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超能力の守護者  作者: プラナリア
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第二話 超能力とハイパースペース

 二人は学校脇から住宅街へ抜け、マンションの敷地へと入っていく。

 マンションは斜面にあり、高低差が大きくならないように横に長く伸びている。生活に必要なゴミ収集場や駐車場も斜面の影響を極力受けないよう、マンションの横に並んでいる。

 建物自体は赤茶色で、縦横に溝がいくつも伸びている。新菜には外壁がレンガ造りを模しているように見えた。

 ――なるほど、家の中には聞かれたら困る人がいないってわけね。

 一人納得しながら紬の後ろについて歩いていた新菜は、建屋の中間部分、窓の数から考えて十二階ぐらいの高さに気配を感じる。

「……!」

 反射的に体重を落とし、腰のあたりに両手を置いて構える新菜。

 紬はそれに気づいて振り返る。

「わたしたちの仲間ですよ」

「そう……結構遠くにいても感じるのね」

 新菜は気配の方を見ながら、身体から力を抜いた。

「ええ。わたしもちゃんと感じていますから安心してください」

 紬はマンションへと入っていき、新菜も続く。

 柔らかい色に包まれた郵便入れの並ぶエントランスの中央に扉とインターホンがあり、紬が操作すると、数秒後に応答があった。

『天道です』

 若い女性の声がスピーカーから響く。

「セレナ。お茶を三人分用意しておいてください」

『客?』

「そうですよ? わかっているでしょうに」

 紬はインターホンを切ると、カードキーで自動ドアを解錠し、エントランスの奥にあるエレベーターに乗る。五階まで階段で昇り降りする団地に住んでおり、似たようなマンションに住んでいる友人や親類もあまりいない新菜には、家に入るのにエレベーターに乗るのが少し新鮮だった。

 エレベーターは十二階で止まる。マンションのちょうど中間の階だ。新菜は自分の気配に対する感覚がかなり正確だと思った。数歩離れただけで距離の差を感じたのだから目の前の相手に対しては厳密に距離感を測れるのがわかるが、その厳密さは距離が離れても変わらないらしい。新菜が新しい気配に気づいた場所と、建物の一階分の高さを想像し、だいたい四十から五十メートルの距離で気づけるらしいとあたりをつける。

 紬の部屋は六十八号室だった。表札には「天道・ソレーヌ」と書かれている。紬が偽名で自己紹介でもしていなければ、彼女の他にもう一人は住んでいる事になる。紬はインターホンに出た相手をセレナと呼んでいた。ソレーヌというのは彼女の事だろうと新菜は考えた。

「帰りました」

「お邪魔します」

 紬に続いて新菜もドアをくぐる。白い壁紙とフローリングの廊下がまっすぐ続いていて、その先にはリビングダイニングが見える。

「客は新米?」

「丁度目覚めたところです」

 よくわからない事を話している紬と共に靴を脱ぎ、外向きに揃えて置く新菜。ドアが四つ並んだ廊下を抜け、リビングダイニングに出ると、金糸を纏めたような髪を背中に垂らした女性が食卓の椅子についていた。

「はじめまして」

「私はセレナ・ソレーヌ。座って」

 頭を下げた新菜に端的に返す女性――セレナ・ソレーヌ。

「えっと……失礼します」

 あまりに味気ない対応に少々面食らった新菜は様子をうかがうようにゆっくりと椅子に座る。

 机の上にはティーカップが三つ並んでいる。

「受け皿をつけなさいといつも言っているでしょうに。それと、来客の際には相手の嗜好を考えて、砂糖とミルクも用意するように常々言っているはずです。大体あなたは――」

「あ、大丈夫よ。あたしいつもストレートで飲むから」

 自分の隣にどかっと座り、腕を組んで金髪の女性を叱りつけようとする紬を見た新菜は身を乗り出してフォローに入る。実のところ、言葉通り砂糖やミルクを使わない新菜は机にそれらが並んでいなくても一向に構わなかった。

