最強の魔女
「アイリス。あんたは下がってな」
「……はい」
アイリスにカトレアを攻撃出来るとは思えない。しかし、カトレアは躊躇せずに攻撃してくるだろう。ここで無駄に戦力を失うわけにはいかない。
カトレアのナイフが光った。来る! ナイフから発射された四つの光弾。上下左右それぞれの方向からカーブしてこちらに飛んでくる。私も同じく発射して撃ち落とした。私は横に走りながら、今度はこちらから火球を連射した。するとカトレアも水を同じように連射し、私の火球を全て消し去った。魔力はおそらく互角だ。今度はカトレアがナイフを床に向け、目にも止まらないスピードで何かを描いた。カトレアの真下に光る魔方陣が現れ、カトレアが消えた。
「ロゼさんうしろ!」
「!?」
反射的に身を伏せた。その瞬間、光の槍が頭上を掠め、正面の壁に突き刺さった。何本かの髪がパラパラと落ちる。後ろを振り返ると、笑みを浮かべたカトレアがこちらにナイフを向けていた。テレポート……こんな事も出来るとは。
「口出ししたら駄目でしょう、アイリス。これはあたしとロゼの一対一の戦いなんだから。まあ別に二対一でもあたしは構わないけど、それならあんたにも攻撃させてもらうよ?」
「カトレアさん……」
予想以上の強敵だ。だが、もう同じ手はくわない。テレポートは予備動作や発動までが長い。一度見てしまえば、それほど恐れることはない。すぐさま立ち上がり、指揮棒を渦巻き状に振りかざした。魔法により作り出されたカマイタチの連射。実態のないこの魔法なら、撃ち落とすことは不可能だ。カトレアは笑みを崩さないまま、素早い身のこなしでカマイタチを避け続けた。笑っていられるのも今のうちだ。カトレアを徐々に追い詰め、あの位置まで誘導していく。
「……むっ!」
カトレアが床に円形にぼんやりと光る物を見つけた。私がどさくさに紛れて仕掛けた地雷魔法だ。カトレアは咄嗟にジャンプして飛び越えた。どんなに素早くても、空中では避けようがない。カトレアの胴体のど真ん中目掛けてそのカマイタチを放った。勝った……そう思ったのも束の間、カトレアが空中で再びナイフで、今まで見たことのない軌跡を描いた。また知らない魔法か? しかしもう遅い。カマイタチは、カトレアの胴体を完璧にとらえた……かに見えた。
「……なにっ!?」
カマイタチが猛スピードでこちらに戻ってきた。咄嗟のことに避けきれず、私の横腹を切り裂き、後方へ飛んでいった。横腹から血が噴き出し、鋭い痛みが走る。
「くっ……アイリス、一体何が起こったの!?」
「わ、分かりません。私には反射したように見えましたけど……」
反射……そう、私にもそう見えた。確実にヒットしたはずのカマイタチが、真っ直ぐこちらに向かって跳ね返ってきたのだ。カトレアの身に、淡い緑色の光が纏っている。私はもう一度、今度は充分に注意しながらカマイタチを放った。カトレアは避けようともしない。今度は首に当たった。しかし、やはりそれもカトレアに傷一つつけることなく、こちらに返ってきた。
「お分かり頂けた? これこそが、あたし一人で戦争をひっくり返せた理由よ。魔法が使えない魔女なんて、普通の人間と変わらないもの。自国にしか魔女は存在しないと思ってるガーデンの魔女には、対魔女用の反射魔法なんて思い付きもしなかっただろうね」
再びカトレアが魔法を連射してくる。痛む横腹を庇いつつ私は走った。今度は電撃弾を放つが、やはり跳ね返された。直線状の攻撃ではなく、放射状の範囲魔法である火炎放射も試したが、やはり同じ事だった。私の魔法は全て跳ね返されるのに、カトレアはその場を一歩も動かずに一方的に攻撃してくる。こんな不利な戦いは今までにない。
「あはは、無駄よ無駄無駄。あたしに魔法は絶対に効かないわ」
「それなら、これはどう?」
私は玉座に指揮棒を向けた。玉座を高々と持ち上げ、カトレアに向けて飛ばした。玉座の脚がカトレアの頭に直撃したが、脚の方がひん曲がり、その場に転げ落ちた。
「それも無駄。あたしが跳ね返すのは魔法ではなく魔力だから。玉座を魔力で持ち上げた時点で、玉座にもしっかりと魔力が込められているんだからね」
「くっ……」
ん? カトレアを覆っている緑色の光が薄くなっていく。効果が切れようとしている。しかし、すぐさまカトレアは自らの体に反射魔法をかけ直した。緑色の光がまた強くなった。
「期待させちゃった? 確かに効果はしばらくすると切れるけど、こうやってかけ直せばいいだけだから」
効果が切れた瞬間を狙おうと思ったが、それも出来ないようだ。ならば残された攻撃手段は、気が進まないが一つしかない。私は指揮棒をしまい、カトレアに向かって突進した。正面からカトレアが魔法を連射してくるが、私は何とか躱しながら距離を詰めていった。
