閑話その1「残酷な宣告、炎央院炎乃華の場合」(後編)
◇
目を覚ますと私は聖霊病棟に居た。過労と精神的ショックで朝から寝込んでいた。ボケっとした頭で外を見ると夕焼けが目に染みた。一応は大事を取って今日はこのまま入院して明日には退院と言われた。
「はぁ、何やってるんだろ……私」
今思えば全部が自分の勘違いで、黎牙兄さんの事を何も知らなかった。いや、知ろうとすらしなかった。しかも、あの人に小さい頃から迷惑ばかりかけていた。
「ううっ、眩しい……」
それでも頑張れたのは黎牙兄さんがいつも助けてくれたからだ。いつからだろう、あの人を蔑ろにしてしまったのは……私は眩しい夕焼けを避けるように目を強くつぶって過去を思い出していた。
――――9年前(炎乃華10歳時)
「黎牙兄さん、私……不安です」
「大丈夫だよ炎乃華、お前なら突破は出来るさ……お前には才能が有るんだから大丈夫だよ」
そう言って頭をポンポンと撫でてくれた。一応は期限は12歳までと言われている炎の祠での試練、私は不安でいっぱいだった。
「で、でも……黎牙兄さんも突破出来ないのに」
「俺はもう『無能』みたいなものだ。だからお前と勇牙を鍛えてるんだ。そうだな、自分自身のためにも大事だけど俺のためにも頑張れないか?」
「それは、はいっ!! 行って来ます!!」
そして私は想定以上の成果を上げて来た。黎牙兄さんに報告を後回しにされる程の偉業だった。家では四人目の聖霊王との契約者となれたからだ。
「炎乃華よ、その聖霊は……やはり、聖霊王クラス!?」
「うむ、間違いない。実力者は分家のそちらばかり覚醒して羨ましいものだ衛刃よ」
「何を言いますか兄上、黎牙は今に目覚めます。それに術師として以外にも仕事は多々あります。黎牙はそれに常に応えてくれていますよ」
この頃から既に黎牙兄さんは疎まれていた。伯父様は完膚なきまで叩き潰されたから今でこそあんな態度だけど当時は家に味方は私達くらいだった。
「しかし宗家の嫡子たるものが秘書業務しか出来んでは話にならん!! 里中にでも養子入りさせろと?」
「い、いえ……しかし炎乃海もおりますゆえ支えさせますので……なによりまだチャンスは三年もあります」
当時は黎牙兄さんは術師の覚醒のボーダーラインの13歳間近で周りからもせっつかれていたし、常に嫌がらせを受けていた中での私の完全覚醒だ。そしてこれがどんな意味を持つか私は理解してなかった。
翌日、私は本邸の道場で五対一で戦いとは呼べないリンチの場面に遭遇する。そして私は怒りのあまり聖霊王の炎虎のタマを呼び出して追い払っていた。
「黎牙兄さん!! 大丈夫ですか!? よくもっ!!」
気絶した黎牙兄さんを流美と勇牙を呼んで看病する。起きると黎牙兄さんは複雑そうな顔をして私達にお礼を言うとすぐに立ち上がろうとした。
「無理です!! 黎牙様!! 聖霊力の無いあなたでは回復もおぼつかないのですよ!! お願いですからお休みを!!」
「ぐっ、だけど、今日は金曜日だ……行かなきゃ、行く? どこに? 俺は……誰に?」
たまにボロボロにされると黎牙兄さんは前後不覚になる事が多くて、それでもすぐにハッとして気絶から戻ると次には何事も無かったように接してくれた。そして聖霊を得て一ヶ月、私は刃砕伯父様の発案で火影丸の継承の儀を受けさせられた。
「くっ……うっ……抜けて!! 火影丸!!」
「ほう、素晴らしい聖霊力だ」
「見事だ炎乃華!!」
そして私は鞘から火影丸を抜いた。これは今の炎央院の家では刃砕伯父様しか抜けなくて、私が二人目だった。そして伯父様は素手を得意としていたので管理は私に任された。そして黎牙兄さんに報告しに行くと勇牙を指導していた。
「黎牙兄さん!! やりました!! 私、やりましたよ!!」
「っ……そ、そうか……はは、お、おめでとう炎乃華!! す、凄いじゃないか!? さ、さすが、お、俺の自慢の……でっ……違うな、従妹だなっ!!」
