第73話「旅立ち」
◇
そこは多くの聖霊使いが散った戦場。しかし今は時が止まったかのような静謐な場所で結界によって封じられた戦場跡地だった。
その中で微弱な闇が蠢いていた。光位術士はもとより探知などに長けた巫女たち、そして光の継承者ですら注意が他へ向いていれば気付かないほどの微弱な反応だ。その反応の中心に居たのはボロボロになった一人の女だった。
(まだ……死ねない。あの方を、支配者様を呼び戻すまでは)
そしてその女の反応が結界内から突如として消えた。浄化されたのでは無く結界の弱い部分に残った渾身の力で微かに開けた穴から結界の外に脱出したのだ。
これが東京で聖霊使い達が『五大聖霊総会』と名付けた歴史的な会合の裏で一人の闇刻術士が脱出した出来事の顛末だった。これが光位術士側の唯一にして最大のミスだと知るのはまだ少しの時が必要だった。
◇
「支社長、悪鬼や妖魔の出現で実戦データ取りが出来そうだと連絡が!!」
「レイ、今夜のおかず、ぶり大根とカレイの煮付けのどっちがいいかだって~」
「レイ、水森から使者が来てんぜ? 氷奈美が対応してるけど、どうする?」
ここは五日前から正式に稼働し始めたL&Rグループ日本支社のオフィスで水森の家が所有しているビルだ。実はここは清花がバイトをしていた職場のビルの五階と六階で、そこを利用している。
「分かった。ワリーは炎央院との折衝中だから外回りに出てるフローに向かってもらうように指示を頼むぞ流美。ジョッシュ、水森への対応は、ひなちゃんに任せて大丈夫だ」
優先度の高い用事から片付けて次々と指示を出す。今日は炎央院にはワリーと護衛にベラを派遣しているので、いつも以上に忙しい。
「ジョッシュは明後日の出張の確認をしてくれ。初めての札幌だからって羽を伸ばし過ぎるなよ?」
「分かってる、涼風への協力だろ? 闇刻術士の残党狩りなら任せとけ」
涼風の支配圏の北海道と東北は結界が崩壊して損傷が著しく既にセーラのエウクリッド家の術士が援軍に出ている。ジョッシュはそれの応援に出る形だ。
忘れている人間も多そうだがジョッシュはSA3時代で俺とアイリスに次ぐ聖霊力の持ち主だから実は一人でかなりの活躍が出来る。
「あとはエリク汁の販促とPLDSの配備場所の視察な? 涼風の姉妹が手伝いはしてくれるけど頼むぞ」
「あの、レイ。今晩のおかず……」
ジョッシュの返事を聞きながら俺は目の前の書類に英国用にはサインを、日本用にはハンコを押して自分の予定の確認をするために今は俺の秘書になった流美に最終確認をする。
「流美、明後日の出張は俺とアイリスそれとお前にも一緒に来てもらう。準備はぬかりなく頼む」
「はっ、資料の用意も含め問題無く、後で最終確認をお願いします」
横のデスクで同じくPCと睨めっこしながら書類の束を渡されて受け取ると自分のデスクに置いて最後に俺の隣のデスクで少し落ち込んでいる妻を見る。
「分かった。目を通しておく、アイリス?」
「うん。おかず……」
「今日はカレイの煮付けが良いかな? それと休憩はそろそろ止めて目の前の書類の整理を再開してくれよ?」
「ううっ……了解で~す。英語の資料が減って向こうと違って大変だよ。漢字は苦手なのに……」
「何言ってんだよアイリス。俺なんて日本語自体無理ゲーだぞ……じゃ、まとめたの日本語訳によろしくな?」
ジョッシュの言う通りアイリスも基本は英国が長いから日本語は苦手だ。話すのは全く問題無いが漢字は苦手だそうで真炎が遊びに来たりしてる時は教えてもらっているらしい。
「失礼しますレイ支社長。いま我が家の使いの者が来たのですが少し問題が……」
そこで別室で、正確には下の階で来客対応をしていた水森氷奈美、ひなちゃんが戻って来た。どうやら問題が発生したようだ。俺はそれを聞いて頷くと彼女と一緒に下の階の応接室に向かった。
◇
仕事を終わらせ俺はアイリスと二人である場所へ向かっていた。社用の車でその駐車場に付けると先にアイリスが降りてその家の鍵を開けて入って行く。
「ただいま~!! お婆ちゃん、お腹空いたよ~」