「へぇ、ロゼもなかなか素早いね」
懐に入った。私は一旦フェイントをかけた。左手で殴るフリをして引っ込め、右手で拳を作り、カトレアの顔面目掛けて真っ直ぐに拳を打ち込んだ……はずだったが、私の拳は空を切った。カトレアが視界から消えた。テレポート……? そう思った瞬間、頭に物凄い衝撃が走り、私の体は前のめりに吹っ飛んだ。カトレアに拳を受け流され、その勢いのまま後頭部に回し蹴りをくらっていたことに気付いたのは、その数秒後だった。
「ゲホッゲホッ……!」
何とか身を起こす。視界が揺れる。頭がズキズキする。魔法だけでなく、肉体による直接攻撃も通用しないのか。
「残念だったねロゼ。あんた体でかいし、体力や運動神経には自信があるみたいだけど、所詮素人だね。あたしは剣術、槍術、そして今見せたようなあらゆる格闘技をウォルナット様から仕込まれている。銃や弓だってその気になれば使えるわ。重い物を持つと魔法のコンセントレーションに支障をきたすから、普段は持ち歩かないけどね。直接あたしを殴り倒そうとしたのはなかなかの決断だったけど、一応あたしも軍人だから」
これで全ての攻撃が封じられた。調合薬も魔力をアイテム化した物だから、カトレアには効かない。仮にアイリスが加わっても、文字通り何も出来ないだろう。魔女では、カトレアを倒すことは出来ないのか。カトレアは駄目押しをかけるように、また反射魔法をかけ直した。
「……大したものだね。今の格闘術もそうだけど、ガーデンには一切伝わっていない魔法の数々。全部最初から使えたわけ?」
「ううん、さっきも言ったように、最初は魔力をコントロールすることすら出来なかったよ。訓練によって次第に操れるようになった。そして、戦争前にフォレスト国に輸入されたガーデンの魔術書を、フォレスト城の図書館で読み漁ったわ。人を傷つける禁呪から、生活で使う一般魔法もね。その後かな、あたしのオリジナル魔法の開発を始めたのは。反射魔法の開発は、魔女が戦争に出てきてからすぐに取りかかったわ。必ず役に立つと思ったから。苦労した分、効果は見ての通りよ。当然オリジナル魔法はどこにも資料なんてないけど、本能的に分かるのよ。杖をどんな風に振って、どんな風に魔力を込めれば、どんな魔法が発動するかがね」
「……ふーん」
「さて、もう万策尽きたみたいだし、そろそろ終わりにしようか」
私にはもはや逃げ回ることしか出来なかった。しかし、それももはや難しい。ダメージの蓄積が多すぎて、体が言うことを聞かない。だが、決して無駄に走り回っているわけではない。正真正銘、最期の賭けだ。せめて、あともう一度だけ……。
「いつまで逃げ回るつもり? もしかして、あたしの魔力が尽きるのを待ってたりする? それも無駄。あたしの魔力とあんたの体力、どっちが先に尽きるかなんて一目瞭然だよ」
私は走り回りながらも、決してカトレアから目を離さなかった。反射魔法の光が薄くなっていく。カトレアは当然のように、反射魔法を重ねがけした。
「うぐっ!」
傷が開き、痛みに思わず足を止めてしまった。光の矢が、私の左右の太腿に一本ずつ突き刺さり、たまらず転倒した。カトレアが勝利を確信した笑みを浮かべながら歩み寄ってきた。
「ロゼ、あんた凄いよ。正直ここまで手を焼くとは思ってなかった。間違いなく、ガーデンの歴代最強の魔女だよ。あの世で誇っていいんじゃない?」
ナイフの先端が、座り込む私の心臓に照準を合わせた。
「せめて、一瞬で楽にしてあげる。だから動かないでね」
「やめて!」
アイリスが両手を広げて、カトレアの前に立ちはだかった。余計な真似を……。
「もうやめてください! 私達言う通りにしますから! このままガーデンを出て行きますから……きゃっ!」
私は立ち上がり、アイリスを横に突き飛ばした。
「アイリス、邪魔するんじゃない……さあカトレア、好きにしな」
「ロ、ロゼさん……!?」
「潔いね、助かるよロゼ。それじゃあバイバイ。お婆ちゃんに、ごめんねって伝えといて」
ナイフが光った。その瞬間、私はこの戦いで何度も目にした杖の軌跡を、自らの指揮棒で描いた。カトレアのナイフから放たれた雷は私の心臓部分にぶつかり…………そのままカトレアの身を貫いた。
「キャアアアアア!!!!」
自分の魔法をもろにくらい、カトレアの絶叫が玉座の間に響き渡った。そのショックでナイフを落とし、私はすぐさまそれを拾い上げた。
「……おばあちゃんには自分で謝りな。もっとも、私もあんたもおばあちゃんのいる天国に行けるとは思えないけどね」
