第十四話「蟷螂の斧」
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ブックマークや評価など、ありがとうございます。自己満足でしていることですが、読んでいただけるというのはやはりうれしいです。亀みたいな投稿速度ですが、気長にお付き合いいただければと思います。
第十四話 「蟷螂の斧」
グラーノは、ぎゅっと瞑っていた目を開いた。
そこには、ドラゴンの口に頭を覆われたまま座り込むカルロッタと、ドラゴンの首元に噛みつく一匹の狼。狼は、そのままドラゴンの頸動脈を首の肉ごと食いちぎった。ドラゴンは、血を吹き出しながらその場に倒れこむ。狼はカルロッタのもとへ小走りに駆け寄ってきた。左目に大きな傷があり、瞳は白く濁っている。尾は半分くらいのところで折れて、先端の方はだらんと力なく下を向いている。折れた尾を横に振りながら、少しずつ人の姿へと変化していく狼に、おびえて座り込んでいたカルロッタは歓喜の声をあげた。
「ライリーおじさん!」
カルロッタは少し年配に見えるその人狼の胸に飛び込んだ。
「よう、カルロッタ。でかくなったなあ」
その二人の様子に、グラーノはほっとして肩の力を抜いた。無防備に向けたその背中は、後ろに迫るモンスターたちにとって格好の獲物となる。二対の角を振り回しながら、一匹のモンスターが突進をしてきた。
グラーノが振り向いたその瞬間、なにかがモンスターめがけて飛んでくる。思わぬ方向からの衝撃で、モンスターはその場に倒れこんだ。飛び込んできたものを見ると、ライリーよりもはるかに小さな、痩せた狼であった。
「父さん! 感動の再開は後にして、早くここから離れないと」
痩せた青年の姿に変わったその狼は、息を乱しながら叫んだ。
「ああ、そうだな。カルロッタ、立てるか」
カルロッタはコクリとうなずいて立ち上がる。幸い、右足の傷は浅そうであった。ライリーもうなずき返し、その手を引いて走り出す。
「あんたも早く」
痩せた青年は、グラーノの手を引いて走り出した。グラーノは一瞬顔をしかめたが、特に抵抗するでもなくそれに従った。
崩れ落ちた村の塀を乗り越えて、森の中を進んでいく。右足を引きずるカルロッタが、時々木の根に足を取られて倒れこむが、そのたびにライリーが引っ張り起して走り続けた。やがて、木々が少し開けた場所に洞穴が見えてきた。蔦で覆われた入り口は狭く、大柄なものでは通れないほどである。ライリーはその穴に、カルロッタを押し込む。続いて走って来た青年が、グラーノのことを同じようにして押し込むのを見るとライリーは口を開いた。
「ノア、おれはもう一度村へ戻る。逃げ遅れた奴がまだいるかもしれん。お前はここに残って二人を守れ。いいな」
それだけのことを早口にいうと、踵を返して歩を進めようとする。しかし、彼の右手をノアが掴んで引き留めたせいで走り出すことは叶わなかった。
「父さん! あんなところに行ったら、今度こそ死んじゃう。ここにいよう」
ノアは父の手を両手で掴みなおして訴えた。ライリーはその手の上に自分の左手をのせて諭すように話しだした。
「だめだ」
「どうして!?」
「村にはまだかつての友人たちがいる。おれはそいつらを助けたい」
ノアは泣き顔になっていた。
「人間はぼくたちにひどいことをしたのに? それでも助けたいの?」
「ああ」
「また、ひどいこと言われるかもしれないのに?」
「ああ」
ライリーはさらに顔をゆがめる息子の頭をわしゃわしゃと撫でた。そして、その体を押して洞穴の前へと座らせる。
「いいか、ノア。お前の母さんはな、三年前の襲撃の時に、まだ変身魔法も使えないほんの赤ん坊だったお前をとある人間に託した。その人間は、母さんにとって妹みたいな存在だった。小さいころからずっと一緒にいる彼女を誰よりも信頼して、お前を託したんだ。そして、たくさんのモンスターと殺し合いをして死んだ。その人間と、そしてお前を守るために」
