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超能力の守護者  作者: プラナリア
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第十六話 稽古と学習

 赤がちの杉で組まれた床の上に、五人の男女が並んでいる。

 白い道着に帯を締め、揃って上段正拳突きを繰り返す。

 その中に、新菜の姿があった。

ここは新菜の通っている空手の道場だ。週に一度、稽古に来ている。

 周囲の四人は新菜と同じ門下生。壮年の男性から新菜のような子どもまで、年齢の幅は広い。

 五人の前に立つ師範代は、静かに五人の動きを見守っている。

「やめ!」

 師範代の声に、五人は構えの姿勢のまま止まる。

 師範代は新菜の方をじっと見ている。腰の高さで腕を止めたまま、新菜は師範代を見返す。年の頃は三十を越えるくらいだ。

「西ヶ野、少し一人でやってみろ」

「はい!」

 師範代の指示に歯切れの良い返事をした新菜は、右、左、と正拳突きを繰り返す。

「どうした。手打ちになってるぞ。全身を使え」

 突きの合間にかかる指導の声。

「はい!」

 新菜は答えて再び突きを繰り返すが、師範代は眉根を寄せる。

「……何か変な事でもしたか?」

 新菜は指摘に思わずピクリと身を震わせる。拳はあらぬ高さに滑っていく。

「やめ! 自主トレも新しい事もやるなとはいわんが、根を詰め過ぎると別の所に変な癖が出てくる。こっちもまじめにやりたいなら、こっちも時間作って基本からやり直せ」

「はい」

 師範代の当たらずとも遠からずな指摘に、新菜はさっきより小さな返事しかできなかった。

 ――いきなり身体の繰り方が変わって、その上次の日には本番じゃ、癖も嫌ってほどつくわよね……。

 根を詰めたつもりはなかったが、変化は劇的であり、やる気は本気だった。ある意味、根を詰めるよりも質が悪い。変な癖もついて当然だ。基本からやり直したいところだが、問題を把握したのはつい数時間前で、結局間に合わなかった。

 ――見抜かれちゃったものは仕方ないわね。

 新菜は次の稽古に移る最中に、頭を努めて切り替える。

 型の稽古だ。

 新菜にとって身に付けたい目標だったのが、この道場独自の、トンファーを用いた型だった。

 実際に戦うようになった今ではより実戦的な動きへと主眼は移っていたが、出発点という意味ではいつまでも重要であり、譲れない。

 門下生が順繰りに型稽古を行い、師範代に指導を受ける。

 新菜の番が回ってくる。

 ――こっちは一昨昨日も、一昨日も、昨日も、今日もやってた事のベースだし、落ち着いて行けば大丈夫。やれる!

 呼吸を整え、新菜は一礼。

 右、左とトンファーを握った拳を突き、振るって行く。

 事ここに関しては、新菜の動きは流麗そのものだった。

 彼女の考えている通り、毎日のように超能力者と殴り合う、実戦の基礎でもある動きだ。ブレきっていてはどの戦いにも対応できなかっただろう。

 師範代も目を丸くする。

「よし。言う事はない。むしろ良くなってる。今のお前が鍛え直すなら、むしろ一回型をやって動作を確認したほうが、基本の技も思い出せるはずだ」

「はい!」

 新菜の返事は、さっきより快活になっていた。

 

 稽古を終えた新菜は家に帰り、風呂で汗を流す。

 身体を洗い、ボディソープを流した後、握りこぶしをじっと見つめた。

「ちゃんと動けた。けど、感覚はまだ変なまんま……」

 自分一人の空間で、ポツリと呟く。

 そのまましばらくじっとしていたのか、新菜はブルリと震えて身体が冷めてきたのに気づき、湯船へと戻る。

 他の家族が既に入った風呂は、沸かしてから時間が経っているせいで、少しぬるかった。

 湯船から出た新菜は急いで身体を拭き、寝間着に着替える。

 ――って、多少冷えたぐらいで風邪は引かないわよね。超能力に対するあたしの解釈が間違ってなければ、だけど。

 服を着終わり、食卓についてから超能力者の特性を思い出して寒さに身を震わせる新菜だった。

 

「あら、新菜。早いのね。今日学校休みでしょ?」

 翌日、朝六時半に部屋から出てきた新菜に母親が声をかけた。

 今日は入学式のため、生徒は自宅学習という事になっている。が、それはあくまでも平日かつ本来は休みではない日を休みにするための建前で、実際には休みと言って差し支えない。新菜も何処かへ遊びに繰り出すつもりは無いが、取り敢えず自宅で勉強しなければならないと思い込んでもいない。

