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目を覚ますと、まず気温がいつもより高いのを感じた。
ここのところずっと森で1人でいたし、人と接することがなかったので、季節感すら感じずにいたけれど。
もしかすると春はまもなく終わり、初夏という暖かい気候に入るのかもしれない。
そんな事にすら他人事のように考えて、青年は立ち上がった。
野宿のせいで、さすがに身体が痛いというか固いというか。
その場で軽く伸びをして、青年は近くの小川のある方向へ歩きだした。
その青年は、まず服装に問題があった。
まだ若く、顔立ちも整っているし背丈もそれなりにある。
髪の毛は短く整えてはいるし、東国の民の特徴である濃い茶色が彼の藍色の瞳とよく合っている。
実は身体の筋肉もそれなりに鍛えられているのだが、今は着ている服に隠れているので見た目は男性にしては細身に見えるかもしれない。
そう。
その服が、彼の身体的特徴を大いに隠している。
上位は黒いシャツ。
下は同じく黒いズボン。
足元は黒の革製のブーツ。
拾い上げた裾の長いローブも、漆黒だ。
まさに上から下まで、真っ黒。
その真っ黒さが、明るい朝日の輝く中、鮮やかな緑広がる森を進む様子は、まるで異様な光景でもあった。
残念な事に、その異様さを伝えてくれる人は周りにいないし、何より本人がそれを異様だとも思わずに、むしろ満足している。
彼は自ら好んで黒を纏っていた。
小川につくと、簡単に顔や身体を洗い、完全に目を覚ます。
ふと今いる場所から、川の上流のあたりに目をやると、何やら金色に光る何かが見えた。
おそらく太陽の光が反射して金色に光って見えるのだろう。
青年は岸に上がり黒い衣服を再び纏うと、その金色の何かが見えたあたりに近づいてみた。
この小川は東国の外れにある山脈から流れてきている川で、雨の降った後などはもう少し水量が多いのだが、今は水量は少なく、川岸だと水深も青年の膝より低いくらいだ。
そんな川岸に、光る金色の物体はあった。いや、正確には「いた」。
「…人?」
彼は呟いた。
金色に輝く正体は朝日に反射した濡れた長い髪。
うつ伏せなので顔は見えないが、白くほっそりとした腕が岸辺に向かって伸ばされており、その人物の膝上くらいから下は川の水に浸かっている。
腰から下はふわりとしたスカートを履き、スカートの下に細身のズボンを履いている。
もちろんズボンは完全に濡れており、スカートの裾も水の流れにゆらゆらと揺れている状態だ。
長い癖のある髪は、日の光で金色に見えるが、よく見ると淡い茶色だった。東国でも、隣の西国でも珍しい色合いだ。
つい青年が観察をしていると、「…う…」とその人物からうめき声が聞こえた。
どうやら生きているらしい。
青年は近づいてその人物を仰向けに直し、そっと上体を起こしてやる。
頬に濡れた癖っ毛が張り付いていたので、手で直してやると、白い肌の若い女性の顔が現れた。
水に半身がつかっていたせいか、顔色が悪い。
青年はその女性を抱き上げて、岸に上げた。
すぐに、これは夢なんだとラヴィは分かった。
だって、目の前には今はいないはずの父の姿があり、父は笑っている。
焚き火をして父と向かい合っている自分がいて、これはまだ父と各国を旅して回っていた頃だと気がついた。
見るもの、聞く話、食べる物。すべてが始めての体験で、ラヴィには新しい発見ばかりの日々だった。
そんな旅の途中で、「にいさま」に出会った。
「にいさま」はちょっとした事故で、自分の旅の同行者達とはぐれてしまい困っていたところ、ラヴィとラヴィの父に出会った。
そこで3人は、「にいさま」の仲間と合流できる場所まで共に旅をする事になったのだ。
父以外の人と長く一緒にいるのは初めてだったが、「にいさま」はとても物知りでラヴィに「勉強」という分野の知識をたくさん教えてくれた。
それまでは文字を書く事くらいしか興味がなかったけれど、「にいさま」が言うには、本をたくさん読んで知識を蓄える事が楽しいらしく、ラヴィは町の宿屋に泊まった際は貸本屋や宿屋の本などを借りて、読書をする習慣を身につけた。
「にいさま」は、ラヴィの父に剣術の稽古をつけてもらうようになった。
当時のラヴィは知らなかったが、父は剣の腕前は相当なものらしく、ラヴィが産まれる前は、大きな街でひらかれる剣術の大会などで、何度も優勝経験があるほどの腕前だったらしい。
「にいさま」も強いと思ったが、父はそれ以上だったのだろう。
2人は稽古をしながらも、あぁではない、こうでもない、と剣術談議に花を咲かせていた。
そんな日々が、とある大きな街、西国の王都に着くまで続いた。その頃には3人はかなり打ち解けて、もはや家族同然の仲になっていたと思う。
だから「にいさま」はラヴィにとって、血が繋がらなくても本当の兄のような存在となった。
父は、西国に身を寄せて暮らすようになってから、何年か後に事故で亡くなった。
父親がいなくなったラヴィには、家族は「兄さま」だけになってしまった。
どんなに仲が良くても、血が繋がっていても、悲しく寂しい別れがあるのだとラヴィは知った。
出来れば、そんな悲しみは経験したくはない。避けては通れないのだとしたら、尚更諦めずに運命に抗いたいと思った。
父の時のように、何も出来なくて後悔するなんて嫌だ。
「兄さま」に何かあれば、駆けつけて助けたい。
そう。たとえ「兄さま」が誰かに命を狙われるような事があれば、絶対に助けたい。「兄さま」が、「暗殺」されると知ったなら…
「テダ兄さま」が、暗殺される…!!
ラヴィは、夢からいっきに覚醒した。頭の中は、大事な家族同然の「兄さま」の事しかなかった。