ライリーは大きな手でノアの顔を挟み込んだ。グイッとその手で上を向かせる。
「おれたちは意味もなく、奴隷みたいに戦うんじゃない。大切なもののために戦うんだ。その気持ちに、人間も狼も関係ないだろう?」
「でも……」
「ノア」
ライリーは古傷の残る大きな手で後ろの洞穴を指さした。
「おれもお前も、彼女には借りがある。他の荷物を全て捨てて、赤ん坊だったお前だけを抱いて走ってくれたんだ。母さんが守り切ったものを、無駄にするな」
ノアは後ろを振り返る。洞穴の入り口から、金髪の少女がこちらを見上げていた。その顔にはもちろん見覚えはない。物心がつく前のことだから当たり前だ。しかし、ノアは同時にどこか懐かしさも感じてた。
五感のうち、最も記憶と深い結びつきがあるのは嗅覚だという。雨の中に混じって鼻先をくすぐる彼女の匂いは、何度も嗅いだことがあるような気がするのだ。この香りのなかで、何度も眠ったことがあるような……。
「……父さん、無理しないでね」
ノアは自分の目元を拭った。そのまま、父の顔を見ないように視線を地面に下げながら、狼の姿へと戻る。そして、洞穴の前にどしんと伏せた。
それを見たライリーもまた、目を伏せてはにかんだ。狼の姿へと戻り、元来た道をひた走る。その後ろ姿に、若い痩せた狼は一つ遠吠えをあげた。
外の騒々しさに、異変を感じたスタビーは狼の姿で外に飛び出していた。
近くで人間の男が大きな翼を持った鳥型のモンスターに、鷲掴みにされている。男は持っていた棒切れをパニックになりながらも必死に振り回しているが、モンスターは意にも介さず、翼を広げて彼を連れ去ろうとしていた。
スタビーはモンスターが羽ばたきだす前に、その首元に飛び上がって噛みついた。モンスターはすぐに自分の首にぶら下がる白い狼を振り落とそうと頭を振るが、スタビーは噛みついたまま決して離さない。
やがて脳に酸素が回らなくなったそのモンスターは、男を掴んでいた足を離して気を失うようにその場に倒れ込んだ。
「スタビー!」
すぐに、近くにいた別の男が駆け寄ってきた。右手には雨に濡らさないよう、布で包んだ猟銃を抱えている。
「助かった、この大雨で銃が使い物にならないんだ。おまけに視界も悪い。今のところは鎌や弓矢で応戦してるが、大型のモンスターにはほとんど効果がねえ……三年前と同じだ」
スタビーは村の様子を見回す。あちらこちらでモンスターを前にして人間と狼が戦っている。若い人間の男が飛び回るコウモリ型のモンスターに弓矢を放つが、全て避けられてしまい、火の玉を容赦なく振りかけられる。一人の人狼が、彼の放った弓矢を避けながらそのモンスターに噛みついた。それほど大きくないそのモンスターは骨を噛み砕かれて程なく絶命する。若い男の方は、雨のおかげか幸い軽傷ですんだようだ。
「人間の女子供はどうしてる?」
人の姿となったスタビーが猟銃を持った男に尋ねた。
「とりあえず、家から出るなと言ってある」
別の場所から悲鳴が上がった。少し年配の人間の男が、小型のドラゴンに体を踏みつけられている。すかさず二人の人狼が飛び込んできた。
「おい! お前、うろちょろするんじゃねえ。邪魔だ!」
「す、すみません」
後ろからはマーヴィの怒鳴り声が聞こえた。振り向くと、右手で大きな氷塊を持ちながら、小太りの男を真っ黒の目で睨み付けている。
スタビーは、前に向き直ると目を閉じて深く息を吸い込んだ。吸い込んだ息を止めながらゆっくりと立ち上がる。そして、止めていた息を一度に吐きだした。
「人間族はいくつかの班に分かれて村から出ろ! 人狼族は、女子供のみ人間族の護衛につけ。残った人狼族の男衆でこの村を守るぞ」
雨の中に、白い狼の声が響いた。一瞬の静寂。その静寂は、スタビーの後ろから飛び出してきた一人の人狼によって破られた。狼の姿で走るその人狼は、立ち尽くしている猟銃を持った男の服をくわえて引っ張っている。