「あらあら今日もお疲れ様ねアイリス、それにレイ君も」
「はい。ただ今帰りました。アイリス、玄関で倒れないで……部屋まで頑張ろうな」
「抱っこ~、運んでよ~。お姫様はお疲れだよ~」
そう言って玄関で駄々をこねる妻を抱き上げると俺達の部屋、正確には日本に居た頃にアイリスが使っていた部屋に二人で戻り簡単に着替えて下に降りた。
「頼寿さん。ただ今帰りました」
「お爺ちゃんただいま~!!」
「おかえり二人とも、新しい職場には慣れたのか?」
俺達が下に降りて少しするとこの家の家主の高野頼寿さんが最後に席に着いた。俺達は今は高野家に間借りして住まわせてもらっている。
アイリスにとっても里帰りのようなもので俺としては暫くはホテル住まいだと思っていたから嬉しい限りだ。
「はい。レイ君のリクエスト通りカレイの煮付けよ」
「恐れ入ります。しかし昨日も自分の要望を聞いてもらって何かすいません」
「良いのよレイ君、この人ったら聞いても「何でもいい」しか言わないから作るのも張り合いが無いのよ?」
そう言って頼寿さんを見ると少しばつが悪い顔をして味噌汁を飲んでいた。アイリスは「レイもそう言うとこ有ったよね?」と言って俺にまで飛び火して男二人は静かにするしか無かった。
「レイ君も家庭では尻に敷かれるタイプになりそうだな?」
「はい。頼寿さんと同じく……ですね」
二人でハハハと乾いた笑いを浮かべて白米を食べていた。そして話題は明後日の出張の話になった。
「だから明後日から島根に出張だから、予定では三泊なんだけど伸びる可能性も有るんだ」
「それはレイ君と二人でかな?」
「秘書と実家の有る社員二人も一緒で五人です」
メンバーは俺とアイリス以外は流美と水森の姉妹で出張理由はいくつか有る。アイリスの祖父母二人にはザックリと聖霊使い関連とだけ話して切り上げたが、それだけで理解してくれたようで詳細は聞かれなかった。しかし代わりに頼寿さんが思い出したように言った。
「そう言えば昔、家族旅行で出雲大社に行った時にお土産で買って来たわさび漬けは美味しかったな。母さん」
「ああ、ワサビのしょう油漬けでしたっけ……小さい頃サラも辛いと言ってたわね」
「蕎麦以外も有名なものが有ったのですか……」
前に逃亡中に食べた蕎麦は中々美味しかったと話せば他にも珍味が有るらしい、そして一人蚊帳の外だったアイリスが自分も食べたいと言い出すのは必然だった。
「分かった。お爺ちゃんお婆ちゃん、お土産に買ってくるね!!」
「そうだな。お世話にもなってますし、今のも含めて何個か見繕ってきます」
「なんか催促したみたいで悪いわね。あなた……」
「ああ、だが今回はアイリスとレイ君の厚意に甘えようユーリ。お願いするよ二人とも、それに久しぶりに食べたいしな。ハハハハハ」
そう言うと豪快に笑いながら茶碗を出す頼寿さんに呆れた様子のユーリさんを見て俺達も思わず笑ってしまった。
この雰囲気は懐かしい、英国でアイリスと義父母の四人で食卓を囲んでいた時と同じで心が温かくなった。これなら明後日からの出張も良いものになりそうだ。そんな事を考えて翌日も問題無く過ぎて出張当日にそれは起こった。
◇
「流美、敵の規模は?」
「今のところ闇刻術士の出現は確認できず……自然発生型と思われます」
俺達は朝一で出雲へ向かうために日本の空の玄関口・羽田空港へと到着したばかりで、そこで自然発生した悪鬼そして妖魔と遭遇した。
「敵は約四十体、そして中心に闇刻聖霊か……」
悪鬼と妖魔は問題無いが闇刻聖霊が厄介だ。野良なのか遠隔で聖霊使いが居るのかは謎だが急いで始末しなければいけない。そんな事を考えていると清花が悲鳴を上げていた。
「レイさ~ん!! 羽田で襲われるの二度目なんですけど!?」
「清花、レイ支社長です。まだお仕事中でプライベートでは無いのよ……でも言いたい事は分かります」
水森の姉妹の言う通りで俺はとことん羽田と相性が悪いらしい。流美の報告で付近に闇刻術士の姿が無いのだけが幸いだ。
