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カデル王子付きの女官の中では、17歳のラヴィが1番年若かった。
そのせいもあってか、カデル王子はラヴィに1番懐き、毎晩の寝かしつけは必然的にラヴィの仕事となっていた。
この日もカデル王子はベッドに入ると、早々に寝息をたて始めた。
ここのところ、城内は落ち着かない日々が続いていた。
隣の東国で、近々新国王の即位式が行われるのだが、西国の国王が賓客として招かれたため、その支度のために皆が慌ただしく働いていた。
国王がみずから隣国に赴くのは、かなりの大事だ。
連れ立つ共、護衛の兵士、持参する大量の荷物。
更には留守の間の各仕事の引き継ぎやらで、城内のあちらこちらで皆が忙しなく働く様子が伺えた。
実質的に、東国へは行かないカデル王子付きのラヴィには体して影響はないのだが、それでもラヴィには気がかりな事があった。
西国の王都から、隣の東国の王城までは、馬や馬車で向かうと5日程度で着くらしい。
しかし、国王一行は当然身一つではないため、かなりの大人数での移動になる。
おそらく通常の行程の倍以上の時間がかかるはずだ。
即位式より数日早めに到着する事を踏まえて、かなり日数に余裕を持って出発したはずなのだが。
そして、ラヴィの気がかりはそれだけではない。
西国と東国の国境は、山脈の麓にとても近く、気温差も西国の王都と比べると、国境付近はかなり冷え込むはずだ。
「国王陛下、お風邪を召されなければいいのだけれど…」
すっかり寝入ったカデル王子の肩まで毛布を掛け直し、ラヴィは呟いた。
夜間を担当する側仕えの女官に声をかけ、ラヴィは王子の寝室を後にした。
城内は静まりかえり、昼間の賑やかさに慣れているラヴィにはなんだか落ち着かない。
けれど、廊下にある幾つもの小窓から見える三日月は、白く輝いてまるで夜とは思えない程明るく、ラヴィは思わず見惚れてしまった。
テダ陛下もこの綺麗な月をご覧になっているかしら?
2日前に東国へ向けて出発した国王一行は、今頃は西国と東国の国境付近近くまで進んでいるはずだ。
おそらく、今夜は西国の領内にある貴族の邸宅か別荘に宿泊しているだろう。
東国の王都へは、東国の国内に入ってからが長いと聞く。
幼い頃にラヴィも東国へは父と赴いているのだが、さすがにどれほどの距離や時間がかかるのかまでは記憶にない。
しかし、どんなに距離があろうとなかろうと、西国王が城を離れるのはそれなりの危険と、万が一の場合の保険が必要だ。
旅の間に国王の身に危険が無いとは言い切れないし、国王が不在の間の西国内の情勢も懸念される。
西国では、国王不在の間は政務は王妃を筆頭に宰相、大臣達が取り仕切る。現王妃はしっかりと留守を守り政務をこなせると信用がある人物だから、問題はないのだ。
しかし、ラヴィは残された自国よりも旅立った国王陛下の身の安全を心配していた。
陛下は即位前に何度も遠征や視察などで、城から離れる経験もあったし、兵士達と野営経験もあると仰っていた…。
ご自身もお強いし、何より運のいい方だもの。大丈夫。
そう自分に言い聞かせながらも、また頭の隅では国王の心配をする。
一行が出立してから、ラヴィの頭の中はこの繰り返しだった。
テダ様が無事に東国に着きますように。
無事にお仕事を終えられて、西国に戻ってきますように。
明るい夜空に向けてか、もしくは白く輝く三日月に向けてかは定かではないが。
でもラヴィは、テダ国王陛下の無事を何かに祈らずにはいられなかった。
王城のカデル王子の私室から階下へ降りると、ラヴィはふと廊下の奥にかすかな灯りが見えることに気がついた。
オレンジ色の燭台の灯りだ。
今ラヴィがいる辺りからは遠いが、視力に自信のあるラヴィは見間違えたりしない。
一室のドアの下の隙間から、室内の灯りが漏れているのだろう。オレンジ色の線になって見える。
まだ誰か起きているのかしら…?
