第十三話「陰陽」
本小説をお読みいただき、ありがとうございます。
キャラの外見を描写するために描いた絵がもったいないなと思ったため、今回からたまにイラストを載せます。あとがきの方に置いておきますのでよろしければどうぞ。
第十三話 「陰陽」
「ぼくのやっていることは正しいんだろうか」
カルロッタの飛び出していった部屋の中で、唐突にスタビーが呟いた。
「時々わからなくなる。どうしてはぐれ狼たちを殺さないといけないのか」
クロエを引き止めるために伸ばした手を引っ込めて、テーブルの方へと歩き出した。
「彼らは掟を破った。でも追放という形で罰を受けた。それをどうしてまた殺そうとするのか」
「災狼がいるからでしょう。あいつは村に災いをもたらす。三年前の襲撃も、災狼の仕業だって言われているじゃない」
クロエも、スタビーの後に続いた。スタビーは椅子を引いてゆっくりと腰掛ける。
「そうだ。あいつがいなければ村は平和になる。でも……」
スタビーは言葉をつまらせた。伝えたい思いがあるのに、丁度よい言葉が見つからないといった様子であった。
言葉を探して黙りこくっているスタビーをチラリと見たギルは、ゆっくりと目を閉じて息を吸い込んだ。深呼吸をするかのように言葉を吐き出す。
「俺は、ウルを殺したからって何かが変わるとは思わない。スタビー、もし本当に君が幸運を呼ぶ力を持っていて、ウルに災いを呼ぶ力があるとするならば、君たちは裏表なんじゃないか」
ギルはカップを左手で持ち上げて、その下にあるソーサーを右手にとった。凹んだ方の面をスタビーとクロエに向けて言葉を続ける。
「この世には、表のない裏は存在しない。その逆もまた然り。裏のない表は存在しない」
そう言うと、右手のソーサーをクルリと裏向きに回した。
「裏を消すことが、本当に好いことなのかよく考えた方が良い」
ギルは、左手のカップに入った紅茶をそのまま飲み干して、ソーサーと共に置き直した。その一連の動きを一つ一つ目で追っていた二人の人狼は、何かを考えるように目を伏せた。
ギルはマーヴィとグラーノの方へ目を向けて、ゆっくりと立ち上がる。
「カルロッタのところへ行くよ、二人はどうする?」
「ぼくも行く」
グラーノが立ち上がる。一方のマーヴィは、動く気は毛頭ないようで椅子に座ったまま、ゆっくりと茶を啜っていた。さっさと行け、とでも言うように手をパタパタと動かす。
最後にチラリと二人の人狼を見たギルは、かすかに自分の下唇を噛んで、グラーノとともに歩き出した。
道行く人々に、カルロッタの居場所を聞きながらたどり着いた場所は広場だった。丸く開けた場所のど真ん中には、狼と人が果敢に獲物を追う石像が置かれている。
その石像の前に、金髪の少女が、自分のスカートが汚れるのも気にせず地面の上に座り込んでいた。
その両端に、ギルとグラーノも座り込んだ。少女は、二人の顔を交互に見た後、石像に目を移した。
「これは、ずっと大昔に作られた石像なの。人間と狼がいつから一緒にいるのかわからないけど、この石像が出てきた遺跡は、多分千年よりずっと前のものなんじゃないかって大人たちは言っている」
カルロッタは悲しそうな顔で、付け足すようにポツリと呟く。
「この頃は、きっと今よりも人間と狼は仲が良かった」
ギルは、カルロッタの横顔へ目を向けた。
「どうしてわかるんだい?」
その言葉に、カルロッタは立ち上がって石像へと歩み寄った。ギルとグラーノも土埃を落としながら立ち上がる。石像の土台の部分は、四角柱の形になっており、そこには文字が彫られているようであった。カルロッタはその文字を指差す。
「ここに書かれているの」
つられてその文字を見たグラーノは、じっと難しい顔をしながら土台に掘られた文字を睨みつけた。
「うーん。読めない」
「そりゃあ、古代文字だもの。まだ半分も解読されていないけれど、四つある面のうち二つは狼と人間の歴史について、もう二つは人狼伝説について書かれているんじゃないかって言われている」
小さな二人の頭の間から、文字を眺めていたギルはゆっくりと空を見上げた。
途端に、ポツリポツリと雨が降ってくる。それに気づいたカルロッタは少し困ったような顔で振り返った。
「雨が降ってきた。家に帰らなきゃ」
「ああ、そうだね。グラ、カルロッタを家まで送ってあげて。俺はもう少し、この石像を見るよ」
グラーノはカルロッタとギルの顔を交互に見て頰を膨らませた。
「だめだよ。ギルはもやしなんだから。風邪ひいちゃうよ」
「大丈夫。すぐに行くから。さあ、急いで。二人も濡れてしまうよ」
それだけいうと、ギルは雨に濡れるのも構わず石像に数歩歩みよった。その様子にグラーノは少しため息をつくと、カルロッタの手を引いて走り出す。
残ったギルは、石像の正面にあたる面を見ながらぶつぶつと小さくつぶやいていた。
「飢えた狼に、人間が餌を与えたのが全ての始まりであった。違う種族であるにも関わらず、人間と狼は友となった。言葉を話さずとも、互いの感情を推し量れるほどになった」
土台の右に回り込んで、次は隣の面を読み上げる。
「狼は人間を深く愛し、人間は狼を深く愛している。喜び、悲しみ、怒りを共に感じながら過ごしている。今のこの幸せが、未来でも続いていますように。我々の友たちに敬愛を込めて」
