第七話 犯罪と警報
「何もあそこまで邪険にしなくても良いんじゃない?」
男と十分距離が離れたところで、新菜は切絵に苦言を呈する。
「いえ。言ったとおり、超能力者間で用がある場合、守護者を通す事になっています」
切絵は凛としたまま言った。なおさら新菜の疑問は大きくなる。
「でもあたしたちみたいに――」
新菜の疑問点はここだ。よく知っているとはいえ、新菜と切絵は普段通り話している。他の人間に聞かれそうな状況は避けたが、それはあの男も同じである。周りに人影はなく、新菜が想像していたとおり道に迷った場合、新菜か切絵に聞く他ないくらいの閑散っぷりだった。
「もちろん顔見知りは別です。超能力者が超能力者と新たに知り合う場合、守護者を窓口とするのです。正規の理由があれば守護者を間に挟むのに、何の異存もないはずです」
「だから、そんな大仰な事じゃなくて、道に迷ったとかじゃないの?」
「道に迷うような土地勘のない者が使う道ではないでしょう」
切絵は断言するが、新菜はいまいちそこまで使わない道なのか判断がつかなかった。もっとも、これは新菜が理解していないだけで、切絵の言うとおり他所から来た人間が使う道ではない。わざわざ使って道に迷う可能性もあるのだが、それは別の理由で除外される。
「それに、殆どの場合は守護者と従者のどちらかと端末で連絡を取れるように取り計られています。道に迷った場合、そこに根付いているか判断の付かない一超能力者と、土地を管理すると明言されている守護者、どちらに道を聞いたほうが確実ですか?」
「だから、そんな簡単に連絡するものなのって事。道を尋ねるのに110番すると怒られるでしょ?」
切絵は新菜に半目を向ける。
「尋ねた事があるのですか?」
「流石にないけど、110番なら何度かダイヤルした事があるわ。もちろん事故か事件の時だけだけど」
110番は事故か事件の時の緊急通報用のものであり、どちらかを最初に聞かれる。道に迷うのが事故か事件かと問われれば、どちらでもないと回答する人が多いだろう。実際に案内を受けられるかは別として、それは推奨される行為ではないという事になる。
「少なくとも、非常に開かれた存在ではあります。わたくしたちの絶対数は多いわけではありませんし、非正規の管理を肯定する上で、道案内程度であれば率先して行います。というようなお話が今日あるはずです。すでにわたくしが言いましたが」
切絵が言った事が間違いでないと、この後紬のマンションを訪れて新菜は思い知る。
「その通りです。雑用もこなします。庭の草刈りぐらいなら」
玄関口で開口一番に新菜から自身の仕事について尋ねられた紬は、当然のように答えた。
新菜は逆に呆気にとられた。何で庭の手入れまで請け負うのか。
「あの鎌で、なんて言わないわよね」
「我々の側が手間を惜しんでは、信頼も信託もしてもらえないという話です。そもそも、道具は通常空間には持ち込めませんから」
紬の目は真面目だ。
「別に個人の付き合いぐらいは構わないんじゃない?」
コクリと頷く紬。
「全てに制限をくわえたいわけではありません。一言こちらに頂きたいだけです。まあ、そこまでするのは大方リスキーに終わるので、考慮する必要は余りありませんが」
「何で?」
新菜は首を傾げる。話の行き先が見えない。
「超能力者が超能力者に、わざわざわたしたちに知られないようにコンタクトを取るのは、基本的に仕事の仲間を集めるためです。それも、あまり表沙汰にしたくないタイプの」
新菜は目を眇める。
「明かしたくない仕事、って詐欺とか?」
「もっと直接的な犯罪の事が多いですが、大方ご想像の通りです。その辺りの注意をしたかったので今日の場を設けました。立ち話をする必要もないでしょう。中へ」
紬が部屋の中へ引っ込む。よくよく考えればあまり表で話す事ではない。想像していなかったとはいえ、そんな話を表でさせようとしていた事を反省しつつ、新菜は切絵と一緒に紬のマンションの居間へと入る。
「第一、知らない相手に応じようとするあなたも問題。相手が男性だったら、逃げて然るべき状況」
居間のセレナは紬より冷たかった。
が、新菜はいまいちわかっていない様子だ。
「いや、男性だったんだけど、なんで逃げるの?」
セレナは新菜の腕を見る。固く締まっているのは昨日彼女が言ったとおり空手で鍛えた成果だ。その腕のほどは、昨日紬と一緒に新菜の立ち回りを見たセレナには十二分に伝わっている。
「……あなたに言う話じゃなかった」
セレナはティーカップを啜った。
「とにかく、後ろ暗い相手でなければ私に話が来ているはずです。それは貴方自身が道を外さないためにもしっかり理解しておいてください」
二人を座らせながら突きつけられた紬の忠告に、眉をひそめる新菜。
「わかったけど……そんなに多いの? 犯罪者って」
「ええ。超能力を持たない者は超能力を持つ者相手に成すすべなく辛酸を嘗めさせられます。さて、犯罪のリスクとは何でしょう?」
「法を犯すこと」
紬の疑問に即答する新菜に、紬はおでこを抑えた。
「天道さん。新菜に婉曲的な話はあまり有効ではありません」
切絵が話を引き継ぎ、紬は静かに自分の椅子に座る。
「どういう事? 犯罪は罪を犯すって意味でしょ?」