「こういう事は逐一注意する必要が――」

「紬、その話は後でも出来る」

 なおもおかんむりの紬を止めるセレナ。内容は気を使うようなフォローではなく、端的に話をさえぎるシャットアウトスタイルだ。

 新菜には二人の関係がよくわからず、伺うように二人の様子を見る。態度からすると紬がセレナの上に位置するようだが、言葉の使い方は全く逆。年齢は言葉遣いの印象と完全に同じで、セレナは紬やもうすぐ中学二年になる自分よりも年上に見える。グラマラスな体つきでライトグリーンのブラウスを着こなすセレナの姿は完全に大人だ。身長は自分より小さく思えたが、そもそも自分がかなり高い方なので、あまりものさしにはならない。小学生に見える紬より幼いという事は無いだろうというのが新菜の見立てだった。

「……では本題に入りましょう」

 紬はようやく落ち着き、話を進める。

「さて、あなたが起こした爆発ですが、タネそのものはそこまで複雑ではありません。超能力が表出しただけのことです」

「はあ……」

 突拍子のない話だが、新菜は戸惑いながらも、それ以上何か言う事もなかった。

 しばし新菜の反論を待っていた紬は、ぽかんとしつつも落ち着いている彼女にしびれを切らしたように半目になった。

「否定はしないんですね」

「してもしかたがないでしょ? あたしはこれって感じの事は何もしてないつもりだったから、一人で結論は出せない。だったら話だけでも聞かせてもらわなきゃ」

 新菜の主張に頭を抱える紬。

「肯定か否定かだけでも分かれば話しやすいのですが……保留ですか。少し説明しづらいですね」

「超能力を見せればいい」

 困っている紬にセレナが助言するが、紬は眉根を潜めたままだ。

「わたしたちの得意なものは手品と代わりませんよ? 見た目だけ、ですが」

「バイタルへの影響は出るはず。証左にはなる」

 紬とセレナの間で話が進むが、新菜はどうにも話の内容が見えない。

 が、かと言って議論に参加するには材料が少なすぎる。

「見るだけ見せてもらえれば少しは印象が変わるかもしれないわ。お願いできる?」

 新菜から促しをうけ、紬はわかりました、と応じた。

「本当に手品そのものでしか無いんですが……」

 紬は気が進まなそうに新菜を見る。

「最初から手品として見ようとしなければ、影響に対する反応も悪い目が出ないはず」

「うん。タネも仕掛けもないって考えればいいのね」

 対して、新菜とセレナはなおも促す。

 紬は観念したかのように一つ息を吐き、机に右手を置いた。

「タネはあると言っているでしょう」

 途端、新菜は背筋に悪寒を覚え、ビクリと身を震わせる。

「トリックを弄さないだけです」

 紬の右手が机へと沈んでいく。

 手首まで机の下に消えた頃、入れ替わり机の中央から右手が飛び出す。

 確かに手品にありそうな現象だが、新菜は悪寒のせいでそう思えなかった。

 紬の手から流れた冷たい空気が脊髄に直接当たる。

 今日三つ目の違和感。これだけ感覚を未知の方向に刺激されては、穿った見方も濁るというものだ。

「ほら。人体切断の手品のようなものでしょう?」

 新菜は紬の声が半ばやけっぱちなのに気づかず、悪寒の流れに神経を研ぎ澄ませている。

 刺激されるのは脊髄の根本、腰のあたりだ。

「……見た目だけならそうかも知れないけど、なんだか変な感覚がするわ。最初にあなたに言われた通り、ずっと違和感ばっかり」

 新菜の目は紬の腕をずっと観察していた。

 紬は状況が好転したことに気づき、新菜がひとしきり自分の腕を観察し終えるのを待って、腕を机から抜く。机の中央から伸びていた右手も同時に沈んで消えた。

 紬の腕には傷一つない。紬は捲れた黒い服の裾を下ろす。

「信じやすい質なんですね」

「かもね」

 新菜は未だ紬の腕を見ている。悪寒は消えていたが、それがかえって新菜の考えを肯定的に変えた。

 ――騙すつもりで寒気を感じさせる手品まで仕掛けられたら騙されるって事よね、これ。

 新菜はそう考えたものの、そこまでされる謂れも思い浮かばなかった。