いつもなら『さすが俺の自慢の弟子だ』と言ってくれて頭も撫でてくれたのにその日は違った。笑顔を浮かべて優しくしてくれたのにその日は弟子と呼んでくれなかった。その上、新たな問題も発生してしまった。
「うん。やはりそうか……火影丸に振り回されてるな……」
「やっぱり……どうしよう、振り抜くだけで大変なのに」
「使用法とかは父上から何か言われて無いのか?」
私は火影丸を受け継いで数週間で早くも躓いていた。火影丸の力に振り回され模擬戦も負け続きだった。
「う、うん。なんか伯父様、当主様が言うには『使用法? そんなものは自分で調べ修める事で始めて完成するのだ、それを探し見つけるのも修行なのだ!』って言ってて……」
「なるほどな……確かに一理有るけど……ふっ、分かった。少し俺の方で調べておくから今日は素振りをしておくんだ」
そう言うと黎牙兄さんの腕や足には痛々しい打撲や切り傷などが有ってそれを隠しながら曖昧に笑うと自室へ戻ろうとしていた。
「あの、黎牙兄さんは指導してくれないの?」
「炎乃華は俺の何倍も強くなった。だから大丈夫。この間……見せてくれた炎聖術も凄かったじゃないか、あれと剣技を合わせればお前ならドンドン上に行ける。頑張るんだぞ?」
それだけ言うと今度こそ去って行く。そして黎牙兄さんが居なくなると私の周りに人が集まってくる。
「炎乃華様、あの無能嫡子にいつまで大きな顔をさせておくんですか?」
「そうです。あんな術も仕えない無能!!」
「で、でも、黎牙兄さんは私の師匠だし……」
私にはいつも優しいし剣だけでは未だに一度も勝てず最後にムキになっていつも炎聖術を使ってしまう。そんな私を「聖霊使いはそれで良いんだよ、強くなったな」と言って褒めてくれるのに……。
「あんな無能を師と言わせるなんて、当主様も酷いことを……ま、あと少しだから良いんじゃない?」
そんな事を言って門下で関係上は姉弟子だった人たちは出て行ってしまう。数年前までは皆、黎牙兄さんに武術の全てを教えてくれた恩人なのに酷いと思うけど一応は先輩で強くは言えなかった。そしてそれから三日後。
「炎乃華、まずは軽く聖霊力を刀身に渡らせるように力を込めるんだ」
「は、はいっ!! あっ!?」
それだけで今までは、ただの紅い刀が輝き出して刀身が熱くなる。切れ味が何倍も増す。
「そして次は込めた聖霊力を下から、鵐目から放出するように……そうだ!!」
「な、なるほど聖霊力を込めて、同時に下から放出する感じなんですね!?」
そう言ってその後も火影丸の全性能を引き出すマニュアルのような冊子を作ってくれて渡してくれた。今でも大事な宝物だ。
「ああ、理解が早いな、さすが炎央院の家系の者だな」
「そ、それと、黎牙兄さんので、弟子ですっ!!」
「あっ……そ、そうか、ありがとう、ありがとうな、炎乃華……それだけで俺は、救われたよ……」
だけどそれから半年後、勇牙が更に私の最年少の契約記録を抜いて黎牙兄さんはいよいよ居場所がなくなり始め、そして私はその半年の間に楓果伯母様に度々呼び出しを受けていた。
◇
「炎乃華。あなたは次期嫡子の勇牙の許嫁です。分かりますね?」
「え? 次期嫡子は黎牙兄さんじゃ……」
「アレは近い内に家を出ます」
「なっ、何でですか!? 黎牙兄さんは――――「あなたが黎牙が継承するはずだった火影丸を奪っておいて庇うのですか?」
呆れたような顔をして言う楓果伯母様はいつもより一層厳しい表情で私を見てため息を付いていた。
「え? な、奪ったなんて……私は……」
「当主様のように、のうきっ……コホン、力の強い聖霊使いなら火影丸は必要有りません。ただの宝剣として家の象徴、しかし力無き黎牙には必要不可欠でした。それを奪ったのはあなたですよ?」
今思えば炎乃海姉さんの指導のおまけだった自分だけを呼び出した時点で怪しかったのにそんな事に頭が回らなかった。いつも油断するなと言われていたのに私は愚かだった。
「で、でも黎牙兄さんは私のために火影丸の使い方を!! 三日三晩かけて調べてくれて!!」
「まさか本当にそんな戯言を信じたのですか? あの子は前々からそれを狙っていた。だから機能を調べ尽くしていた。あなたに恩を売っていずれ奪うために!!」