そう思い、止めた足を再び階段を降りるために動かした。
が、一歩進んだところで、ラヴィはピタリと止まった。
何か予感めいたものを感じたのだ。
…何故だろう?すごく気になる。
階段を離れ、廊下に降り立って遠くのドアを見つめる。
さすがにこの距離では、人の気配までは感じられない。しかし、普段おっとりしているラヴィが、国王一行不在の今、自分でも分かるくらいに警戒心が強くなっている。
そんな時だからこそ、気になるのだ。
ラヴィは足音をたてないよう細心の注意を払いつつ、ゆっくりドアに向かって歩き始めた。
長い廊下の、突き当たりから2番目の部屋。
確かこの階の部屋は、賓客を招いた時用の客室になっているはずだ。
普段は掃除に入る事はあるだろうが、今は特別な来客はいない。
ラヴィはますます違和感を拭えなくなった。
とうとうドアのすぐ手前まで来ると、ラヴィは足を止めた。
誰かの灯りの消し忘れなら、それを片付ければいいだけのこと。
万が一不審者なら、警備の兵を呼びに行く。
頭の中で冷静に考えて、気配を消しつつ、室内の音に耳をすませる。
すると中から話し声が聞こえた。
重厚な壁やドアだから、普通の人間には聞こえないだろうが、ラヴィはそうではない。
幼い頃からの旅から旅への生活の中で、視力だけでなく聴力にも優れるようになったのだ。
多分、近づけば聞こえるはずだわ。
ラヴィは慎重にドアに寄り、触れないギリギリまでのところで耳をドアに近づけた。
すると男性の声が聞こえてきた。
「……契約書…サインを…」
「…予定どおり…」
複数の男性の声だ。
室内の気配をはかりたかったが、今は自分の気配を消しつつ、知られないよう耳をすませるだけで精一杯だった。
よく分からないが、何かを話し合っているようだ。
誰かが灯りを消し忘れたわけでもなく、泥棒が調度品を盗もうとしているわけでもなさそうだ。
部屋を話し合いに使っているのなら、自分が出る幕ではないなと思い、ラヴィは踵を返そうとした時。
「…テダ王を暗殺…」
とんでもない言葉を聞いてしまった。
「…契約だ。…ここにサインしておいたから」
テダ王。
暗殺。
ラヴィは血の気が引くのを感じた。
「王都…城に…」
まだ会話は続けられている。
しかし、ラヴィは聞いてはいけない事を聞いてしまったと察し、急に息苦しくなった。
そして自分の手足の冷たさがやたらとはっきり分かるだけだ。
あとは、…
あとは、そうだ。
ここから離れなければいけない。
極力、物音をたてないように。普通の17歳の娘ならそうはいかないだろうが、ラヴィにはまだ、慎重に行動しようという冷静さがあった。ゆっくり後ずさり、少し離れたところでラヴィは小走りに駆けだした。
その時にはすでに廊下の角まで来ていて、ここを曲がれば階段がすぐだったため、ラヴィは油断していたのだ。
ドアがガチャっと開く音は聞こえたが、廊下の角を曲がる後ろ姿を、ドアを開けた人物に見られていた事には気がついていなかった。
「おい、どうしたんだ?誰かいたのか?」
不審げに尋ねる男の声に、ドアを開けたほうの人物が答える。
「…あぁ。逃げるってことは…ヤバイ話を聞かれたかもな」
「な、なに!?」
動揺する人物とは逆に、廊下の先を睨んだままの人物は、冷静な様子だ。
「…なぁ、この国の人間はだいたいが黒か濃い茶色い髪の色をしてるよな?」
「…!?あ、あぁ。それがどうしたんだ!」
「そんじゃあ、逃げたのは生粋の西国人じゃぁなさそうだな。ちなみに、まだ若い髪の長い女だぜ」
「!?」
動揺していた人物は、何かに気がついたらしく、息をのみ、苦々しく吐き捨てるように言い放った。
「…あの小娘…!」