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氷薔の王と冬の蝶

作者: 梅嘉

 最後までお読み頂くと、もう一度読み返さずにはいられなくなる作品かもしれません。


 


 『ーー王は国、国こそが王』



 気が遠くなるほど広大な大陸の北には、そう称されている王国がある。


 一年の半分を氷に閉ざされる王国を治めるのは、一人の年若き王。


 世界中の有名な画家が我先にと肖像画を描きに来るほどの、誰もが目を奪われるその完璧過ぎるその美貌。議論した学者たちが次々に舌を巻くという、洗練された知性と膨大な知識。

 歴代国王の中でもぶっちぎりの治世手腕で、国庫は即位前の数倍以上に増額した。


 わずか十一歳で即位し、今では賢王とまで呼ばれる誉れ高き王。民からも臣下からも支持は厚かった。


 美貌、知識、権力、富、人望。王は人々が憧れる全てを兼ね揃えていた。


 だが、王はひどく変わっていた。

 

 絢爛豪華な王宮に住んでいても、贅沢の限りを尽くした衣装や宝飾品を身に着けていても。どんなに美味しいモノを食べても、美しい容姿の者たちと一緒にいても。

 

 王の心を満たすものは何一つなかった。

 そして、その事実を知る者は王以外いなかった。




 ◇




 そんなとある日のこと。氷で閉ざされた王国へ遥か遠国より使者がやって来た。

 事前の通達もない、突然の来訪。国交は貿易を通してのみだったが、邪険にすることも出来ない。


 「この冬の時期に何の断りもなく使節団を送りつけるとは、かの国はなんと礼儀知らずでありましょう」

 「使者に臣下だけとは、たかが北の一国と我々を侮っているのでは!?」

 「陛下はいかがなさるおつもりですか?」


 謁見の間で次々と苦言を呈す臣下たち。荘厳たる玉座に頬杖を着いて座っている王が片手を上げれば、ピタリと発言が止む。

 自分の祖父や父とそう歳の変わらない臣下を瞬時に黙らせた王は、ゆっくりと口を開く。


 「そう騒いでくれるな。冬の時期にわざわざ遠方より参っているのだ。その者たちをこのまま追い返したとあれば、それこそ礼儀知らずの辺境と我が国か笑い者にされるだけではないか」


 威勢良く声をあげていた者たちは、バツが悪そうに口をつぐむ。


 「さすれば、皆の者。一行の労をねぎらい、存分にもてなしてやるがよい」


 この一言により、珍しい客人たちは改めて国賓として迎えられることとなる。使者は手土産にと、自国の芸人一座を伴って来ていた。


 そしてその晩、異国の使者を迎える盛大な宴が催された。


 豪華なシャンデリアに照らされた広大な大広間、そこに用意されているのは新鮮な食材が豊富に使われた王宮料理の数々。軽やかな弦楽器の演奏に合わせ、会場を彩るのは色とりどりのドレスや衣装を着た多くの招待客。

 きらびやかな宴に使者たちは感嘆の声を漏らす。


 「本日は私共のためにこのような盛大な宴を催して頂き、誠に感謝いたします。さすがは、美しき賢王と名高き陛下でいらっしゃる。陛下を前にすれば、我が国を守護する女神も隠れてしまうことでしょう」


 宴用の衣装を身にまとった王に、使者はお決まりの称賛の言葉を並べたてていくが、当の本人は玉座に座りながら雑踏のように聞き流していた。

 

 王にとって、この宴でさえも心を満たすものではなかったのだ。


 「ご覧になって! 今夜の陛下は大変お美しいわ」

 「ちょっと、失礼なこと言わないで頂戴。陛下はいつでもお綺麗なの。今日のお召し物だって、とってもお似合いよ」

 「もう! ご挨拶の順番、早く来ないかしら?」


 悠然たる王を遠巻きに眺めてざわめき立っているのは、さる名家の令嬢たちだ。その他にも、あちらこちらから王への賞賛や熱い視線が向けられている。


 ふと、王の耳に人々の歓声が聞こえてきた。何事か、と視線をそちらを移す。

 

