そして最初の扉を開く
機会とは、流しそうめんのようなものだと思う。
うかうかしてると、ちゅるるっと目の前を通り過ぎていってしまう。
慌てて追いかけ、切れ端をつかまえることはできるけれど、腹を満たすには到底及ばない。
もっとずっと若いときは、そうめん(機会)をつかみ損ねても、大して気にしなかった。
あとからあとから、なんぼでも流れてくる。それにもっと上流にいた。
つかみ放題、食べ放題、捨て放題のそうめんバブリーだったのだ。
でも今は──。
時に押されて下流に移り動くにつれ、流れてくるそうめん(機会)も少なくなってきた。
手を出すのも遅くなった。
箸を宙に浮かせたまま、あれあれ〜と見送ることが多くなり、次こそはと竹の樋の上方を見据えて構えてみれど、待てども待てども流れてこない。
機会は年とともに少なくなる。
これは、まごうかたなき実感である。
しかし、なくなったわけではない。
以前ほど多くはないし、発展させる余地も狭まってきたけれど、ちゃんとある。
ちゃんと流れてくる。
それをどうつかまえるか。
あれあれ〜と見送ってる余裕など、もはやない。
それがどんなものであれ、ともかくつかまえるのだ。
ぽけっと突っ立っているだけでは、腹は膨れない。
忙しさにかまけ、『書く』ことを中断してから早幾年。
友人に背中を押されて、再び『書く』ことを始めた。
ならば、せっかくだから、他の誰かの目にも触れるようにしたい。
緊張感を得ることで、少しは自分の筆も上達するだろう。
幾多の紆余曲折を経て、偶然、此処を見つけた。
見つけようと思って見つけたわけではない。
本当にたまたまだった。
書いたものを載せられるらしい──。 「へー」と思った。
拙いものでもいいらしい──。 また「へー」と思った。
二重投稿も、どこぞで落選したものもOKらしい──。 さらに「へー」と思った。
三つの「へー」に誘われて、とりあえず最初の扉を開けてみた。
次の扉の向こうには何があるのか。
つかんだそうめんはどうなるのか。
それは、明日の自分だけが知っている。
以上、ご挨拶まで──。