ダメージが大きかったのか、カトレアは床に手と膝をつき、激しく息を切らした。
「ハア、ハア、そ、そ、そんな……どうして!? どうしてあんたがあたしの反射魔法を使えんのよ!?」
「使えるかどうかなんて、今の今まで分からなかったわ。完全に見よう見まねよ。あんたが生まれ持った魔法ではなく、訓練によって後天的に会得した魔法だって言ってたから、もしかしたら私にも出来るかもって思ったのよ。何度も見せてくれたおかげで、杖の軌跡や魔力の込め方は把握出来たからね。そして、同じくあんたが何度も反射魔法の上から反射魔法を重ねがけしているのを見て私は思ったのよ。自分自身の魔力は跳ね返せないんじゃないかって。その通りだったようね」
「見よう見まね……ですって!? で、出来るはずがない……そんなこと……。だからこそ、戦場の魔女達はあたしに何も出来ずに倒れていったのよ!」
「さっきあんたが言ってくれたでしょ。私は歴代最強の魔女だってね。それが答えなんじゃない?」
「く……こんな所で……終われないんだよ!」
ナイフを失ったカトレアが殴りかかってきた。しかし、さっきまでのキレはもうない。私もボロボロだが、軽々と避けられた。カトレアにかかっていた反射魔法が切れた。私は指揮棒からレーザービームを連射し、カトレアの体にいくつもの風穴を空けた。
「がはっ! う……ああああああ!!」
それでもカトレアは倒れない。攻撃をやめない。カトレアの拳が、空しく空を切る。
「カトレア! もうやめな! 勝負はついた!」
「だ……だま……れ」
攻撃が徐々に遅くなっていく。もはや避ける必要もない。カトレアの拳が私の胸にトンッと当たり……カトレアは遂に崩れ落ちた。
「カトレア!」
「カトレアさん!」
アイリスも駆け寄ってきた。私はカトレアを抱き起こした。もはや助からないだろう。
「…………ふ、ふふ。どうしたの? あたしもうすぐ死んじゃうよ? いつもみたいに……拷問にかけないの?」
「……友達に、そんなこと出来るわけないでしょう」
「甘いね……あんたの大好きなおばあちゃんを殺したのが誰だか忘れたの? うっ、ゲホッゲホッ!」
カトレアが咳き込み、おびただしい量の血を吐いた。もう残された時間は少ない。
「ハア、ハア……ねえ、ロゼ。あたし達、また会えるかな?」
「……ええ、きっとね。だから先に逝って待ってなさい」
「はは……オッケー……その時にはまた……友達になってよね………………約……束……」
その言葉を最期に、カトレアは動かなくなった。命の炎が完全に燃え尽きたのだ。その顔はとても安らかで、四将軍チェリーなどではなく、間違いなく私の友人のカトレアだった。後悔はない。お互いに絶対に譲れないものがあった。だから全力でぶつかった……それだけなのだ。
「カトレア……さん」
「泣いてる暇はないよ。ここは敵の本拠地なんだ。私達には最期の仕事が残っている」
私のその言葉に反応するかのように、下の階から大勢の兵士の足音や怒号が聞こえてきた。くそっ、やはりまだ援軍がいたのか。かなり多い……まずいな。すると突然アイリスが立ち上がり、万年筆を持って階段へ歩き出した。
「ロゼさんは先に進んでください。ここは私が食い止めます」
「……あんた何言ってんの?」
「こんな悲しい戦い、一刻も早く終わらせたいんです。カトレアさんは、おそらくウォルナットにとって最後の切り札だったはずです。そのカトレアさんが倒れた今、もしかしたらこの騒ぎに紛れて逃げ出すかもしれません。そうなる前に、ロゼさんが仕留めてきてください」
「自惚れんじゃないよ。ここまで楽に来れたのは、あくまで二人で完璧なコンビネーションで来たからだ。一人だったら、雑兵の群れだって馬鹿には出来ないんだよ」
「分かってます。でも、ロゼさんさっき言いましたよね。確固たる信念もない奴が指図するなって。それなら逆に、今の私にはロゼさんに指図する権利があります」
「アイリス、あんた……」
アイリスがこちらを振り返った。今まで出会った誰よりも強い目だ。これがあのアイリスか? バラバラ死体を見て情けなくゲロを吐いてたアイリスか?
「必ずこの復讐を完遂させます。でなければ、カトレアさんを倒した意味も無くなります。そのために、私は援軍をここから一歩も先には進ませません。だからロゼさんも、自分の役目を果たして下さい」
「……分かった。死ぬんじゃないよ。絶対に」
「はい。ロゼさんも」
もう一度闘志を奮い立たせた。ボロボロの体に活を入れ、私は奥の階段へ走りだした。残る敵はウォルナットただ一人。負けるわけにはいかない……最終決戦だ。