第42話「北の地からの使者、動き始める闇」
◇
辺りは暗く漆黒の帳が降り始めた時間帯、何かから逃げるように二人の少女が地面を滑るように走っている。
「くっ!! 急ぐわよ!! 琴音!!」
「はいっ!! だけど、そー兄ぃが……」
一人はかつて羽田に降り立ったレイに一刀のもとに倒された少女、涼風琴音だ。黒よりも少し濃い藍色の髪をなびかせ隣の人物と話していた。
「アニキが逃がしてくれたんだからアタシ達だけでも逃げ切らなきゃダメでしょ!! それにしても頼れるのがあの家だけなんて……ほんとサイアク」
その隣を並走するのは明るい茶髪に近い金色の髪の女性だ。琴音とは違い髪はショートで服装は動きやすい黒のショートパンツに薄緑色のパーカーを羽織っていて年齢は二十代の女子大生くらいに見える。
「炎乃華が、私のライバルが居ますから大丈夫。ご当主は気難しい方でしたが……」
「はぁ、せめて、れー君、いえ『無能の黎牙』が生きててくれたなら炎央院のとこに逃げるのも、ここまで気が重く無かったんだけどね……」
「でも楓姉ぇ、その人って無能なんですよね?」
「まあね、でも生きてたら間違いなく力にはなってくれたわよ……はぁ、言っててもしょうがない!! とにかく生きて東京まで行くわよ!!」
それだけ言うと二人は風聖術の『風舞い』で、その場を離れた。
◇
『状況に変化は無し、詳しくは別途添付したファイルを参照されたし、可能であれば速やかな帰還についての返答を望む』
ふぅ、これで完了だ。俺はノートPCから報告書を添付したメールを送信するとため息を付いた。送付先はもちろん英国だ。俺はここ数週間の出来事をまとめた報告書を本社へと送っていた。
PLDSを介しての通信も可能では有るのだが今の状況は使いにくいのだ……理由は色々と有るのだが一番の原因は今の俺の住環境だった。
「これで本社への報告は完了っと……さて、では――――「レイおじさん!! 今日の算数の宿題!!」
「待ちなさい真炎っ!! 予算編成の件で黎牙兄さんは私と先に仕事の話が!!」
俺がゆっくりと茶でも飲もうとしたら小学校から帰って来た真炎が鳳凰に乗って俺の割り当てられている部屋に突撃して来た。
それを追うように赤髪を振り乱して走り込んで来たのは炎乃華だった。手には大量の紙束を抱えていた。本当に日本は紙が多くて困る。ペーパーレス化を早急に望みたいものだ。
「はいはい、二人とも静かにしなさい。黎くん。結界の修復案がまとまったから目を通しておいて。私これから、お父様と関係各所への折衝に行くから、お願いね?」
「み、皆様、さすがに黎牙様への負担が!?」
今度は炎乃海姉さんがスーツ姿で部屋に入ってくると一方的に書類を置くと用件だけ言ってさっさと出て行ってしまった。それを流美が見送ると未だに部屋に居る二人を止めようとしている。
「レイ師匠よ!! 妖魔討伐を済ませて来た!! しかし家屋を四つ程吹き飛ばしてしまったわ!! ハハハハハ!!」
そして一番の問題児……いや、この場合は問題成人、大人? とにかく血縁上は父であるこの男だった。見ると勇牙が後ろの方で倒れている。どうやら今回もやらかしたらしい。
炎乃華がキレて掴みかかっていて、当主扱いをしていた時代が懐かしい。そんな状況を何とかしろと流美がこちらを見て来ていた。真炎はいつの間にか俺の膝の上に乗っていて、秘匿通信なんて出来る環境じゃなかった。
「こんなんじゃ落ち着いてPLDSで通信なんか出来るかあああああああ!!」
あれから一週間、俺は安易に炎央院の家の復興に手を貸すなんて言った過去の自分をぶん殴りたい。アイリス……君に逢いたいよ。そんな現実逃避しながら俺は一週間前の事を脳内で再生していた。
◇
「クソ親父、寝言は寝て言え。って、さすがに気絶したか――――「待て……黎、牙よっ……話、を聞……け」
「オメーはゾンビかよ!! 何でレイキャノンを普通に耐えられんだよ!!」
「どうやら兄上はあれから鍛錬していたらしくてな……対策を……」
鍛錬でどうにかならないから叔父さん。これは英国でも実証済みで俺のレイキャノンは耐えられたのは一部の光位術士だけだった。しかもグリムガードなどの防御術を展開していないと無理なはず……だった。
「んなバカな……それより叔父さん!! いくら何でもこれは話に付いていけねえからな!!」