ポツリポツリとだけ降っていた雨が徐々に激しさを増していく。ギルの背後では、何人かが雨から逃れるように走っていた。
ギルは石像の背面に回り込む。
「人狼にとって、月は重要な役割を果たす。それ故か、月の光が届かない月食の日に生まれた狼は、真っ黒の姿をしている。その夜空より黒い姿で、月食の狼は闇を呼び込む。月食の狼が生まれた次の満月の日に、今度は真っ白の狼が生まれる。その狼は、雲のように白く光る体で闇夜を照らす」
すでに雨は土砂降りとなっていた。もうさすがに、外を出歩いている者はどこにもいない。
ギルは最後の面へと回り込んだ。
「つりあった天秤を傾けるべからず。死なくして生は享受できぬ。光と闇もまた、表裏一体。どちらか一方を排除すること能わず。それをなすこと、まさしく母なる大地への冒涜である」
土台に書かれている文字はこれだけであった。ギルの髪の毛から、ぽたぽたと雨粒が滴っている。数歩石像に近づくと、最後に読み上げた文字を右手で優しく撫でた。周りに誰もいなくてよかったと心底思う。今の自分は、きっと悲愴な顔をしているだろうから。
ウルたちは走り続けた。数十頭ほどの狼の群れでは、大量の荒れ狂うモンスターたちを止めることはできない。彼らは、自慢の足と持久力を生かしてモンスターたちを当の昔に追い抜いていた。止めることができないなら、村の住人を逃がすしかない。ウルは、走りながらあの白い姿を思い返していた。
“ああ、神様というものがいるならば、おれの最初で最後のお願いを聞いてください。どうかスタビーを……”
やがて走り続けるはぐれ狼たちの視界に、村へ続く橋が入って来た。ウルは、さらにスピードを上げる。たくさんの狼たちが駆けていく度に橋は不安定に揺れた。渡り終わったウルは、一度立ち止まって橋の方へ向き直ると、橋を支える杭の部分に噛みついた。そこへ頑丈に括り付けられた蔦をかみちぎるつもりのようだ。素早く気付いた他の狼たちも各々杭の部分に噛みつく。やがて狼たちに噛まれ、引っ張られた蔦はぶちぶちとちぎれていき、それに伴って吊り橋もパキパキと音を立てて崩れていった。
それを見届けたウルは、息つく間もなくまた走り出した。村の櫓と門が見えてくる。門の前には、フード付きのローブをかぶった一人の人狼が雨に濡れながら立っていた。
門番は、雨と泥にまみれながら、尋常でない様子でかけてくる狼たちの群れを見ると、少し驚いた顔をしながら櫓の上の方へ声を張り上げた。
「半鐘を鳴らせ! はぐれ狼たちが攻めてきたぞ」
櫓の上から、もう一人の人狼が顔を出した。彼も狼たちを率いるウルの姿を見たのか、青ざめた様子で半鐘をたたきだした。村中に響く甲高い金属の音。櫓の上の人狼は、雨の音にかき消されまいと一心不乱に鐘を叩き続けた。
門番の目の前で立ち止まったウルは、すぐに人へと姿を変えて息を切らしながら叫んだ。
「大量のモンスターが攻めてくる! 急いで村の住人を避難させろ!」
門番は右手に持った槍をウルに向け、にらみつけた。
「嘘をつけ、誰がお前ら罪人の言うことなど聞くものか」
「嘘じゃない! 北のほうからまっすぐこちらへ向かってきている」
「村の住人に復讐しに来たんだろう。その手には乗らない」
「黙れ!」
その場に、ウルの怒声が鳴り響いた。雨の音すらかき消すその声は、周囲にキーンといった耳鳴りを起こさせた。ひるんだ門番の槍を払いのけて距離を詰めると、その胸倉をつかみ上げた。
「お前は家族や友人よりも、そのくだらない先入観の方が大事なのか! お前は門番だろう。自分の役割をしっかり果たせ!」
胸倉を掴んだまま、門の扉に投げつける。刹那、わずかに空いた門の扉から、誰かの悲鳴が響いた。
「うわあああああ。モンスターが入って来るぞ」
「そんな、まさか」
門の向こうは、無数のモンスターたちの匂いで埋め尽くされていた。自分たちの見たモンスターたちの中で、飛んで峡谷を越えられる奴はこんなにもいなかったはずだ。
「くそっ。北からだけじゃあなかったのか」
ウルはまた黒い狼の姿に戻ると、投げられて座り込んでいる門番の上を飛び越していった。
飛び込んだ先の村では、無数のモンスターと逃げ惑う人々、そしてその人々を逃がすためにモンスターの前に立ちはだかる狼たちがいた。あちこちで、狼たちの唸り声と悲鳴が鳴り響いていた。その中を、ウルは駆け抜ける。
“スタビー、どこだ!”
雨の降りしきる中では自慢の鼻もあまり役には立たない。ただ、ひたすら走り回る。ふと、ウルの鼻によく知った匂いが触れた。その匂いの方へ走れば、スタビーに会えるかもしれない。雨の匂いにかき消されそうな、かすかに空気中に漂うその匂いを追ってウルは駆け出した。
グラーノは、カルロッタを背にしながらモンスターたちと戦っていた。何度もサーベルを振り回すが、倒しても倒してもきりがない。迫りくるモンスターたちに、荒々しく息を吐きながらグラーノは後ずさった。
「きゃあ!」
カルロッタの悲鳴が響く、振り向くとそこには小型のドラゴンが口を開けて立っていた。彼女の右足をその太い前足で押さえつけ、今にも食らいつこうとしていた。
「カルロッタ!」
グラーノは目の前にいる無数の敵に構わず、そちらに走った。ドラゴンは、彼女の頭を口にくわえこむ。
“ああ、間に合わない……!!”
ぐしゃっ。
カルロッタの足元に、大量の血が流れ落ちた。