俺は悪鬼に憑りつかれた人間をレイフィールドで浄化し気絶させると隣でアイリスも妖魔を切り裂いて逃げ遅れた子供を助けていた。
「悪鬼が憑りついてるなら敵は見た目以上に数は多いよレイ。今調べたけど異常はこの第一ターミナルだけ……第三ターミナルまで蝶を飛ばしたけど異常無し」
「なら発生して数分と言った所かしら……流美さん、炎央院へ連絡は?」
ひなちゃんの言葉を受けて先ほどから長距離通信をしている流美が応える。
「既に連絡して返事待ちで――――来ました。衛刃様から直接です。繋ぎます!!」
「分かった流美……叔父さん!!」
『レイ、状況を確認した。こちらも炎乃華と動ける者を援軍として送るがそれまでは勝手にやってくれて構わん。ただし事後処理のために戦闘後に誰かを派遣してくれ』
「分かりました……許可が下りた。全員状況を開始!! 流美は通信を維持、清花はその護衛を、巫女二人は各個撃破と浄化を頼む……スカイ、レオール!!」
俺が言うとアイリスはレイウイングと同時にレイフィールドを展開し周囲の浄化を始める。弱い悪鬼や妖魔はこれで消滅させる事が出来る。
「では私も参りましょうか……行きましょう『葵ノ乙女』、水の巫女としての浄化を見せましょう!!」
ひなちゃんが言うと傍らに水飛沫と共に青く光る人型の聖霊が出現する。データでしか知らなかったが初めて見る。これが水の聖霊帝の葵ノ乙女か。
ヴェインと違って中性的ではなくハッキリと女性型と分かる見た目で、何より驚いたのは手に薙刀のような得物を持っていた事だった。
「霊子兵装まで装備してるのか!?」
「はい、英国でサラさんにご協力頂きまして霊子兵装を用意して頂きました」
聖霊は本来は武装など持たないし道具すら使わない。しかし聖霊帝以上の人間と意思疎通が可能な聖霊ならばそれが可能だ。
しかし今までは聖霊帝自体がヴェインしか居ないから他に装備出来る者がいないと思っていたが今後は増えそうだ。
『レイ様、一応は資料には載っていましたが?』
流美が自身の聖霊の炎狐で悪鬼を祓いながら言う。そんな事を言われても、あのパーティーから二週間しか経ってないし日本支社が始動したのは五日前だからまだ全部は把握していない。
『せめて今回のメンバーの戦力把握はして頂かないと、ちなみに私は――――』
『お前のは全部分かってる。メインで調律したのは俺だし、ガキの頃はいつも傍で見てたからな』
『あっ、そう……でしたか……失礼致しました。『祓い済み者』は私の方で結界を張り保護していますので存分に戦って下さいレイ様!!』
それだけ言うと流美は清花と悪鬼の被害者を結界で保護して治療を開始した。心なしか流美の表情が生き生きとして見えた。
戦闘で燃えるタイプじゃないし気になったが今はそれよりも目の前の敵を倒すために俺は神の一振りを抜いて構えた。
(やはり炎央結界の消滅が原因か、簡易的な結界じゃ探知も防衛もままならないな)
レイブレードを展開して改めて俺は戦場を俯瞰する。そもそも悪鬼と妖魔とは何か、当たり前すぎて考えて来なかったが悪鬼は実体の無いもので人間に憑依するタイプの超常現象だ。
(つまりは生物じゃなくて現象だ。聖霊や人間のような生物じゃない)
見た目が仮面を被り鬼のように角が生えているというだけで日本では名付けられたらしいが英国ではDemon・Type01通称『D1』と呼ばれている。
それに対して妖魔には実体が有る。普段は不可視化しているが実体化すると見た目は様々で大体は妖怪と呼ばれる古の伝承の姿に似ている者が大半だ。
(つまり天狗や河童のような見た目をしていて種類が多いんだ)
俺は目の前で気絶した男性を庇いながら天狗の姿に似た妖魔を真っ二つにして浄化した。スカイが両足で気絶した人を運ぶのを見ながら消えた妖魔を見て思う。
俺たち聖霊使いはそもそもコイツらを退治、調伏するのが本来の仕事で現在のような闇刻術士と戦うのは内部分裂に近い状況なのだ。
『よし、こちらはD2いや天狗型の妖魔は全て浄化した。他の土蜘蛛型や鵺型は確認出来ず。二人は?』