「黎牙様の口調が……相当に動揺されてますね……」
そうやって冷静に話す余裕があるならクソ親父を止めろ流美。そいつは今はもう当主じゃないんだぞ。
「そうね、家に居た頃は終始丁寧口調だったものね……変わるものねぇ……」
「え? 私と勇牙にはあんな感じだった気が……あ、やっぱり私が特別なのかな?」
そりゃ、お前と勇牙は弟と妹扱いだったから少しくらいは特別扱いしてたさ。あの頃は可愛かったからなぁ、お前は……今はただのうるさい守銭奴だ。もう可愛いのは真炎くらいだ。
「先ほどから何度も兄上には説き伏せてはいるのだが……」
「それで全然言う事を聞かないから俺を呼んだのですか……残念だが元当主、俺を散々追い出して、その上で今度は師事したいだ? 笑わせるな!!」
「ふむ、ならばワシはこのまま修行の旅に出るが構わんな?」
何だ意外と素直じゃないか。出て行ってくれるなら一向に構わない。ま、俺も結界の修復が終われば出て行くから関係無いけどな。
「ああ、好きにしやが――――どうしたんですか? 叔父さん?」
解決だと思ったら俺の発言をなぜか叔父さんが止めた。
「兄上が出奔したとなると……その、色々とマズイのだ」
別に当主でも無くなったこの男がどこで野垂れ死にしようとも俺は、もろ手を挙げて喜ぶのだが叔父さんは違うようだ。やはり実の兄には情が有るのだろうか?
「家の名誉ですか!? そんな物にこだわっていたら――――「違う。物理的な被害が日本中に出るのだ……黎牙よ。兄上の若い頃の資料読んだだろう? 思い出せ」
物理的な被害? あ、思い出した……このクソ親父はかつて十八歳で家を出て武者修行と言って日本中を旅をしたそうだ。その旅で方々で暴れ回り妖魔・悪鬼関連の事件は爆発的に減少した。
しかし、その代償に結界や術師関係施設の悉くを損傷させるだけでは無く、一般の施設や家屋にまで多大な被害を与えており、四大家の人間が隠蔽に走ったと言う事を俺は思い出し、独り言のように喋っていた。
「え~っと、つまりどう言う事なんですか? 黎牙兄さん」
「え~!! 炎乃華オバさん分からないの~? 元当主様が暴れると日本がヤベーって、かぐりが言ってるよ?」
「真炎? な~んか今ニュアンスが違った気がするけど? 私、まだ未成年なんだから!! 若いの!!」
そう言って安易に火影丸を構える炎乃華と鳳凰を出そうとする真炎の間に入って炎乃華の頭を小突く。本当にこの脳筋一族は……真炎にもその気が出始めている?
「いたっ、なんで私だけ叩かれるんですか!?」
「来年二十歳になる女が六歳の女の子と張り合うな、真炎も叔母さんをからかうな。 あんまり意地悪な事ばっかり言ってると母様みたいになるぞ?」
「うんっ!! ごめんなさいオバサ――炎乃華姉さま!! 私、母様みたいになりたくないから謝る~!!」
うん。真炎は喋らせると全方位にダメージ与えるな……炎央院家に対する特攻でも付いてるような感じがして将来的に家を内部から破壊しそうだ、可愛い。
「こう、精神的なダメージが凄いわね……」
「それを痛みと感じてる内は少なくとも大丈夫なはずだ。あんたはこれ以上道を踏み外すな。戻れなくなる例は……さっき見たろ?」
しかし権謀術数を是としている女に何を言っても釈迦に説法なのかも知れないが真炎が将来この女と同じようになっては困るから言っておく必要が有る。
「ええ、そう……ね。それで? どうするの伯父様の事は?」
「そうだった。クソ親父、家で大人しく隠居してろ!! もう本邸でもどこでも好きに使って良いから!!」
「たわけが!! まだまだ体は動く、隠居など御免だ。むしろ自由になった身なれば好きなだけ戦い、そして強くなれると言うもの!!」
脳筋に理論は通じない……英国で常識が通じていたから忘れていた。俺の家での扱い、それは『戦闘以外は何でも出来る無能』である。叔父さんと一緒に脳筋集団を必死に説得していた惨めな自分を思い出す。
「叔父さん、コイツも牢屋ぶち込みましょう光位術で俺が仕留めます。それが一番です。サクッとやりましょう」
「ふっ、あんな封印牢など三日もあれば破壊してくれるわ!!」
「は? 脳筋のあんたは知らないだろうが、あの牢屋の仕組みは術師として強ければ強いほど術の拘束力が強まるんだよ」
