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一瞬、自分が空を飛んだのかとラヴィは錯覚した。
身体がフワっと宙に浮く感じだ。
それも一瞬で、その直後に何が何だか分からないまま、いま自分を抱えている人物を見上げた。
「全身黒づくめ男」のガイ。
彼は、ラヴィに向かって放たれた矢を、ラヴィを抱き寄せて避けた。それも、素早く。
その直後、矢はまた放たれた。
ガイは今度はラヴィの腰をしっかり抱えて、跳躍した。
実際は軽く飛び越える程度の跳躍だったのだが、ラヴィには空を飛んだかと思うくらい、軽やかな跳躍だったのだ。
見た目はそんなにガッシリとした体格ではないのに、意外と力持ちなのね…などと場違いな事をラヴィは考えてしまった。
矢の攻撃は二度では終わらなかった。
三度目が来る直前に、ガイはラヴィを背後に庇いながら自分の剣を抜いた。
しかしラヴィには、ガイが剣を抜く姿が見えなかった。背後にいたからではなくて、あまりにも素早すぎて見えなかったのだ。
三度目に放たれた矢も、間違いなくラヴィを狙っていた。だが、狙いは正確だったが、それよりもガイの剣の腕の正確さが勝った。
キィィィン!という音が響く。
ガイは長剣を振り、飛んでくる弓矢を剣の刃でいとも簡単に払ってしまったのだ。
矢の打つ速さは、普通常人にはなかなか見えない。それが見えただけではなく、剣で正確に払いのける事はよほど剣技に長けた者にしか出来ないはずだ。
ラヴィも、目の前でそんな事を見たのは初めてで、思わず目を見開いてしまった。
次が来るかとラヴィは構えていたが、ガイが動く様子はない。
「気配が消えました。どうやら逃げたようですね」
緊迫した空気とは対照的に、ガイは穏やかな声音で言い、ラヴィに振り返った。
「大丈夫でしたか?いきなりで驚いたでしょう?」
黒づくめのガイは、先ほどまでの状況とは真逆な、穏やかな表情だった。
ガイはいきなりの攻撃や、剣で反撃した事でラヴィが怯えているのではないかと気遣ったようだが、ラヴィはラヴィで、別の事に驚いていた。
「えぇ…。驚いたわ。あなた、とても剣が上手いのね。それにすごく戦い慣れてるわ」
ラヴィの言葉に、ガイのほうが驚いた様子で、
「え?…そんな事に驚いたんですか?…いきなり攻撃されて、怖くありませんでしたか?」
ガイは戸惑いながらもラヴィに尋ねる。
「怖くはなかったけど…。あなたが、見かけよりも素早く反応したり剣が上手くて、びっくりしちゃったわ」
「見かけより…?僕は…素早く動かなさそう…ですか?」
ガイはラヴィの言葉にショックを受けたようだ。
「あ、ごめんなさい。変な意味はないのよ?さっき会ったばかりなのに。でも、穏やかそうな人だなぁって思ってたから…」
相手に誤解されないよう、ラヴィはできるだけ丁寧に伝えた。
「助けてくれてありがとう。あなたまで巻き込んでしまって…ごめんなさい」
「いや…いいんです。君は、命を狙われているんですか?」
「…どうやら、そうみたい。追いかけられてるのは知ってたけど、さっきの人達は私に殺意があったみたいだし」
「…君は…狙われる心あたりがあるんですか?その…何か、罪をおかした…とか」
とても言いにくそうに、ガイは尋ねた。
「罪はおかしてないわ。でも、濡れ衣を着せられて、その黒幕に追われてるの。だから、あなたは私を助けてくれたけど、犯罪者を助けたわけじゃないから安心してね」
ガイを気遣ったつもりで、ラヴィはつとめて明るく答えた。
善意でラヴィを助けてくれたガイが、ラヴィというお尋ね者を助けたとして、共に追われてしまうのは当然避けたい。
今の刺客がオーバに報告して、ガイまで追われてしまうだろうか?
