第十三話 花弁と昔話
朝五時。新菜は監視を終える。セレナが受け持った引き継ぎの様子を隣で見つつ、何を次の監視に入る人に伝えればいいかを確認した。セレナからメモ帳は返してもらっていたが、今度もメモは取らない。
引き継ぎを終え、ハイパースペースを通って自分の部屋に帰ってきた新菜は、ポケットからいろいろなものを取り出して、手早く寝間着に着替える。一応、ずっと寝ていた事になっているのだ。
――さて、少し寝とこう。
新菜は布団に入り、目を瞑り二時間。新菜はめざましの音とともにムクリと身体を起こす。
部屋の中央に鎮座しているダンボールを見て何事かと一瞬困惑し、偽装に使ったのだと思い出して部屋の隅に折りたたみ、机の脇に隠す。
「おはよう」
洗顔を済ませて居間に入る新菜。
「おはよう。今朝は遅いのね」
新菜の母親がお茶を飲んでいた。父親はすでに出勤しており、食卓には新菜の食事しか残っていない。
「春休みに慣れきって、気が抜けちゃって」
新菜はせかせかとかまぼこに醤油をかける。
「全く。今日からは二年生でしょ? 後輩に示しが付かない先輩にはならないようにね」
「わかってるわよ」
新菜の母親は娘の抜けた姿に溜息をつく。
今日から新学年だ。
新菜は十分で朝食を済ませ、食器を洗い、部屋に戻って制服に着替える。
――携帯、生徒手帳……端末も持ってっとこう。バンドは二の腕にちゃんと巻いてあるわよね。
いつもの準備にプラスして、今まで持っていなかったものも確認し、新菜はカバンを掴んで部屋を出る。
「いってきまーす」
「行ってらっしゃい」
母親の返事を後ろに置いて、新菜は階段を駆け下りていった。
桜並木は綺麗に散っている。ソメイヨシノはもともとそれなりに散りやすい桜であり、更に同じ場所に植えられている桜は大体一つの木を枝分かれさせて増やしているため、基本的には同じ種類以前に同じ木と言って差し支えなく、当然サイクルが似通いやすい。
数日前の上を見れば満開の薄桃色の花が見られた状況から打って変わって寂しい木々に様変わりした風景の中を、新菜は慎重に歩いていた。桜の花弁をあまり踏みたくない。花に失礼だと思ったからだ。
が、学校が近づいてくると事情も変わる。校庭やら校舎の脇やら裏庭やらに多くの桜が植えられているため、盛大に散った後の地面は完全に桜の花びらで覆われてしまう。当然、踏まないようにと思ったら校内に入れなくなる。
踏みたくないという思いを完遂するだけなら、ハイパースペースを利用して適当なところまで移動してしまえばいいのだが、それはそれで馬鹿げた行為だ。そこまで考えて、新菜はそもそも拘る必要がないのだと思い知らされる。
――やっちゃえば気にならないのよ。一回やっちゃえば。
新菜は意を決して、桜の花びらで埋まった校門をくぐる。彼女の思った通り、踏んだところで軽い嫌悪感しか覚えず、何の問題もなく歩き続けられた。
「にーな、どったの? 毛虫でもいた?」
そんな様子を見ていた瑠璃が声をかける。眉根がおもいっきり寄っている。
「あ、おはよう瑠璃。なんか花びらを踏んじゃいけない気がして」
「あいっ変わらず固いね、にーなは。ホント苦労するでしょ」
「ちょっと嫌になる時が多いくらいよ。別に言うほど苦労はしてないかな。何とかなるし」
言葉通り、結局桜の花びらを平気で踏み続けて、新菜は瑠璃と一緒にA校舎の昇降口へ。
昇降口では、生徒会の数人が手分けしてクラス分けの表を配っていた。新菜と切絵もそれを受け取り、自分のクラスを確認する。昇降口は一、二年生がA校舎、三年生がB校舎と分かれているため、学年を確認せずに受け取る事が出来る。
「えっと、ボクとにーなは……」
「二年二組。切絵も一緒よ」