これだから脳筋は、そもそも俺は無意味に何度もあの牢屋には突っ込まれたからな。だから脱走を何度もしていた。術に頼り切りの術師が能力を封じられた場合は脱走など出来ない。
「ああ、なるほどね。無能だったから術師としての拘束を受けなかった訳ね……盲点だったわ。そう言えば祐介や他の子にイジメられて入れられてたわね」
「誰にも助けてもらえなかったからな……そうしてる内に気合で脱走出来るようになったんだよ」
子供ながらに頑張って脱走するために道具を持ち込んだりして5メートル上の窓から脱走していた。つまり気合で壁登りをしていた。自らの肉体能力を上げて解決した。それを言ったら女性陣は全員が呆れていたが叔父さんはなぜか固まっていた。
「なんと言う……蛙の子は蛙と言う……ことなのか」
「え? 叔父さん?」
「なるほど流石は我が師だな!! 我と同じ方法であの封印牢を破るとは!!」
同じ方法だと……バカな術師は術に頼り切りで術メインの生活スタイルになるのが基本だ。それに比べて俺は術が使えないから仕方なしに体を鍛え壁をよじ登るだけの体力、腕力そして気力を鍛えた……はずだ。
「実は兄上も昔は先代の当主、我らの父親、つまり君にとっての祖父に牢に入れられてな……気合であの窓まで駆け上った……らしいのだ」
そう言えば俺が封印牢に入れられた時に、窓の所に掴みやすい場所やら、無駄に足の引っ掛けやすい場所が有ったのは、まさか……。
「ふむ、そう言えば若い頃に何度か頭に来て壁に蹴りを入れたらそんな箇所も出来たような……よく覚えておらんな30年以上前の事だからな、フハハハハハ!!」
俺は悟った……本物の脳筋には鍛えただけの人間では勝てないと言う事を、そして本物のバカには普通のロジックが通じないと言う事も理解してしまった。
「外に放り出せば国とっては災害級、閉じ込めたら自力で出て来る……唯一の方法は当主に据えておくだけだった?」
「申し訳ない黎牙よ。先代の当主たちが嫌がる兄上を無理やり当主にした上で様々な誓約で縛ったのを忘れていたのだ……スマン」
こうして日本と言う祖国を守るために俺は自分の父親の面倒を見て稽古を付け、監督までしなくてはいけないと言う状況に追い込まれてしまった。
こんなの間違っている光聖神よ、俺は選ばれた継承者では無かったのか? 俺は肩にポンと手を置かれて振り向くとヴェインが肩をすくめているのを見て諦めた。この件は聖霊でもお手上げのようだ。
◇
緊急通信も入っていないから英国でも進展は無い。それに良く考えれば日本国内に四卿の一人を負傷させたまま監視出来るのなら英国での戦いも有利に進むはずだ。つまりそれだけアイリスへの危険も減ると言う事に繋がると前向きに考える事にした。ポジティブシンキングは大事だ。
「そう、人手は猫の手を借りたいくらいだが、それでも闇刻術士を捜索するのに政府の力をも使える。それに何よりも最大の特典が有る……」
まずは親戚の子として少し危ないけど可愛い真炎が居ると言う点。これは何も愛らしいからと言う訳では無く四封の巫女の一人を見つけられたと言う事だ。
来るべき最終決戦においてアイリスの補佐をするための四人。俺の直掩が光の四守護騎士なのだとすると光の巫女にも従者が四人居る。それが四封の巫女だ。
古の戦い、失われた歴史では光の巫女の結界を強化するために四方向、東西南北で封印に協力したとあった。つまり真炎以外の残り三人も見つけなくてはいけないのだ。これは本来はアイリスの仕事なのだが彼女は今は動けない。
「だから俺が頑張らなきゃいけないんだよな……」
「何を、で、ございますか? 黎牙様?」
「お前に話す必要は無い。それよりも闇刻術士の足跡は?」
横で炎乃華とクソ親父の相手をしてボロボロになっていた流美が戻って来たが話す気は無い。どこで情報が漏れるか分からないからな。特に流美は察して行動する癖が有るから情報を与えるタイミングは考えなくてはいけない。
「申し訳ありません。未だ何も……」
「ま、下位術師では難しいな……風聖師でも居ればいいのだが……唯一の家中の風聖師があの女ではな……いっそ今回の件で涼風家に脅しをかけるのも悪く無いか」
「黎牙兄さん、その、お気持ちは分かりますけど……」
そうだ、いつからか分からないが俺が間接的にこうなったのは涼風家も原因だ。なら巻き込んでも文句は言えないはず。
