第1章 「堺住まいの北欧公爵令嬢」
夜間にスクランブル出動要請も入らず、平穏無事に日の出を迎えられた。
そのような当直日の朝に眺める管轄地域の風景は、何時にも増して一層に美しく、また輝かしく見えるのですわ。
まして私が今こうして佇んでおりますのは、人類防衛機構極東支部近畿ブロック堺県第二支局ビル十七階の宿直室。
お向かいの堺県庁舎ビル二十一階の展望ロビーには及ばないかも知れませんが、市街地と百舌鳥古墳群が仲良く共存する堺市の街並みは、ここからでも存分に堪能出来ますの。
それに何より、ここは都市防衛の大任を帯びた人類防衛機構の防人乙女達が、明日の平和を守るために英気を養う寝所。
この十七階の窓から広がる眺望を堪能しながら仮眠を取れるのは、堺県第2支局に配属された防人乙女の役得と申しても過言ではありませんわ。
「何時見ましても…実に絵になる眺望ですわね。」
朝酒にグラスへ注いだワインを傾け、私は溜め息混じりに呟きましたの。
「また言ってる…こないだの当直でも、似たような事を言ってなかった?」
背後から投げ掛けられた愛らしい声には、呆れと苦笑の響きが入り交じっておりましたの。
「そうは仰せですけどね、葵さん。フィンランドで産まれた私にしてみれば、古墳と共存を果たしている堺市の街並みは、実に美しく感じられるのですよ。」
愛しい人に応じながら、ワイングラスを静かに傾ける私。
すると、深紅の水面から揮発した芳醇な香りが、私の鼻腔を悩ましく刺激するのですわ。
そうして思い出されるのは、愛しい人と共に過ごした昨夜の甘い一時。
過ぎ去りし一夜に想いを馳せながら傾けるワインには、味にも香りにも、何処か官能的な趣が感じられるのですわ。
そうして小さく喉を鳴らし、馥郁たる真紅の液体を嚥下した私は、同室の友人をチラリと一瞥致しましたの。
「ねえ、葵さん…葵さんも堺県第2支局の特命遊撃士なれば、この素晴らしき眺望を郷土愛の視点から愛でてはいかがかしら?」
私ことフレイア・ブリュンヒルデの実家は、北欧はフィンランドのヘルシンキに位置しておりますわ。
しかしながら画商である父の仕事の関係で十歳の頃に来日し、この堺県堺市に住む事になりましたの。
日本における私達一家の住まいは、明治や大正の御世ならば「異人館」と呼ばれそうな煉瓦造りの洋館で、近所ではちょっとした名物になっておりましてよ。
そして私が市立小学校に六年生として編入した年の一学期、特命遊撃士としての資格である特殊能力「サイフォース」が発現しましたの。
憚りながら、私の実家であるブリュンヒルデ家は、フィンランドでも名の知れた公爵の家系。
善良なる民衆を守護するのは、貴族の子女としては当然の務め。
私は喜びと誇りを胸に、人類防衛機構極東支部近畿ブロック堺県第2支局の門を叩き、特命遊撃士養成コースに編入致しましたわ。
そうしてナノマシンによる生体強化改造手術と軍事訓練を経て、一人前の特命遊撃士として堺県第二支局に配属されましたの。
今の私は、エネルギーランサーを個人兵装として自在に操る、誇り高き特命遊撃士のフレイア・ブリュンヒルデ准佐ですわ。
「まるでフレイアちゃんったら、生え抜きの堺っ子みたいだね。」
小さく肩を竦めた声の主は、背中まで伸ばしたピンク色のストレートヘアーを軽く掻き上げ、テーブルのワインボトルを手にして歩み寄るのでした。
「まあ、地元民としては悪い気はしないけどね。お代わり注いだげるよ、フレイアちゃん。」
あどけなくも美しい童顔が私に向けて笑いかけ、その中で輝く釣り気味な青い瞳が、真っ直ぐに私を見詰めているのです。
その美しい肢体を包む赤いブレザーとダークブラウンのミニスカは、私も一年生として在籍している堺県立御子柴高等学校の制服なのですわ。
「気が利きますのね。感謝しますわ、葵さん。」
こうしてワインを御酌して下さる神楽岡葵さんの好意に、私は微笑と共に素直に応じるのでした。
この神楽岡葵さんを、どのように紹介すれば宜しいのでしょうか。
堺県立御子柴高等学校では、同じ一年A組に在籍するクラスメイト。
人類防衛機構極東支部近畿ブロック堺県第2支局においては、同じ准佐階級の特命遊撃士にして可変式ガンブレードの使い手。
クラスメイトであり、同僚でもあり。
私の個人兵装であるエネルギーランサーに、葵さんの可変式ガンブレードとの合体機構が搭載されている点では、戦場でのパートナーでもあり。
しかし私にとっての葵さんは、「我が想いを捧げるに相応しい、最愛の親友」と御呼びするのが最適な方なのですわ。
私が葵さんに抱いている慕情は、恐らくは恋心に近い物なのでしょう…
生体強化ナノマシンによる改造手術を受けた女性軍人のみで構成される人類防衛機構は、完全な女所帯。
戦友同士の友情や連帯感が次第に恋愛感情へと深まっていくのは、然程珍しい事では御座いませんわ。