 肌の色が透けそうな程に薄い布地の衣装を纏う、数人の男女が楽し気に踊っていた。軽快な音楽に合わせて、くるりくるりと回っては跳ね、舞うような素振りを見せると再び宙へと飛び上がる。


 貞節を重んじるこの国では、このような衣装も踊りもはしたないと言われてしまうかもしれないが、今夜は客人を迎える祝いの宴だ。多少のことなら大目に見られるだろう。


 見たこともない、異国のきらびやかな衣装と踊りに人々は見入っている。 

 そんな中、王の視線はその中央で舞う黒髪の踊り手に向けられていた。


 白い肌に映える青の衣装、動くたびにシャラリと揺れる手足の金飾りに腰飾り。黒絹を思わせる長髪が大きく揺れ、肩掛けのような長い布が床すれすれにたなびく。



 その姿、そしてその舞は踊り手の中でも一際際立った美しさだった。  



 曲が終われば、広間中から鳴り響く割れんばかりの拍手。踊り手たちは笑顔で一礼すると、手を振りながら隅へと掃けようとする。


 突如として、あんなにも大きかった拍手がぴたりとやんだ。一体、どうしたと言うのだろうか。

 静まり返った大広間を制するのは、カツカツと小さく響く靴の音。


 豪奢(ごうしゃ)な緋色のケープの布擦れと共に王が黒髪の踊り手への前へと進み出た。


 何の前触れもない王の動向に、臣下をはじめとした宴の参加者たちが目を見張る。玉座からこの場までには王が通ったであろう道筋に沿って、人々が隔てられていた。


「良いものを見せてもらった」

「お褒めにあずかり、光栄に存じます」  


 王の言葉に、踊り手はそつのない礼を述べると深々と頭を下げた。

 それ見下ろし、王が淡白な声でこう告げる。


 「美しき踊り手よ、そなたに尋ねたいことがある」

 「お答え出来ますことであれば、何なりと」


 王は静かに問い始めた。


 「そなたの国はどのような国か?」

 「わたくしの国はここより遥か南西に位置しております、常春のささやかな王国。一年を通して癒しの緑に包まれ、見るも鮮やかな芳しい花々が咲き乱れる場所でございます」


 突然の質問にも慌てることなく、堂々とした態度で答える踊り手。


 「我が国をどう思う?」

 「あなた様の国は、白銀の世界にそびえし麗しき(いにしえ)の王国。硝子のように煌めく氷と、澄み渡る夜空に瞬く星々はこの世のどんな宝石よりも美しいと存じます」 


 ただの踊り手とは思えない見事な返答ぶりには、連れてきた使節団も開いた口が塞がらない。


 美しい造形の顔に微笑を浮かべる踊り手と、目が覚めるような美しさを放つ王とが対峙する様子は、まるで一枚の絵画のようだ。 

 そんな二人が並び立つ姿に、男女問わず見惚れてしまう者が続出した。


 きっと踊り手には、その雄弁に相応しい褒美が王から与えられることだろう。

 褒美に望むのは遊んで暮らせるほどの金貨か、それともその美しさをさらに彩る宝石だろうか。

 その場にいた誰もが今か今かと、王の言葉を待っている。


 「聡しき踊り手よ、最後に問おう」


 細められる翠玉色の瞳。


 「そなたにあって、私にないものとは何か?」

 「あなた様になく、わたくしにありますものは、踊ることでございましょう」


 踊り手は腰を控えめに折ったまま静かに答えた。 


 「この私が踊れぬとでも?」

 「わたくしの踊りと、あなた様の踊りは違うと存じます」

 「違う?」

 

 踊り手の言葉に王は整った眉を僅かにひそめる。




 「わたくしには《自由》があるからです」



 

 途端に一つの笑い声が高らかに響いた。


 青ざめたような使者に臣下、ヒソヒソと話しながら顔を見合わせる招待客。その視線の先にあったのは、人目もはばからず大笑いする王の姿だった。

 