これ以上ガイが巻き込まれないうちに彼とは別れたほうがいいな、と思った。
「ガイ、早くあなたと離れないと、あなたまで刺客に追われてしまうから…。私はもう行くわ。2度も助けてくれてありがとう。いつかまた会ったら、きちんとお礼をするわ。ごめんなさい」
そう言うと、ラヴィは自分の荷袋を持ち直し歩き出そうとした。
すると、それまで黙っていたガイがラヴィの腕を取った。
「どこに行くつもりですか?」
「とりあえず、西国の国境から出来るだけ離れないと」
「では、僕も一緒に行きます」
思いもかけない言葉にラヴィは焦った。
「何言ってるのよ!あなたは関係ないんだから、私と一緒にいないほうがいいわ!」
「君は、命を狙われていることを何でもない事のように言いますが、慣れているわけではないですよね?このまま君を1人で行かせたら心配ですし、僕もみすみす死ににいかせるみたいで寝覚めが悪いです」
「…ガイ。あなたはいい人ね。だから、余計あなたを巻き込みたくないわ」
掴まれた手を、もう片方の自分の手でそっと離した。
ラヴィもここは譲るつもりはない。
「僕はちっともいい人間なんかじゃありませんよ」
そういうガイの表情にはどんな感情が隠れているのか、ラヴィには見抜くことができなかった。
でも、やはり他人を巻き込んでいい事情ではないのだ。
ラヴィは意思をしっかり持った瞳で、ガイから目を離さなかった。
すると、しばらくしてガイが小さなため息をついた。
「…君は頑固ですね…。では、妥協してどこか安全な場所に君を連れて行くまで、一緒にいます」
「…もう!そんな妥協案もいらないったら!」
「僕が今まで出会った中で1番の頑固者ですね」
失礼な!と、ラヴィは怒ったがガイにはちっとも、その怒りは伝わらなかったようだ。
ガイはラヴィの返事なんて聞くつもりもないらしく、ラヴィの手荷物を素早く持って歩き出してしまった。
「ちょっと!私の荷物、返してよ!」
人質ならぬ物質だ。
荷物を返してもらわない事には、ガイと離れられないではないか。
ラヴィは、さっさと歩きだしたガイを小走りに追いかけた。
***
ラヴィへの第一印象は、「生まれて初めて出会った人種」だった。
今までガイに「見かけよりも素早く動ける」なんて言った人間はいない。
「いい人」とも言われてしまい、これには、さすがにガイも動揺してしまった。
矢を放たれて狙われたというのに、まるで怖がる様子もない。
かと言って、刺客に命を狙われ慣れているわけでもない。
一見、普通の町娘のようにも見えるが、彼女が纏う生成りの上衣やスカートやズボンは、誂え方からして普通の町民に買える品物ではないはずだ。
彼女自身も細く小柄ではあるが、滝から落ちたにしては血色もいいし、栄養も充分に足りているらしい。
随分とちぐはぐで、何か訳ありな香りのする娘だと思った。
今までガイの周りにいた女性達とはまったく異なるタイプだ。
相手に媚びず、礼儀もわきまえているし、真面目で思いやりのある性格なのだろう。
そんな少女が、何故刺客など向けられているのか。濡れ衣だとラヴィは言うが、その言葉が真実ならただ純粋にラヴィが気の毒だと思うし、ましてやまるで戦うすべを持たないであろう少女に、随分と卑怯な奴が相手だなと思う。
ガイはふと自分の少し後ろを歩いている少女を見る。
足の怪我は治ってはいないが、歩く程なら問題はないようだ。
何やら自分の荷物をいい加減に返すよう促しているが、そのとおりにあっさりと返すほどガイは素直な人間ではない。
よくよく観察してみると、表情がクルクルとよく変わる。見ていて飽きないなと思った。
やはり、彼女には黙っている事はあるようだが、裏は無さそうだ。
となると、やはりこのまま放置すればまた追っ手に襲われて、自分が寝覚めの悪い思いをするだろう。
純粋な親切心で、ガイはラヴィをどこか身を隠せる安全な場所まで送ろうと考えたのだった。