新菜はノータイムで自分のクラスを見つけ出し、瑠璃と切絵のクラスも調べあげる。
「見るの早いね。ボクなんか自分の名前も見つけてないのに」
「簡単よ。出席番号はあいうえお順なんだから、大体何番かは見当がつくわ。瑠璃は下の方、切絵は上の方だけ見れば見落としようがないでしょ?」
「それはそうだけどさ……」
新菜がとっとと自分の下駄箱を見つけたので、瑠璃もそれ以上何も言わず、急いで自分の下駄箱を探す。
二人は階段を登り二階へ。二年生の教室は二階に三つ並んでいる。
最初の席は一応出席番号順と決まっているはずなのだが、すでに来ている生徒が思い思いに着席していて、新菜の席のはずの場所はとっくに埋まっていたため、瑠璃と一緒に窓際の席に陣取ることにした。腰のあたりから天井近くまで伸びる窓から、新菜の机へと陽の光が入ってくる。
新菜は大きく伸びをしながら、窓の外の景色を眺めた。
自分の奮闘が虚しくなるほどの桜の花びらに埋め尽くされた校門や、先日切絵と話した裏庭に続く細い道、体育館や渡り廊下が見える。
――前のクラスより少しだけいい眺めね。
一つ上に上がったことを実感する新菜だった。
「にーな。この前の話だけどさ」
「え? ……ああ、超常現象の話?」
瑠璃は新菜の隣の席で、ワクワクしながら新菜の方を見ている。どうやら話し相手が見つかったと喜んでいるようだ。
新菜はどうしたものか、と考える。迂闊な事を言って、この前の瑠璃流の理屈っぽさから変な疑いを掛けられても嫌だが、かと言って話に乗らないのも先日話を聞かせてもらった身としては悪い気がした。
――いっそ、どう考えてるか聞いてみようかしら。
「ねえ、超常現象はこの前の話でなんとなくわかったけど、超能力者はどうなの? 宇宙人でもいいけど、知られていない現象そのものを起こせてる個人はいると思う?」
新菜の質問に微笑む瑠璃。心の底から楽しんでいる。
「そりゃ、いると思うに越したことはないよ。ありえないからないっていうのは、この前言った通り少し早計だけど、それは当然人の考えや人そのものにも言える。未確認の現象を確認出来るくらい再現できる人が一人でもいるなら、それ以外の全人類を調べたところで結論と正解が食い違っちゃうわけだし」
新菜はなんともスケールのでかい話に一瞬理解を阻害された。
「……そんなに珍しい事なの? よくいるじゃない。自称だけど」
そのせいで、つい明後日の方向に話を飛ばしてしまう。
「それが本物なら、ね。一応検証を受けたとされる人たちは、大体が疑問点を残したままか、否定出来る仮説の存在を許したままなんだ。どう見ても手品としか思えない人も一杯いるし、あんまり世の中に出てる人の事を参考にはしないほうが良いね」
瑠璃は人差し指をまっすぐ上へ立てる。大事な事に差し掛かった時に見せる彼女の癖だ。
「超能力者や宇宙人がいたとして、表に出てるなんて事はまずありえない。第一に否定されてる人ばっかりで信頼されないっていうのがあるけど、それ以上に彼らには避けようとしている事がある」
もったいぶった言い方に、新菜はしぶしぶ期待されているであろう一言を口にした。
「何を避けようとしているわけ?」
「迫害だよ」
少し誇ったように胸を張って、瑠璃は断言した。
「そんなに忌み嫌われるかしら?」
新菜は自分が丁度今その立場にあるせいで思わず言ってしまったが、遅れて自分の回りの超能力者から、知られるのを忌避していると聞いたのを思い出す。
――あ、なんかまずいところまで引っ張りだされてる気がする。
完全に自爆なのだが、遅まきながら新菜はその事に気付く。
もっとも、瑠璃のほうは何か新菜から聞き出そうとしているわけではないらしく、自説を展開し始めた。