「俺と真炎、それとクソ親父の三人で殴り込みかければ涼風家くらい何とかなるだろ!! 俺の苦労の十分の一でも償わせてやるか……本社からは多少の交戦許可は出てるしなぁ……CEOから!!」
「おお!! 面白そうだな我が師よ!! 迅人ともまた手合わせしたいと思っていたからなっ!! 大義名分が有るならワシも行くぞ!!」
そして何より最大の特典は炎央院家を俺が牛耳れると言う点だ。八年前はビクビク歩いていた廊下も今は向こうが先を譲って来る。
目が合えば礼は基本、俺が気に食わなければ叱りつける事も出来る。しかも上からの命令は絶対服従な体育会系の家、今やこの家でヒエラルキートップの俺にはある意味で最適な環境だ。
「ところで我が師よ、今日の稽古――――「見て分かんねえのかクソ親父!! 庭で炎乃華とでも模擬戦してろ!! レイアロー!!」
「ぐはああああああ!! この間の術か!! 今度こそ耐えきって――――」
なぜか光位術の耐性があるクソ親父を庭先に転がして俺は真炎の算数の宿題を見てやっていた。二桁以上の足算、引算か……答えを教えるのは簡単だが……どう解き方を教えるかを考えながら炎乃華にも指示を出す。
「よ~し吹き飛んだな? と、言うわけだ炎乃華。親父の相手して来い」
「え? でも書類……」
「俺が目を通せば良いんだろ? その間、親父の相手しとけ、あ、これは当主筆頭補佐の命令だからな?」
ちなみに俺の炎央院の家での立場はあくまで食客なのだが、一族間、この場合は血縁者や一部縁者の間では衛刃叔父さんに継ぐ地位になっている。ちなみに筆頭は勇牙と炎乃華、筆頭見習いが炎乃海となっている。
「でも私、黎牙兄さんと話を――――「俺に話は無い……ま、頑張れよ?」
「うっ、はい……」
「頑張れ~炎乃華叔母さ~ん!!」
「真炎ぉ……」(いつか黎牙兄さんの膝の上を取り返してみせる!!)
真炎が良い感じで煽っているので宿題に集中するように言いながら俺は手をヒラヒラさせて炎乃華を親父の方に行かせる。何か言いたげな流美を横目で見つつ書類に目を通す。
(どうしましょう……黎牙様は散々と刃砕様や炎乃華様を脳筋と言っていますが……今の黎牙様が一番、暴力と権力で解決しようとしている気が……)
などと従者が思っている事を俺は知らなかった。手に入れた権力にウッキウキだったのだ。良いじゃないか、不遇な時間が長い上にこんな扱いだったのだからこれくらいの役得は有っても良いじゃないかと、外で二つの炎の聖霊力のぶつかり合いを感じながらヴェインの淹れた紅茶を飲み俺はこの家に来て初めての満足感を得ていた。
◇
事件が起きたのはそれから三日後だった。日本に滞在してもうすぐ一ヵ月が経過しようとして、アイリスの事を考えながら仕事をしていた時だった。流美が血相変えて俺の執務室に入って来た。
「黎牙様!!」
「なんだ? 下らない用件ならば――――」
「来客、いえ敵襲? とにかく今は炎乃華様が対応されてますのでお急ぎを……涼風家の令嬢、琴音様と楓様が――――」
俺はそれだけ聞くとすぐにPLDSで場所を探知、玄関付近の客間か……それだけを判断して『炎気放出』で即座に南邸内を駆け抜ける。途中で学校帰りの真炎と今日は車で迎えに行っていた炎乃海とも合流して目的の場所に着いた。
「失礼する」
ドアを開けてそこには二人の少女が居た。驚いたのは二人共に見覚えがあったからだ。一人は来日時、もう一人は追放前だ。
二人に共通しているのはボロボロの状態で特に追放前に会った時は黒髪だったはずの頭を金髪に染めている女の方は頭と足からそれぞれ流血し気絶していた。
「あ、あなたはっ!? あの時の謎の術師!! なんで、ここに……うっ」
「手酷くやられたようだな。炎乃華、二人にフォトンシャワーを使う、離れてろ」
「はいっ!! 黎牙兄さん!!」
「え? 黎牙……兄さん?」
さらに部屋の中にシャインミストも張り自然治癒力も高める。炎乃海が「これ肩こりに良いのよね~」とか言って寛いでいるが今は無視だ。
涼風家の二人の娘がなぜこんな状態に、それに微かに漂う闇の気配……この来訪が日本と言う国全体を巻き込んでの戦いの始まりの合図だった。
誤字報告などあれば是非ともよろしくお願い致します。
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