「では、超能力については信じて頂けたという前提で話を進めますね」

 紬は新菜の方を向いて座り直す。

 藍色の瞳が、新菜をまっすぐに見つめる。

「超能力はコントロールに失敗すれば、危険な事態を引き起こしかねません」

「さっきの爆発がその例ってことかしら」

「ええ。元より身を守る上では爆発させる必要はなかったはずです」

 新菜は首肯する。

 もちろん車が来ないで欲しいと思ったのも事実だが、紬を抱えてボンネットで受け身を取る等、車に対処する方法は幾つもあった。

「コントロールは鍛錬によって身に付ける事は出来ますが、そもそも今のあなたはどうやって超能力を使うのさえわからないはずです」

「そうね……おもいっきり睨みつけちゃったのが関係してそうな気はするけど」

「大抵、超能力に目覚めるには強い意志が必要となりますので、おそらくそれが目覚めた原因でしょう。そして、一度使えるようになってしまうと、身体が使い方を覚え、自然と使うようになってしまうのが超能力です。先ほどあなたが自然と身構えたように、反射的に」

 新菜は口を引き結んだ。自然と使ってしまうというのはかなり危険だ。新菜は車を爆発させた。他のものも爆発させてしまうのなら、彼女は歩く爆弾になってしまう。

「世の多くの人は超能力に目覚めておらず、存在も認知されていません。先の爆発も、原因が超能力とはされず、単なる事故と扱われます」

 新菜は紬の言葉に眉根を潜める。

「でもそれって、一回だけなら、よね? 何度も行く先々で爆発起こしてたら、流石に悪いうわさが立つわ」

「なので一緒に来てもらいました。不安でしょう?」

 新菜は硬い表情で首を縦に振る。

「それにわたしも――」

「紬。脅しつけるのはあなたの悪い癖。考えはわかるけど、不安を持たせても得する事より損する事の方が多いと思う」

 セレナが紬の言葉に割って入る。

「コントロールを学べば自由が効くけど、学ばなくても抑えられる。無くす事も不可能じゃない。日常生活に支障が出ない方法もある」

 セレナはカーディガンの袖をまくる。左手首に白い布が巻かれていた。

「これをつければ、よほどはっきりと狙わない限り超能力は発揮できない。トリガープルがとても重くなるようなもの」

 新菜はしげしげと白い布を見ながら、ふと口を開いた。

「トリガープルって、何?」

「要は暴発しないという事です。先に言っておきたい事がいくつかあったんですが、取り敢えずは危険の排除をしましょうか」

 新菜の疑問を置き去りにして、紬はリビングのふすまを開け、その先の和室へと入っていく。

 和箪笥から細い布切れを取り出し戻ってきた紬は、それを新菜に差し出した。

「付けてみてください」

 受け取った新菜は布を見るが、留め具の類は見当たらない。

「どうやって?」

「やればわかります」

 新菜が試しに左手首に布を巻こうと当ててみる。

 瞬間、再び新菜の背筋に悪寒が走り、布が勝手に腕に巻きついてくる。

 悪寒は布がピッタリ張り付くと共に消えたが、布は腕から外れる様子を見せなかった。

「これが超能力の効用かしら」

「その通りです。超能力に反応して勝手に吸い付いてくれる素材でできています。わたしたちはこれをバンドと呼んでいます」

「リストバンドのバンド?」

「帯という意味ですね。解釈としては正解です」

 新菜は腕に吸い付いた布をしばし観察し、端を掴んで外してみた。多少の抵抗はあったが、簡単に外れる。再び当てるとまた巻き付いた。付け外しに支障や苦労はなさそうだ。

「これをしてれば、ずっとビクビクしてる必要はないってわけ?」

「ええ。コントロールを補助してくれます。無用な時はフィルターとして超能力を大きく抑えこみ、必要な時は開放を手助けして、十二分に扱えるように手助けします」

 新菜はキョトンとした。

「必要な時? 今度こそ車が目の前に来た時とか?」

 紬はニヤリと笑う。

「案外あるんですよ? 例えば――」

 言葉の途中で紬からまばゆい光が広がり、新菜は思わず目を瞑った。

 