「より根本的な話ですわ。犯罪者が強盗を働くとしましょう。新菜の家に強盗犯が侵入しました。新菜はどうしますか?」
「縛られる前に押さえ込んで警察を呼ぶわ」
「では、新菜が家にいなかったらどうなります?」
新菜はようやく理解して二度頷く。
「それはまずいわ」
「強盗のリスクは捕らえられる事です。一昨日までの新菜が相手でしたら、おそらくさっきの新菜の回答は実践できなかったでしょう」
「つまり強盗しても捕まらないってわけね。確かにそれならどの家にでも入り放題。警察にも捕まらなきゃ法を犯したかなんて無関係と」
「そうですわ。更に、超能力を用いていた場合、いざ逮捕された後にも問題がおきます。裁判においての犯行の立証が難しくなるのです」
「超能力で鍵のかかった扉を抜けました、とか言われても証拠がなきゃ『デタラメ言うな』ってなるわよね」
「本当にそのように言われては、わたくしたちとしては困りますわ。他の超能力者が存在の発覚を恐れて、そもそも捕まらないように手を回す事さえあります。ですので、超能力は犯罪に転用しやすいのです」
「なるほど」
新菜と切絵は納得の表情を見せる。
「よく話が通じましたね。こんなに道徳心の強い人には初めて会いました」
紬は呆れていた。
「道徳心、とは少々違うと思いますが、このような行き違いはいつもの事ですので」
小学校に上がってからずっと新菜と仲良くしている切絵は、話のどこで齟齬が生じていて、新菜に対してどこを説明すればいいのかがよくわかっていた。
対して紬ははっとする。
「もしかして、二人は知り合いですか?」
「そうよ? だから何で身分を隠さなきゃなんないのかなってよくわからなくて」
紬に正直な感想を答えた新菜。
紬は頭を下げる。
「すみません。昨日の段階で気づいておくべきでした」
「いいわよ。今朝は少し肝を冷やしたけど、済んだ事だし」
紬は顔を青くする。
「今朝? じゃあ用事は……」
「同じでした」
紬は再び頭を下げた。
「本当にごめんなさい。驚かせてしまって」
「だからいいってば。それより、ホントに隠しておく必要あったの? 今日切絵を呼んだのは顔合わせかな、って思ったんだけど、なんか顔だけ合わせて結局相手の事を知らせないって微妙に理解し難いんだけど」
「それは、単純につるまれるのを回避するためです。学生は、比較的関係が密になりやすく、その結果成長途中の不良行為で終わらない大事になった場合、本人が負う事になる責任は本人の社会的常識の成熟度に比して大きくなりやすいんです」
「つまり、悪い事するな、っていう話の重さが大人と違うって事?」
紬は自分の失態にうろたえつつも説明を続けた。
「と言うよりは、悪い事を共同でする可能性が上がる、という事です。同じ地域に住んでいる大人であれば、所属するコミュニティが違う可能性が大いにありますが、学生の場合は同じ学校に所属する可能性が高いので」
「さっきの男みたいな輩がいれば絶対出会うという事。その時、相手の名前を知っていれば、学年もクラスもすぐに分かる。その後はお察し」
セレナは紬のフォローに回る。昨日一見して思ったよりは、この二人の役割分担が成立しているようだと新菜は思った。
「なるほどね。悪いやつとつるまないように、って伝えるまではリスクを回避すると」
「よほどの事があれば我々も介入しますので、最低限それを把握してもらえればその後は普通に会ってもらって構いません。同じ敷地にいる以上、気配は感じる事になるでしょうし」
紬は腰を落ち着け直す。
「さて、そこでお二人が出くわした方の特徴を教えて下さい。何かあれば後で締める手がかりになります」
「そうねぇ……」
新菜が男の顔を思い出そうと視線を上に上げた時――
部屋中に電子音が響いた。
紬が口に指を当て、二人に静かにするよう伝える。丁度部屋の天井近くを見ていた新菜は部屋のどこかにある赤色灯が作る赤い光の明滅を見た。電子音は数秒ごとに同一パターンを繰り返す。
それが三周した頃、
「事務所。三人」
「ですね」
セレナと紬は一言ずつかわし、立ち上がる。
「折がいいのか悪いのか、犯罪者が現れたようです。わたしとセレナは対処に出かけるので……今日は一方的で失礼ですが――」
新菜は話の途中で立ち上がる。
「助太刀するわ。相手は三人なんでしょ? 人数が多いほうが有利だわ」
毅然とした顔の新菜に、眉をひそめる紬。
「……あなたの実力は評価していますが、責任をもてません」
「大ケガしなきゃ家に帰って寝ればいいだけなんでしょ? 今帰ったらおちおち眠れもしないわ」
「寝る必要はありませんが」
「気分が悪いって言ってるの。それに、話してる時間もそんなにないんじゃない?」
紬はセレナの方を見る。
セレナは無言で肩を竦めた。
「わたしたちの側で争っても仕方ありませんね。無理はしないでください」
「わかってる。切絵は?」
新菜と目を合わせた切絵は、首を縦に振る。
「もちろんお伴します」
紬はため息を付いた。
「そういえば桐生さんも武闘派でしたね。確かに人数が多いほうが有利です。行きましょう」
それを合図に、四人を光が包む。
光とともに四人が跡形もなく消えた室内には、操作がなければ五分間繰り返す設定になっている警報装置の電子音が響き続けていた。
次回は12/23金曜日の更新を予定しています。