「そ、そんな……はず」
「あの子は無能です。ですが賢しい知恵は有る。炎乃華、あなたは騙されているのです。私が定期的に注意します。以後はそのように振る舞いなさい? いいですね?」
最初は私は伯母様の指導を無視しようとした。だけど呼び出しの二回目で更なる事を言われた。私が頑なに断ると今度は方法を変えて来たのだ。
「炎乃華、ごめんなさいね? 私はあなたを試していたの。黎牙はあなたの言う通り素晴らしい嫡子よ。だから私に協力して欲しいのよ」
「ど、どう言う事なんですか?」
そこで語られたのは黎牙兄さんの追放計画だった。しかしこれは周囲を欺くのと同時に黎牙兄さんの能力を目覚めさせるために家の外に出すと言う計画だった。これも少し考えれば騙されている事くらい簡単に理解出来たのに……。
「じゃ、じゃあ私はそれまで火影丸を守っていればいいんですね!? 黎牙兄さんが帰って来たら渡すために!!」
「素晴らしいわ。炎乃華、思わず笑ってしまうくらいに理解が早いわ。では、頼むわね?」
「はっ、はい!! じゃあ言いつけ通り、明日から黎牙兄さんと疎遠な振りをして厳しく当たります!!」
「ええ、それで良いのよ。それで、分からない事が有ったら私か炎乃海に聞きなさい。良いわね?」
そして私は……黎牙兄さんの敵になったんだ……。数少ない味方だった私にも見捨てられたと家中でお祝い状態だったらしい。
そして勇牙にはその話を内緒にするように言われていた。こんな杜撰な計画に私は簡単に踊らされ。あの日、黎牙兄さんと訣別したんだ。
「本当に何で、黎牙兄さんに教えられてたのに……敵を見誤るなって……」
私は、決別した振りだったのに……でも、その後に楓果伯母様に会ったら私は風の術、その奥伝の一つ『風の悪戯』で追放は自分の意志だったと認識させられた。それを約三年間かけられ続けていた。
「気付けば……黎牙兄さんの事は剣の師匠程度にしか思わなくなった……」
そして、黎牙兄さんが死んだと言われた時に一気に抵抗力が増して少しづつ術に抵抗した。でも楓果伯母様の術には勝てなくて不安定なまま日々を過ごし、生存を知った時に頭の中が一気に不安定になった。
「どうして良いか分からず……ただ家に戻って欲しいって欲求が先に出て……」
「それが、あなたの言い分ですか? 炎央院炎乃華さん?」
私が一人で独白していたら凛としてどこか気高さを感じるような声を聞いた。同時にいつの間にか自分のすぐ傍にいて気配すら感じなかった事に恐怖も感じていた。
慌てて目を開くと病室は何時の間にか消灯の時間だったらしく電気は消されて真っ暗だったのに、その人の髪は月明りを受けて白銀に輝いていた。
「えっ? あ、あなた……は!? どこ、から……」
「あなたが一人、悔恨の念を吐露した時からです。私達には光学迷彩の術『シャイン・ミラージュ』が有りますからね?」
「あ、えっ……その……」
「初めまして、レイの妻のアイリス、アイリス=ユウクレイドルです」
◇
まず最初に思ったのは病室の窓から差し込む淡い月の光を受けた神秘的な姿だった。そして次に思い出したのは黎牙兄さんとのキスしていた顔だった。
「は、はじめまして……炎央院炎乃華……です」
「はい。実は流美さんからあなたがアッサリ倒れたと聞いて来てしまいました」
「え? な、何でですか?」
そう言った瞬間に今まで柔和な表情をしていた美人な顔が明らかに歪んだ笑みを浮かべ私を見下しながら衝撃の一言を告げた。
「だって……私、あなたにお礼を言いに来たんですよ?」
「は? え?」
「もしかして私に文句の一つでも言われるとでも?」
相変わらずどこか私を嘲笑するような笑みを崩さないままアイリスさんは続けた。そんな顔で言われて、私は凄みと怖さを同時に感じていた。
「はい……だって、私、黎牙兄さんに酷い事したから」
「でしょうね。本当に最低な事ばかりしていたと思いますよ?」
「え? そ、それは……」
