の死を見て笑う非道徳的な男を見ても、ロボットは何も思わない——はずだった。
「——は?」
ロボットは男の体を岬から突き落としていた。
落ちた先で、男が波にのまれている。
——しばらく経ち、水死体が海面に上がってきた。六体ある。
それを確認したロボットは、感情のない声で呟いた。
「倫理的な面から考えても、このような非道な研究をしている男はこの世から排除するべき、そう判断しました」
倫理的に考え、非道であるから排除する。その結論に至ったのは理解できたが、なぜ、今この場所で突き落として殺したのか、それはロボットの中でも理解できないままだった。
おわり