「急げ! 他の村人にも伝えるんだ」
もう一度スタビーが声を張り上げたことにより、猟銃の男ははっと我に返る。すぐに、近くに倒れている負傷者を抱えて歩き出した。その後ろを、小太りの男もそそくさとついていく。男の服を引っ張っていた狼は、一瞬だけスタビーの方を振り返って目くばせをした。
「そっちは頼んだぞ、クロエ」
そう言われた狼は、ゆっくりと前を向き直って土砂降りの中を駆け出した。
「あんたも、戦わなくたっていいんだぞ」
モンスターの群れの中に氷塊を思う存分投げつけるマーヴィに、今度は声をかける。
「は、避難していいのは人間と人狼族の女子供だけだろ?あいにく、オレはそのどちらでもないんでね」
氷塊に押しつぶされた、モンスターの群れの残党がこちらに飛びかかろうとしてくる。すかさずマーヴィは薙刀のような形の武器を作り出してそれらを薙ぎ払った。
「幸運なことに土砂降りだ。オレの魔法は、水が近くにあると調子がいい。魔力を節約できるからな……ここはオレ一人で十分だ、行け」
スタビーは、首だけを回してそちらを見る。すぐに狼の姿に戻ると、軽く頭を下げて走り出した。
目線だけでその様子を確認したマーヴィは、自分の左手に大きな氷の盾を作り出した。それを傘のようにして頭上に掲げ、別の場所から湧いてきたモンスターの群れを睨みつけた。
「オレはあんまり器用じゃねえから、この魔法は味方を殺しかねない。誰もいなくなってくれて好都合だ。これでようやく本気で暴れられる」
かすかに笑うと、冷たい光を放つ右手をあげた。途端に、マーヴィの周り半径数メートルの場所に氷の槍が無数に降ってくる。降り注ぐ雨を槍の形に凍らせたのだ。雨の槍は、小さなモンスター達の体を貫いていく。しかし、体躯の大きなモンスターや甲殻を持つモンスターにはあまりダメージを与えられない。モンスターの群れは、三分の一ほどに減ってからこちらに襲い掛かる。マーヴィは、氷の巨大なハンマーを作り出して、ギザギザの歯を見せながらニヤリと笑った。
「さあ、殺しあおうか」
雨の中に消えそうだった匂いは、そちらの方向へ走るごとに強くなっていった。ウルは走りながらあたりを見渡す。周りでは、人間と人狼がともにモンスターと戦っていた。三年前とは大違いだ。三年前は、ラックウルフ……今のスタビーではない。彼の前任者が、もっと早い段階で人間たちを避難させていた。櫓の半鐘がなった時点で、人間の避難を進めていたのだ。優れた鼻をもつ自分やスタビーと違って、彼には特別な力はなかった。しかし、今の状況を見るに、彼は誰よりも頭がよかったのだろう……。早く人間を避難させなければ、このままでは狼たちは無駄に疲弊してしまう。早く、スタビーに会わなければ。
土砂降りの中をただ走る。やがて、雨の先にスタビーとよく似た真っ白の髪を持つ人物が見えてきた。
「ギル!」
ウルは人間の姿に戻ってその人物の名を呼ぶ。人の姿に戻っても走り続け、彼の目の前に躍り出た。ギルは、倒れ伏す一人の人狼の腹に手をかざしていた。そこにある傷口が、ふさがっていくのを見届けてから顔をあげる。
「ウル、どうしてここに?」
今朝別れたはずの黒髪の人狼が目の前にいることに目を丸くしながら立ち上がる。ウルは、息を切らしながらその両肩を掴んだ。
「スタビーの居場所を教えてくれ!」
その剣幕にギルはさらに目を見開くが、すぐに状況を理解したようで、落ち着き払った声を出した。
「スタビーは家にいるはずだよ」
「家っていうのはどこだ! 三年前と村の様子が変わっていてどこに何があるのかよくわからないんだ。案内をしてくれ」
ギルは一瞬、あたりを見渡す。まだ狼と人間たちが戦っていたが、今のところ回復魔法の必要な者はいないようだった。それよりも、他の場所に重傷者がいるかもしれない。
「わかった、行こう」
その返事を聞いたウルは、息つく間もなく走り出す。ギルもまた、その黒い髪が雨の中に消えていくのを見て、走り出した。