「私の、わ・た・し・の!! 夫のレイを傷つけ、蔑み、そして見捨てた上で今さら助けてと言って追放された家の再興の手伝い、レイをどれほど傷つけたか……あなたには自覚が有りますか?」
お礼を言いに来たんじゃ無いんですか? この人……言ったよね? 今のところ文句しか言われてないんですけど……。
「ああ、お礼ですよ? 確か日本では、こう言うのを『お礼参り』と言うんじゃないんですか?」
「は? え? そ、それは……」
「ふふっ、冗談ですよ? それよりも私の贈り物はお気に召しましたか?」
そう言って思い出すのは家で渡された目の前の女性と自分が大好きな男性の結婚式の写真だ。
「はい、その写真……見まし……た」
「ああ、それも有りましたね? あと炎乃華さんが好きな和菓子も差し入れさせて頂きました」
「え? あれって……あなたが、でも差出人は……」
「妻ですから、夫の名で親族に物を送るのは日本では作法と聞きました」
ま、そう言うのも有るとは聞くけど、私も当主名義でお礼状は書くけど……でも黎牙兄さんの名前を騙って贈り物と一緒に手紙まで入ってたのに。
「ああ、あの手紙は私が書きました。私こう見えて四分の一は日本人なんです」
「えっ!? それってクオーター?」
「はい。なので日本語も喋れますし漢字は……少し怪しいけど流美さんと真炎ちゃんに教えてもらいながら書かせてもらいました」
真炎と流美が? どう言う事なんだろう? だけどそれには答えてくれずに目の前の美女は私に背を向け窓を見ながら話を続けた。
「私……実は昔、日本に住んでいたんですよ?」
「そうなんですか……だから風習とかも詳しいんですか?」
「ええ、でもそれ以上に……レイに小さい時に色々と教えてもらいましたから」
え? 小さい時ってどう言う事、日本に昔住んでたって事はイギリスで出会ったのではない? 色々な疑問が頭を駆け巡った。
「あの頃は大変だったなぁ……週に二回しか会えなくて、でも必ず来てくれた。ボロボロになっても傷だらけになっても、いつも」
「あ、あの……黎牙兄さんと小さい時って……」
「うん。小さい時に一年有るか無いかの短い間にね? 私達は逢瀬を重ねてた。あなたのお姉さんとの紛い物のデートとは違う本物よ?」
そう言えば黎牙兄さんは家に居ない時がたまに有った。勇牙と二人だけで鍛錬をしていた時も有った。でもそれは確か炎乃海姉さんとのデートだったんじゃないの?
「ええ、流美さん以外にはそう言って外に出てたらしいよ? 私との密会は、炎乃海さんも都合が良いからってそうしてたみたいよ?」
「そ、そう、なんですか。そ、それが、何か……」
「家が居心地が悪くて、それでも一人で頑張ってたらしいね? 酷い虐待のようなイジメも見て見ぬ振りだったとか、だから治療してたの私が」
「えっ!? そ、それは……門下の人間や炎乃海姉さん達で、私は!!」
「うん。知ってるよレイに聞いた。あなたは最後の一押しで同情の余地は有るからね? その点はあなたのお姉さんに、もう、お話しておいたから」
その顔は慈愛に満ちていたと言ったお父様の話とは真逆で、黎牙兄さんに見せていたあの顔が天使なら今は悪魔の顔のような笑みが見えた。
「だって、あなたは炎乃海姉さんの腕を治してくれたって!?」
「うん。レイが治してって言うから仕方なくね? そうそう、炎乃海さんの元夫も、本当は事故で消そうと思ったのにレイが慌てるから腕だけで許して二度とレイに逆らえないように術も封じたんだよ?」
「え? な? それって……祐介の? でもあれは聖霊帝様が使ったはずじゃ?」
それって祐介のこと? でも、あれは事故だって黎牙兄さんも言ってた。悪い事をしたって、でも事故じゃなかった?
「うん。『流転憑依の術』って言って意識だけを飛ばす術が光位術には有るんだよ? それでヴェインに体を借りて、私がやったの……だからね? 全部見てたの、あなた達の行動も」
「えっ……それって……」
背中だけじゃなくて額から脂汗がツーっと流れ落ちる。目から涙も出そうだが、恐怖でそれ所じゃない。見られてた? 何を?