『こちらアイリス。悪鬼の浄化完了だよレイ。憑りつかれた人の応急処置は聖霊達に頼んだから問題無し』
『私も問題無く、葵が全て浄化してくれましたわ。残りは闇刻聖霊だけです……』
先ほどから悪鬼と妖魔を浄化し祓いながら俺はレオールを、そしてアイリスは光の蝶でそれぞれ監視していたが闇刻聖霊は全く動きが無かった。
「動き無し……アイリス、後方に下がって流美の護衛を清花と交代してくれ」
頷くとアイリスと入れ違いで清花がレイブレードを構えて降り立つ。
「レイさん……じゃなくて支社長。私が出るんですか?」
「ああ、清花には実戦経験を積んでもらいたいからな。後はひなちゃんの聖霊帝の動きも見てみたい二人でやってくれ、サポートには俺とヴェインが回る」
そう言うと俺の背後にヴェインが音も無く出現する。その瞬間、いきなり闇刻聖霊が動き出した。
「えっ!? いきなり動き出して……」
『原因追及は後回し、清花は正面の二体、ひなちゃんは右側面から来る二体を!!』
『『了解っ!!』』
清花は目の前でレイブレードを展開して斬りかかるが避けられる。しかし焦らずにグリムガードを展開して振り向き様にレイアローを放った。
「あっ……」
しかし二体ともあっさり避けると天井の照明に直撃させていた。後ろでアイリスはアハハと笑っているがワリーとフローがキレそうだと思いながら戦況を見守る。
「やるわね闇刻聖霊!! だけど……接近戦なら、レイブレード!!」
すれ違い様にレイブレードが一体を捉え浄化する。だけど二体目が背後に回り込む、俺は一瞬ヴェインを動かすか考えたがそれは杞憂に終わった。
「私の後ろは任せている!! イナバ!!」
清花が叫ぶと彼女の足元から白い光の塊が闇刻聖霊に飛び掛かり牽制し、さらに空を跳ねるようにジャンプして体当たりをしていた。
「あれは……光位聖霊?」
『レイ様、あれは英国で清花さんが契約した光位聖霊獣の「イナバ」さんです』
もはや注意すらされずに俺に解説する流美の話を聞きながら俺は頷いて納得した。
『なるほど……見た目がどう見てもウサギだな』
イナバはそのまま清花の足元まで戻るとジャンプして頭の上に器用に乗っかった。昔スカイにやられた事が有った。聖霊は頭が好きなのかね。そして隙の出来た闇刻聖霊をレイブレードで串刺しにして浄化をしていた。
「どうよ!! 私だって光位術士なんだから!!」
「まだまだ粗削りですけどね?」
そう言いながら水の聖霊帝と一緒に歩いて来る姉の方は既に浄化を終わらせていた。横目で見ていたが葵が薙刀で一閃し一体を浄化し、ひなちゃん自身が氷の矢で残りを浄化していた。
「姉さまって光位術士でも無いのに強いからズルいんですよね~」
「まあまあ、清花ちゃんも良い感じだったよ~。私の初陣よりはマシだったし」
そうは言うがアイリスの場合は初実戦が四卿だしな……比較対象が悪い。
「そうですか!! 私って伸びしろ有りますか!!」
「アイちゃん。清花を甘やかさないで下さいよ」
「そうは言うけど、ひなちゃん、清花も今の戦いは中々悪くなかったよ?」
「ですが……はぁ、レイさんが言うのなら今回はこれくらいにしておきます」
そんな話をしていると流美が走り寄って来てあと十分もしたら炎央院の応援が来るとの話なので簡単な治療をしながら空港に弱めの結界を展開をして待機になった。
◇
「う~ん、よく寝た」
「もうレイ……少しイビキかいてたよ?」
俺たちは約一時間半のフライトを終えて出雲空港に降り立った。空路で来るのは初めてで荷物を待っているとアイリスが少し呆れた感じで俺に言った。
「そうだったか、最近はよく眠れてな……油断が多いな」
それも全ては君が再び俺の傍に居てくれるからなんだけどな、そんな事を思っていたら向こうから清花と腕を引っ張られて清一が走って来るのが見えた。さて、もう一仕事が待っていると思って俺は歩き出した。
誤字報告などあれば是非ともよろしくお願い致します。
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