 「そうかそうか、そう答えるとはな」


 笑い声は高い天井に吸い込まれ、余韻だけが虚しく残る。




 「面白い」




 それは嘘偽りのない、王の真の言葉。

 王は意味ありげに口角を上げる。


 「ならばその《自由》とやら、私に見せてみよ」

 

 踊り手がハッとしたように顔を上げれば、王の掲げた手によってやって来た衛兵たちにその身を拘束されてしまった。

 





 ◇





 「なぁ、聞いたか? 陛下が宴で不敬を働いた踊り手を捕らえたって話」


 綿入りの分厚い外套(コート)を着込み、焚き火にあたっているのは二人の門番。後ろには固く閉じられた大きな城門がそびえ立っている。


 「もちろん。宴の警備してた同期に聞いたんだけど、あまりの不敬ぶりに陛下が声をあげて大笑いされたらしいぜ」

 「大笑いって、あの陛下がか? いつも怖いくらいに冷静沈着なあの陛下が!? 明日はもう夏か!?」

 「おいおい、あんまり大声出すなよ。陛下に聞かれでもしたら、俺らも不敬罪で捕まっちまう」


 門番が笑う陛下と寒さに震えていた頃。

 月とともに彼らの頭上にそびえ立つ塔の最上部で、動く二つの影。

 

 ゆらゆらと揺らめく松明の灯りの中、荘厳な木彫りの椅子に腰かけながら王は真っ直ぐ前を見据えている。そこにいたのは、簡素な服を着て、冷たい石造りの床に座り込んだ踊り手だった。

 宴の装いのままの王の姿が、華やかさを失った踊り手の姿を際立たせる。


 二人を隔てるのは黒光りする鉄格子。踊り手を取り囲むように天井にまで巡らされたそれは、檻というよりも巨大な鳥籠を思わせる。その中に囚われている踊り手はまさに《籠の中の鳥》だ。


 「踊り手よ、居心地はどうだ?」


 王の問いかけに踊り手は顔を伏せたまま、答えようとはしなかった。


 「先程の聡明さはどこへ消えた? 常春の国の者は余程この寒さが辛いと見える」


 嘲笑うように言い放つと、王は窓辺へと向かう。


 「言っておくが、私は人を閉じ込めて楽しむといった無粋な趣味は持ち合わせておらん。先刻の不敬を謝罪すれば、すぐにでもそこから出してやろう」


 硝子のない、石壁をくりぬいただけの窓からは粉雪が舞い込み、その目下には雪に覆われた城下町が広がっていた。


 「今のそなたに《自由》などないのだからな」 


 王は外を眺めながら、そう呟く。





 「あなた様は可哀相な方ですね」





 顔を上げることなく、踊り手は悲しげにそう囁いた。 


 「そなた今、この私に何と言った?」


 自らに向けられた憐れみの言葉に、王は氷のように凍てついた視線を踊り手に浴びせる。


 「地位、学識、富、美貌に人望。あなた様は人々が羨む全てを持っていらっゃる。けれどそれは、あなた様自身が心から望まれて得たものなのでしょうか?」


 「…何?」

 

 この踊り手は一体、何を言おうとしているのか。聡明と名高い王でさえ、意図不明なその考えを読むことが出来ない。

 困惑する王をよそに、踊り手はゆっくりと顔を上げた。


 「笑っていらっしゃった時ですら、あなた様の瞳は何も映そうとされていませんでした」

 「…っ!?」


 曇りのない漆黒の瞳が真っすぐと王を捉える。まるで、澄み渡った冬の夜空のような瞳に、王は何もかも見透かされそうな気がした。


 「私に《自由》を奪われたそなたが、何を言っている?」

 「奪われてなどおりません。一国の王であるあなた様であろうと誰であっても、誰もわたくしの《自由》を奪うことは出来ないのです」

 「戯言(ざれごと)を言うでないわ!!」


 滅多に声を荒げることのない王が、声を張り上げ、踊り手に詰め寄る。


 「塔の牢に閉じ込められているお前(・・)が自由か!? 見世物にされ、他人に芸を売ることでしか生きていけぬお前が自由だと言えるのか!? 媚びへつらい、人にすがって生きるのがお前の自由なのか!?」