「ずいぶんと調子に乗ってたよね? 三人なら誰が正妻でも構わない? 炎央院の仕来り? 婚約破棄してレイと一緒になる? お子様が脳内で妄想するなら許してあげたけど……少しおいたが過ぎるかな?」
「そっ、それは……ど、どうして……あの部屋には結界……が」
「ヴェインに体を借りていたから不可視になって近付く事も出来たし、あなた達程度の下位術師のしかも、お酒が回ってる状態なら結界を抜けるなんて簡単だったよ」
ふふっと笑うその顔は天使と悪魔が同居しているようでコロコロ変わる。完全に弄ばれている。そして勝ち目が微塵も見えないよ助けて黎牙兄さん。
「でも、これはあなた達だけが悪いんじゃないの。レイも悪いんだよね~」
「え? そんなこと……無いんじゃ?」
「いいえ、レイは優しいから、だから性悪女、失礼、あなたのお姉さんもなんだけどね、『優しいって褒める所が無い男だから』とか言ってたんだけど、レイの一番良い所をそんな風に言うのってさぁ!! 許せる? ねえ、許せるかなっ!?」
そう言った瞬間に病室中に白銀の光の嵐が吹き荒れた。興奮して聖霊力を撒き散らしただけで病室内がグチャグチャになっていた。私は何とか炎障壁で軽減したけど、その聖霊力に圧倒されていた。
「黎牙兄さんの優しさに助けてもらったから私には言えない……です」
「うん。炎乃華さんは素直でよろしい。だからレイも甘やかしちゃうんだよ? その甘さに勘違いしちゃった、そうでしょ? だから変に気を持たせるレイも悪いの、女の子だって勘違いしちゃうもんね?」
そう言ってクルっと一回転して私を見る目は先ほどの気性の荒さとは無縁なように極上の笑顔を浮かべていた。
「は、はい。でっ、でも私の想いは勘違いなんかじゃ――――「大丈夫だよ。昨日の夜から夜明け前までベッドの中でタ~ップリお説教しておいたからね?」
その意味を察して私は固まった。そして今更ながら目の前の人が自分の好きになった人の奥さんなのを思い出していた。
「だから、あなたは気にしないでね? それにね、今日は最初に言ったけどお礼を言おうと思ってたの」
「はっ、はい? その、お礼って」
「私がレイと離れていた数年間ね、レイは寂しさを埋めるために家の事を頑張ってたらしいの、これは炎乃海さんにも聞いたんだけどね? 心の支えになってたらしいわ炎乃華さんが」
何かをまた責められると思ったら褒められ予想外の反応で驚いた。家の事を頑張っていたのは私もよく知っている。私たちの鍛錬も見ながらお父様も手伝っていたのを何回も見ていたからだ。
「えっ!? わた……しが?」
「ええ、私がレイと離れるしか無かった後、ヒナちゃんにも会えなかったから弟子で従妹のあなたは救いだったらしいの」
「そう、なんですか……良かった」
そう言えば救われたと言ってくれた事も有った。そうだ……私も嫌な思い出だけじゃない。良い思い出も、と思っていた私にまるで天罰のようにアイリスさんは本命を一切の悪意無しに叩き込んだ。
「そう、私の代わりを数年間だけ務めてくれた炎乃華さんには感謝の気持ちを伝えたかったの。私の身代わりご苦労様ってね?」
「え? いや、そ、それは……どう言う意味、ですか?」
「レイもね。私と離れ離れで辛くなって誰かに縋りたかったらしいの、記憶も無かったはずなのにね? だから余計に年下のあなたに私を重ねちゃったらしいんだ」
根底から揺さぶられるような重い一撃が振り下ろされた気がした。後頭部をハンマーで殴れたような衝撃が全身を襲う。
「そ、そんなはず……私は弟子……だから」
「うん。レイの鍛錬法なら私も英国で受けたし、小さい頃二人で素振りみたいなのもやったんだ。ふふっ、楽しかったな……だから、その思いを継承してレイを慰めてくれてたお礼、言いたかったの」
そんなはず無いと思う反面、私よりも二つ年上のこの人が嘘を言ってるようには思えなかった。
「それじゃあ、お礼も言った所でそろそろお暇しなきゃ、私が部屋に居ないのもレイにバレちゃうから」
そう言ってウインクしてくる彼女の顔は晴れやかだった。今の私の絶望したような顔とは天と地ほどの差だった。
「それでは改めて、私のレイを三年? くらいの間、見ててくれてありがとう炎乃華さん。ここ数日間は夜は毎晩盛り上がっちゃった……これならお爺様にひ孫を抱かせてあげられる日も近いと思うの」
「…………っ!?」
「そ・れ・と!! 私達の新婚旅行の手配とか本当に感謝します。私とレイにとって最高の思い出になりましたっ!! 日本でここまで楽しい思い出が出来たのは間違いなく、あなたのお陰です。ありがとう!!」
「はっ、はい……」
「それでね、明後日に、ささやかな近親者を集めたパーティーをするの、これ招待状ね? ぜひ来てね? 場所はあなたの予約してくれたお部屋だから!! じゃあ、パーティーの準備とレイが寂しがってるからそろそろ帰りますね。さようなら炎乃華さん。お待ちしてますね~♪」
それだけ言うとアイリスさんはまるで幻のように消えていた。でも手渡された招待状と周囲のズタボロになった病室を見て今の出来事は全て現実だと思い知らされた。私はこの晩、一人ひたすらに泣いていた。泣く以外に何も出来なかった。
そしてこの数日前に私の姉が私と同じかそれ以上に完膚なきまでに潰されていたなんて知らなかった。知る事になるのは翌日のパーティー会場だった。