 ◇◆◇

 

 空気が変わる。そよぐ風は青い草の匂いを纏い、淡い日差し特有の暖かさが全身を包む。

 新菜が目を開くと、回りには一面の草原が広がっていた。

 そして、木の椅子に座る紬は、鎌を携えている。

「こんな場合です」

 紬は椅子から立ち上がり、身の丈を超える鎌を掲げてみせた。

「物騒ね」

 新菜はあっけにとられながらつぶやいた。こんな鎌を振り回す子どもを彼女は見た事がない。

 車が突然爆発するよりも非現実的な光景に見えた。

「ええ、物騒です。あなたも」

 紬は新菜の手元を指差す。

 新菜は自分が両手に何か持っていることに遅まきながら気づいた。

 ――トンファー……って、服も変わってるのね。

 手元を確認した新菜は、L字状の棍――トンファーを確認するなり、自分の服が白い無地の物に綺麗さっぱり変わっている事に目を見開き、キョロキョロと自分の姿を確かめる。

「わたしも変わってますよ。セレナもです」

 新菜が視線を上げると、確かにセレナの上着が緑色のカーディガンから緑色のスーツに変わっている。紬はそこまで露骨に変化しておらず、新菜はどう変わったのかわからないが、彼女だけが例外ということもないだろうと考えた。

「服が変わったのも超能力? バンドと何か関係があるの?」

 紬はコクリと頷く。

「順繰りに説明しましょう。まずは今いる場所から。ここは超能力者だけが作る事の出来る、通常の世界を超えた空間です。わたしたちはハイパースペースと呼んでいます」

 紬の言葉に首をかしげる新菜。ここがどこなのかは知りたかったが、言葉の意味が理解しづらい。

「何が通常の世界を超えているのかですが、わかりやすいのがわたしたちの『服』と『道具』です。バンドはあくまで布一枚ですので、通常はこれから服と道具を生み出すのは超能力でも役者不足です。ハイパースペースでは、超能力の効果効率が通常空間のはるか上を行きますので、超能力と相性の良い布一枚が『服』と『道具』を生み出せるだけの力を発揮できるのです」

 いまいちピンとこなかったが、新菜は紬の言葉を「この空間では超能力の効果がすごくなる」とだけ理解した。理科で学んだ質量保存の法則は、この空間では超能力で盛大に無視できるようだ。

「じゃあ、超能力が必要な場合って、ここに来て凄い事をしなきゃいけない場合ってこと?」

「いえ、それはまた別です。例えばヒビの入った建物の柱を、超能力で修理しようとした場合、ここに持ち込むわけには行きません。ここには触れているものの中で周囲から独立しているものや、ここへ来る際に『これを持ってくる』と決めたものを持ち込むことが出来ますが、こちらと現実は一対になっているので、こちらに柱を持ってくると、現実では柱が無くなってしまいます」

「建物の中にあるのをそのまんま修理ってわけには行かないわけね。そもそも折れかけた柱を直すために建物崩してたら世話ないわ」

 紬はコクリと頷く。

「倒れてしまってもおかしくありません。少なくとも空間がわかれている事が不便だという事は想像していただけましたか?」

「わかったわ」

 新菜の頷きに、紬は笑顔を見せる。

「それに、通常空間でも困ることはあまりありません。それこそ車を爆発させてみせたあなたなら嫌なくらいわかっているとは思いますが、凄い事が出来ますので。超能力を活かすためにここに来る事は殆どありません」