 王の言葉を、踊り手は静かに聞いていた。怒るでもなく、悲しむでもなく、ただ耳を傾けていた。


 「そんなお前が、なぜ私を憐れむのだ?」


 落ち着きを取り戻した王は、牢の中の踊り手を見下ろす。


 「わたくしの《自由》をお見せします」


 静かに立ち上がった踊り手は、裸足のまま敷布から冷たい石床へと進み出る。


 「一体、何を……」


 王が声をかけようとした時、すでに踊り手は宙高く舞い上がっていた。


 こんな寒空の下、氷のように冷え切った床を歩けば、冷たさと痛みに襲われることを王は身をもって知っている。すでに踊り手の足は、痛々しいほどに赤く染まり始めていた。


 それでも踊り手は踊り続ける。

 華やかな音楽も舞台もない、静かな牢の中。

 鮮やかな衣装も宝飾品も身につけていない。


 けれど、王の目には牢にいるはずの踊り手が咲き乱れた色とりどりの花の上で舞う、一匹の可憐な蝶に見えた。


 ひらひらと花から花へ、飛び回る美しき蝶。それは己が好きな場所へ、好きな時に、好きなように飛んでいく。

 野に生きる蝶は雨風に打たれ、外敵に襲われたりと無惨に力尽きることも多い。けれど、だからこそ空を舞うその姿はどんなものよりも美しいのだ。


 例え、その身を籠に捕えようとも、その心までも籠の中に捕らえることなど出来はしない。


 「……そういうことか」

 

 舞い続ける踊り手を見つめる王。




 「籠の中にいたのは、私だったのだな」

 



 王がそう自嘲すれば豊かな黄金色の髪がほのかに揺れる。


 『ーー王は国、国こそが王』


 そんな言葉が受け継がれるこの国で、いつも望まれていたのは王自身ではなく、強き王だった。


 なぜ自分は他の子のように遊べないのか、なぜ両親といつも一緒にいられないのか。なぜ名前ではなく殿()()と呼ばれ、なぜ人々は自分に頭を下げるのか。

 幼い頃はそれらが不思議でたまらなかったことをよく覚えている。


 この世に生まれた時から、王位を継ぐこと、学ぶべきことや生き方までも、自分の全てが決まっていた。自分の持っているモノが自分で得たものではなく、与えられたものであることに、心のどこかではとっくに気付いていた。

 それを認めなかったのは、諦めていたからだ。


 どうしようのないものだと、受け入れるしかないのだと。それが正しいのだと思っていた。

 そうやって本心を誤魔化しているうち、夜露で花がゆっくりと凍っていくように心が麻痺していった。

 強き王という名の、籠の中で。


 王は身につけていたケーブを外すと檻の中へと投げ入れ、鉄格子の間から雪のような白い手を差し伸べる。


 「踊り手よ、我が非礼を許してくれるか? 私は王ではなく、私自身としてそなたと話がしてみたい」


 王の言葉に、静かに床へと舞い降りた踊り手は、ゆっくりと王へと近づいてゆく。


 「どうか聞かせてほしい、そなたの話を」


 投げ入れられたケープはまるで絨毯のように床に広がり、踊り手の足を優しく温める。


 「そなた自身のこと、そなたが旅で見聞きしてきた数多くの国々の話を。この広い世界のことを、私はまだよく知らないようだ。それに……」


 王の頰がほんのりと赤く染まって見えたのは、灯りのせいだろうか。


 「知りたいのだ、そなたのことも」


 そんな王に柔らかく暖かい笑みを浮かべる踊り手。


 「わたくしでよければ、喜んでお話し致します」


 小さな手と大きな手が触れ合う。










 「女王陛下」










 白と灰色の冷たい世界。

 白銀と漆黒の美しき世界。


 そこには微笑む美貌の少女と、片膝を着いて少女の手を取る美麗な青年の姿があった。




 ーーー氷薔(ひょうしょう)の王と冬の蝶。

 

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