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目を開けたのに、眩しくて思わずまた目をつぶってしまった。
小鳥の鳴く声が聞こえる。
木々が揺れる音も。
ラヴィは自分が屋外にいるのを感じ、再びそっと目を開けた。
鮮やかな緑色をした木の葉がたくさん視界に入り、その合間に空も見える。
目が明るさに馴染んでくると、次は自分の手が当たっている草の触感と、耳もとで草が揺れる音も気になるようになった。
あれ…?
私、あれからどうしたんだっけ?
…王城から逃げ出して…王都からは逃げ出せたんだっけ?
ラヴィは記憶を手繰り寄せようと、あの夜の事を思い出そうとした。
王城の一室の前で立ち聞きした事。
テダ王の暗殺計画を知り、廊下を走って逃げて、友人のレイカに助けてもらった事。
その後…
そこまで考えていた時、カサッと草を踏む足音を聞き、ラヴィは咄嗟に目を開けて起き上がろうとした。
いつものラヴィならば、もっと素早く起き上がれただろうし、起きた後に態勢を整えてすぐに動けるように構える事もできたはずだ。
しかし、この時ばかりは難しかった。
身体のあちこち、肩や腕や背中が何故か痛むし、左の膝下あたりにも痛みを感じる。
そのせいか、とても鈍い動きにはなってしまったが、なんとか上半身だけでも起き上がり、手を地面の草の上についた。
そして顔だけは音のした方向を見ていたラヴィは、思わず息をのんだ。
真っ黒な塊…ではなく、真っ黒な人影が目に飛び込んできたのだ。
人…よね?
思わず我が目を疑うラヴィ。
もしかして自分を迎えに来た死神かと一瞬思ってしまった。
その人物は、身につけている衣服すべてが黒で統一されており、昼間の木漏れ日の綺麗な森の中には到底似合わず、むしろ馴染めずに浮いているほどの異様さだった。
ラヴィが目を見開いて見つめる人物は、ゆっくり近づいてきた。
「あ…あの…」
声をかけたはいいが、ラヴィは何と言ったらいいか分からなくなってしまった。すると真っ黒な人影は
「気がつきましたか。身体の具合はどうですか?脚は痛みますか?」
声で、男性だと分かった。
見た目は怪しさ充分だが、他人を心配する余裕があるならば、きっと優しい人なのだろうとラヴィは思った。
脚?
そういえば、左脚の膝下あたりに鈍い痛みを感じる。
生乾きのスカート生地の上から脚を触ってみるが、どうやら骨は折れていないようで安心した。
しかしスカートの下に重ねて履いているズボンを見てみると、大きく裂けていて、そこからラヴィの肌が見えている。ちょうど裂けた部分には、それなりに深さのある切り傷が見えている。
「やっぱり切れていますね。治療しましょう」
男性は一方的にそう言って、ラヴィの近くにしゃがみ何やら手に持っている荷袋をガサガサと開けて中から何かを出そうとしている。
ラヴィは混乱した。
この黒い人は誰?
ここは何処で、私はなぜ怪我をしているの?
追っ手は?
分からない事が多すぎて、考えがまとまらない。
ラヴィが必死に頭を動かしている間にも、黒い男性は袋から薬草の入った小袋や布などを用意していた。
「さぁ、脚を出して」
「え!?」
さも当たり前の事のように平然と言われたが、ラヴィにとってはとんでもない事だ。
うら若い乙女が、見知らぬ男性に素肌を、脚を見せて触らせるなんて…
考えただけで顔が赤くなりそうだ。
「あ…あの!自分で治療できます…」
もうすでに頬は赤かったかもしれないが、ラヴィの恥ずかしさを読みとってくれたのか男性は、あっさりと引き下がり、ラヴィに薬草と布を手渡してくれた。
男性に「ありがとう」と言い、ラヴィは彼から少しだけ身体の向きを変えてスカートを膝までまくった。
さすがにズボンを脱ぐ事は出来ないが、傷の部分だけズボンの布が裂けているおかげで、脱がないまま治療が出来そうだ。
小袋を開けると中には傷の化膿止めに使える野生の植物の乾燥した物が入っていた。以前旅をしていた頃に常備していた薬草と同じ物だったので、これなら使い方が分かる。
ラヴィが薬草の葉をよく揉んでいると
「その布は綺麗なので包帯がわりに使ってください」
横から男性が声をかけてきた。
男性にお礼を言い、ラヴィは揉んだ薬草を、傷口にあてて布を巻きつけた。
傷は深いが血は止まっているので、布を汚す心配はなさそうだ。
ラヴィが布を巻き終わった頃を見計らったのか、男性は筒に入った飲み水を差し出してくれた。
「あの、何から何まですみません。どうもありがとうございました」
丁寧にお礼を言い、一体どんな経緯で自分を助けてくれたのか聞こうとした。
するとラヴィが聞くより先に
「君はこの近くの川の岸辺に倒れていたんです。半分身体が水に浸かっていました」
「え!?…そうだ!私追いかけられてて、確か森の外れの川まで逃げて…滝に落ちたんだわ!」
「滝に!?」
西国の王城からは、とある抜け道を使い都の外れまで一気に逃げることができたのだ。
ただ、そこから西国の外れにある森まで来ると追っ手に追いつかれてしまったのだ。
追っ手の兵は騎馬隊だ。
いくら旅慣れていても女の足には簡単に追いついてしまう。
森にある川まで必死に逃げたけれど、矢を撃たれ、バランスを崩して川に落ち、流されてそのまま滝壺に落ちたのだ。
「滝に落ちた割に、怪我がそれだけですんで…運が良かったですね」
男性は随分と驚いた様子だ。
「…ほんと」
我ながら自分の頑丈さに感心した。
日頃から、仕事上よく動くし、体力にも自信はあるほうだ。
とにかく滝に落ちた後も流されて気を失っていた自分を、この黒ずくめの男性が助けてくれたのは間違いない。
「あなたのお陰で助かったわ。本当にありがとうございました」
改めて礼を言われ驚いたのか、男性は小さく「いえ」と言い、「立てますか?」とラヴィを気遣い手を貸してくれた。
男性に手を貸してもらい立ち上がったラヴィは、若干痛みはあるものの、歩くことが出来そうで安心した。
今は無事だが、追っ手がまた来る可能性がある。
「あの、この森に詳しい?私、方角が分からなくて…東国の国境の方向だけでも分かれば助かるのだけど」
「あぁ、それなら。川の上流があちらで、西国との国境もあの方向なので…」
「え?西国との国境?東国との国境じゃなくて?」
「えぇ。今いる場所は東国ですからね」
ラヴィは男性の言葉に固まった。
聞き間違いだろうか?
「あの、ここって…東国なの?」
「はい。東国の端にある森ですよ」
「…」
まさかと思いたかったが、ラヴィは滝に落ちた後、国境を川に流されて越えてしまったらしい。