 紬は鎌で辺り一帯を指示棒のように指し示す。ほんとに物騒だと新菜は思った。

「一番有用な使い方は移動です。既にいいましたが、コチラと通常空間は一対です。今いる場所は通常空間のわたしの家と対応していますが、見ての通り壁も天井もありません。何処かへ向かう時、直線移動が可能です。しかも超能力を移動に利用できます」

 新菜は鎌の切っ先から目を外し、指し示されたどこまでも続く草原を見た。

 しかし、移動すると言われると少し引っかかる。

 ――ここって十二階だったわよね。

 紬の指し示す先に走って行って、現実での居場所が紬のマンションの外になってしまったら、そこから普通に落下しそうだ。

 超能力を利用すれば多少は変わるのだろうと推察はつくが、新菜は方法を教えてもらうまではここを使って移動するのはやめておこうと思った。

「で、その便利な空間でこんな格好をする理由は何?」

 新菜は両手のトンファーを構えて言った。持ち手を回し、重さから金属製らしいと確認する。

「逆説的ですが、この格好が便利すぎるからです。例えば――」

 紬は指し示したままだった鎌を新菜に振るう。

「こういう場合――」

 新菜が振るわれた鎌を見送ったため、紬は体勢とペースを崩され言葉を途中で止める。

 鎌は新菜の鼻先を通り過ぎていったが、彼女は平然としていた。

 狂わされたペースと崩してしまった体勢を直した紬はようやく続きに入る。

「……なんですけど、おわかりですか?」

「いや、よくわかんないけど」

 キョトンとする新菜に、ふぅ、と紬はため息を付く。

「こういうこと――ですよ!」

「っと!」

 思い切り振りかぶった紬が再び振り下ろした鎌の刃の外側を、左腕の棍で受け止めて押し返す新菜。

 紬が一歩踏み込んできたため、今度は防がなければ当たっていた。

 新菜に押されズルリと後方に下がった紬は目を見開いた。

「……何で今度は動いたんですか?」

「当たるからよ。空手を習っててね。目には自信があるの。一発目はどう見ても当てる気がなかった。そういうのって、下手に動いたほうが危険なのよね」

 新菜はトンファーで鎌を受け止めた左腕を訝しげに見やりながら言った。

 紬は二度頷く。

「……そういうことなら、やりやすくてありがたいですね」

 再び鎌が振るわれる。

 新菜は軽く後ろに跳躍し、間合いを離す。

 椅子に座ったままのセレナの方を確認し、今度は新菜が目を見開いた。

 セレナが拳銃を構えている。銀色のそれはまがい物には見えない。

「あなたは拳銃? 『道具』って言うより『武器』よね、完全に」

「その感想は間違ってない。道具はエスの発現だから」

「エス?」

「衝動や攻撃性の事」

 新菜は話している最中に紬の鎌が飛んできたので、とっさに屈んだ。

「よそ見ですか?」

「状況分析は重要なのよ」

 再び向かってくる刃を、今度は両腕で受ける。切っ先が一対のトンファーに挟まれ、止まる。

「空手では鎌の対処法を習うのでしょうか」

 紬は鎌を動かそうと力み、腕をプルプルと震わせている。

「アドリブだけど……まあ、授業はそろそろ終わりにしていいかしら?」

 力比べの様相を呈する中、新菜は不敵に笑って言った。

「余裕ですね」

「ま、しばき合う理由もないしね」

 新菜は挟んだ鎌の刃を引っ張りながら立ち上がり、バランスを崩した紬の後ろにまわる。

「こうしても問題ないんじゃない?」

 新菜はぐらつく紬の右腕をつかみ、関節を極めた。

「痛っ!」

「痛いけどケガはしない。違う?」

 新菜は鎌を受けた時、自分の腕に重い痛みが走った後、すぐにそれが抜けたのに気がついた。

 これは鎌とその速度を見た限り、ありえない事だった。

 痛みは体の異常を訴えるものだが、異常は基本的に後を引く。空手の稽古で同じ動作を繰り返すうち、小さな影響を少しずつ身体に蓄積させてしまう事が多い新菜は、この事を重々承知している。