「目が覚めちゃって」

「昨日と逆だったら良かったのに」

 母親と二人で苦笑いする。

「ホントそうよね……手伝おっか?」

「ありがと」

 新菜は寝間着の腕をまくりながら、母親の隣りに立って味噌汁を作り始めた。

 起きてきた父親も交えた三人で朝食を済ませた新菜は部屋に戻り、普段着に着替えて腰をひねる。コリコリと硬い音が鳴った。

 ――寝たふりは寝たふりで体に堪えるわね。

 新菜は机に向かい、昨日配本された真新しい教科書を一冊引っ張りだす。

 しなければならないと思っている、というのはあくまでも自宅学習という建前の履行であり、それとは別に勉強はしないと成績が落ちる、という危機感が新菜にはあった。

 特に、いつ終わるとも知れない戦いの最中となれば尚の事勉強ははかどらない。宿題を一晩で終わらせてからというもの、まじめに勉強をしていないのは新菜に危機感を想起させるのに十分な時間だった。もっとも、数日も経っておらず、春休み中の怠けのほうが長かったぐらいなのだが。

 朝一番の勉強は漢字の書き取りや英単語の調べ物が適切、と言うのが新菜の持論だった。彼女は彼女の作法に従い、英語の教科書と辞書を机に並べる。紙の辞書を使うのも彼女の好みだ。義務だろうと宿命だろうと、好き好みを重視する事はモチベーション上昇にもってこいである。

 一年の頃から英単語の意味を書き溜めているノートを開き、サインペンで横に一本線を引いて区切りを作る。ここより上は一年の、ここより下は二年の教科書の初出単語である。

 教科書は例文が延々と綴られるページと、授業に沿った日本語のページからなる。初出の単語は例文の下に抜き出されており、辞書を引きやすいよう作られている。

「a……n……t…i…b、i、otics……発音がアンチバイオティクス……抗生物質?」

 新菜は一発目に出てきた単語を辞書で引いて苦い顔をした。

 ――できれば学習範囲外かどうかもわかるようにしておいて欲しいんだけど……

 例文は文章として成り立たせる必要があるため、自然と学習指導要領の範囲から外れた単語も出てくる。文章自体を工夫し、その時点で必要な文法だけで読解でき、重要な単語が逐次出てくる英文にはなっているのだが、その上で多少なりと学生に読んでもらえるようにと労を尽くした結果なのか、内容そのものは異様に高度なものが出てくる事も多く、単語もまた内容に合わせた難しい物が平行して登場する。

「e……n……hance……発音がエンハンス……高める?」

 次の単語も新菜を悩ませた。辞書に併記された記号によると、大学生レベルの単語である。

 思わず実際に文章――例文の表題を訳してみる新菜。

 あくまでも単語がややこしいだけで、幸い文章自体はすぐに意図を察することが出来た。結果として英和辞書を何度も見返す事になったが。

 しかし、それもまた新菜の頭を痛くしていく。

「『抗生物質の品質を向上させるための努力』……何でこんな事を教科書で、しかも英語で読まなきゃいけないわけ?」

 教科書の工夫自体は知っていた新菜だが、それゆえに大きな違和感を覚える。もっと身近な題材の方が実戦的だし、あるいは似たような題材を用いたいのだとしても、専門用語がバンバン出てきそうな題材を避けることも出来たはずだ。中学二年生で覚える単語の都合で技術発展について書きたいのであれば、専門用語が出てくるとしても他に適切なものがあってもおかしくない。新菜の頭には、去年理科でやった電磁気の知識で事足りそうな電気の話などがすぐにいくつも思い浮かぶ。

「ま、あたしが言っても教科書の内容は向上されないわよね。もう渡されてるんだし」

 新菜は気を取り直して辞書を引く作業に戻る。もっとも、やはり専門的な単語が頻出し、困難を極める事になったのだが。

 思った以上に頭を使う作業に新菜の頭は回転数を上げていくが、疲労感も強くなっていく。

 ――それにしても向上、ねぇ。あたしはちゃんと向上出来てるかしら。少なくとも、空手の方は向上させなきゃね。

 文章を訳す為に調べ直したenhanceの意味を教科書に合わせて書き足した時、新菜は勉強を終える事にした。

 普段着を脱いで、トレーニング用ウェアに袖を通す。

 ――授業は極論流してから復習すればいいけど、こっちで流されたら復讐できないくらいボロボロにされてもおかしくないわけだし。

 新菜は稽古で使っているトンファーを握って、母親に出てくると告げてドアを開く。

「お昼は?」

「いる!」

 新菜は母親に叫んで答えつつ、階段を駆け下りていった。


次回は3月3日金曜日更新予定です。

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