「そうだよ。例えば、超能力自体はそこまで迷信じゃなかった時代の話なんだけどね」
瑠璃は昔話を始めた。と言っても、夢もなければ喩え話でもない。昔話として語られれば落第点になるような、面白みのない歴史の話だ。
かつて、今ほど超能力が否定されていなかった時代があった。歴史の上では、その時代のほうが長い。超能力という概念自体は無く、時代時代に沿った考え方があったが、超常現象を起こす人間に対して、今ほど否定的な論調ではなかった。
しかし、それこそが悲劇の温床だった。
実在するかもしれない超能力者が、どこかで何かをしようとしている可能性。
それは恐怖である。いつ自分の及び知らないレベルの力を振るわれるか、わかったものではないからだ。
結果、人々は超能力者に畏怖を抱いていたのだが、それは時に排除へと変わった。
悲劇的なのは、その対象が実際に力を持っているのかも、持っているとして恐れるほど危険なものなのかも調べがつけられない環境で排除されていった事だ。
ある時代には、知恵のある者が、人心を拐かすとして処刑された。
ある時代には、謀略を張り巡らせ上り詰めた者が、当人の持つ以上の力を持つと信じて恐怖に駆られた家臣に謀殺された。
ある時代には、手品で上流階級に取り行った者が、人ではないと判断されて処刑された。
現代に生きる超能力者がいたとして、現代になって突如超能力が生まれたというのは考えづらい。今いるのなら、かつてもいたと考えるべきであり、その時の流れは先に上げた時代と完全に離れているはずはない。地球上に生きているのであれば、世界はつながっている。
宇宙人は尚の事複雑だ。かつては宇宙の有り様が、現代とは全く違うものと考えられていた。その頃自分が宇宙から来たと言い、そしてどのように地球にやってきたのかなんて話をしてしまえば、それ即ち異端である。そして、研究が進めば進むほど、普通の方法で地球へと宇宙人がやってくるのは難しいと考えられるようになっていった。これまた、超能力者のパラドクスと同じものに陥ってしまっている。
では、身の潔白を証明すれば良いのか、というとそうでもない。
出来る事がこれしかない、と世の中に明かし、その枠内において事実であると確認されれたとしても、内容次第ではそれこそ恐怖を増長するのみとなりかねない。
いつか来る沸点を越える日を怯えて待つ他無くなってしまうのでは、そもそも世に出る必要がなくなる。
ゆえに、本物であれば尚の事世には出てこないだろう。
「まあ、それでも出てくる酔狂な人の中に本物がいて『こんな不思議な事があるんだ』って思わせてほしいなってボクは思うんだけどね」
瑠璃は自分の展望を最後に付け加えて話を終えた。
新菜は黙りこくったまま、顎に手を当て考え込んでいる。
――思った以上に正体を明かせないのね、あたしたち。
瑠璃は中学生である。別に専門家ではない。
そんな立場でもここまで断言できるのだ。
特に悲観しているという様子もない。むしろ、彼女自身も相当酔狂な考えでいるのが最後の一言からわかるが、それでも出している結論は無慈悲な危険を明らかにしている。
他の人であればどうかは、瑠璃の話に出た歴史のほうが雄弁に語っているだろう。
超能力者が露見を避けている理由もよくわかるというものだ。
自然と、新菜の顔は難しいものになった。
「にーな、話が難しかった?」
「うーん……確かに難しいわね」
難しい理由は両者違えど、言葉だけで見れば全く同じ結論となり、二人はこれ以上難しい話をしても頭が痛くなるだけと、話を終えたのだった。
PCが壊れたため2週間ぶりの更新となりました。次回は2月10日(金)更新予定です。