 その経験から言えば、訴えるほどの異常は基本的にそのまましばらく続くのだ。利き手で逆の腕にしっぺをしてみれば、短くとも数秒は痛みが続くのを確認できる。それが瞬時に引くということは、これらが発生した問題が瞬時に解決したか、あるいは発生していないかということになる。

 この痛みの変化は、車の爆発のせいで受け身を取れずに打ち付けた時に感じた左肩の痛みとも類似する。緊迫した状態で痛みを感じる余裕がなくなったと新菜は考えていたが、ケガがどうにかなっているのなら、当然痛みを感じる理由がなくなる。

 そして、紬がためらいもなく鎌を振りぬいていたのも新菜の裏付けの一つとなった。

 仮にこれが新菜の身体に当たっていたなら、身体には深い切り傷が出来る。新菜が防いだことに対して目を見開いていた以上は、紬の思惑は切られた場合を前提に考えなければならない。

 仮に新菜がバッサリ切られてほうほうの体で病院と警察に駆け込んだなら、傷害事件発生である。優しく出迎えて、同類相手に大問題を引き起こしては本末転倒だ。

 もちろん、そのまま落命すれば今まで説明していたこと自体が無意味になるし、何より紬が新菜と一緒に事故現場を去った理由がなくなる。これも説明の一環と捉えるべきだが、だとすると直接的過ぎるのは疑問点だ。

 新菜はこれらの点から切られても問題ない、痛みはあるがケガはない、と考えた。

 新菜が立てた仮説は簡単に検証できる。

 紬の関節を捻るのだ。

 関節技はしっかり極ってしまうと捻挫や脱臼、靭帯損傷などを引き起こす危険な技だが、同時にその域に至らなくとも捻るだけで相手の行動を抑止しつつ痛みを与える事ができ、護身術でも重宝されている。

 最低限の力と技で、最大限の痛みだけを引き出して、暴漢相手ならその戦意と、場合によっては武器を奪い、今のような考えの分からない相手には拷問のように機能する。

 新菜はとりあえず相手を止めるためにこれを学んでいた。

 もっとも、流石に斬り殺されるかと思った相手に手を抜くつもりはなく、今は完全に危険域まで締め上げているのだが。

 これで傷が残れば自分が切られる危険があったとわかり、問題なければ自分の仮説が当たっている事の証明になる。

 新菜は後者のほうだと考えているが、前者だった場合、それこそ身を守るためにきっちり極めて無力化しておかなければ危険だ。

「だ、だから痛いものは痛いんです! 言うとおりですからやめてください! もうしませんから! 痛いものは痛いんです!」

 紬の叫び声が悲痛になってきた頃、新菜は手を離す。もちろん悲鳴を上げさせたかったわけではなく、再度襲わないと口にするのを待った結果だ。

「じゃあ、こういう場合っていうのは『襲われてもケガはしない』ってあたりで、だから逃げろって教えたかったってのかしら?」

「ええ……本当ならもっと伝える事はあるんですが……恐怖を覚えたら逃げろという原則も本能で覚えていただけますし……」

 目に涙を溜めながらも、紬はすぐさま姿勢を正し、歪んだ表情も元に戻っている。

 痛みが本能的に恐怖を覚えさせるものであるのは、彼女の言うとおりだ。

 その影響が残っている中ですっと戻れるあたり、推察はキレイにあたっていたらしいと新菜は思う。

「じゃ、道具の方は逃げる時に使うわけね。単純に防御に……って考えるとあたしのトンファーとか適切じゃないけど、話を聞く限り好きに選べるわけじゃないみたいだし」

「察しが早いですね。ちょっとあなたが怖いです」

 紬が怯えたように身をすくめる。

「鍛錬の成果よ」

 新菜はそんな彼女に、自嘲気味に困った笑みを見せた。

お読みいただきありがとうございました。次回更新は11/18金曜日予定です。

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