ハクチユウム Ⅸ
赦されるのなら、わたしが罪人でありますように。
神よ。 行き場を失った罪に正統なる罰を。
その掠れた声は寂れた協会に空しく響く。
近づくと彼女は祈りの手を解き、立ち上がった。
「あなたは…」
「そう」静かに呟き、彼女は振り向いた。 「わたしが、速瀬道流よ」
速瀬道流。 ホテルで見た死体なんかじゃない。 他ならぬ本人。 偽物を支える本物。
「可笑しなものよね、死んだ人間が神に祈るだなんて…」
彼女は長椅子に積もった埃を指で拭き、その指先についた埃の層をじっと見つめた。 まるで、そこに過去の自分を探すかのように。
「あなた。 わたしを殺しに来たのよね。 ……野崎から聞いたわ」
私は一瞬言葉に迷った。
「いえ、僕はただ、あなたが、速瀬道流が人間であるか、確かめに来ただけですから」
「なぁんだ」彼女は笑った。
その笑顔は明らかに人のもの。 そこには温もりと、なぜか、懐かしさが感じられた。
「だったら逮捕でもするのかしらん?」
ちらりと、わたしの目を覗き込み。 「それも違うようね。 さっきのお祈りだけじゃあ死刑にならないのね」
「……死にたいのですか?」
「ふふ、そうね、半分正解。 わたしはこれまで多くの人を騙してきた。 多くの人に罪を着せてきた。 ……わたしはその償いをしたいのよ」
「……」
「わたしね。 昔、って言っても十五年前、所謂ネットアイドルをしてたのよ。 当時、ネットアイドルに強く憧れを抱いててね。 思い切って投稿してみたの。 それまで自分のことは駄目な人間だ、存在価値の低い人間だって思ってたんだけどね。 コメントがひとつ、またひとつと増えていくたびに、わたしは救われたような、生きる希望が見えてきたような気がした」
彼女は錆び付いた十字架に近づいていった。
「そんな矢先、アレが起きた。 多くの同業者がやめていく中、わたしは歌い続けた。 ……それが、ヒトに希望を与えると信じて。
人気はどんどん上がっていったわ。 だって歌っているのなんて、わたしくらいだったもの。 ……ネットが閉鎖されるまで続けたわ。
だけどその頃には、ただファンがいるという、そのことで満たされる快楽のようなものに、酔いたいがために歌っていた。
だから、これを機に、もうやめようって思ったの」
深く息を吸い、彼女は、ゆっくりと吐き出した。
宙を舞う埃が光を反射して白く輝く。 それは光を形作り、罪の告白をする彼女に降り注ぐ。 その姿はまるで聖女のようだった。
「バット────しかしよ。 それから数年経ったある日、わたしは何の気なしにラジオを聴いてみたの。 あっ、民間の無線放送よ。 違法だけど……。 そこから、わたしの声が聞こえてきたの。 わたしの声で、わたしの歌が。
初めは驚いたわよ。 けどね、とっても嬉しかった。 わたしのファンが、歌が、まだ残っていたなんてね。そう、思ったわけ」
彼女は続ける。
「さらにバット、────だがしかし、よ。 その無線はCDとかデータじゃなく、肉声放送だったのよ。 信じられる? 自分の歌が自分の声で聞こえるのよ。 驚くなんてモノじゃないわ。
それから分かったの。 速瀬道流という存在は、ファンたちから神格化され、『わたし』という個人から独立し────質量を伴った実体へと顕現したの。
それから、わたしは、彼女を探したわ。 血眼になってね。 色んな人に手伝ってもらったわ。 ……そして、とうとう見つけた。 ……二年程まえかしらね。 会ってみて思ったわ。 一体────何のために探したのかしら、と。
家族でもなければ何でもないのよ。 ただの偽物。 なのに、なぜかわたしは最盛期が再び訪れた、そう思ったのね。 ……いえ、当時は思わなかったけど、そう感じたのは事実よ。
そして『想い』を、わたしの『意志』を、彼女に託そうって、引き継がせようって、そのことで頭がいっぱいになったわ。
そうして、わたしは彼女のマネージャーをやることにしたの。
最初は良かったのよ? 娘ができたみたいだったし、可愛い衣装や振り付けで観客を楽しませている彼女を見ていると、心が躍ったわ。
だけど、回を重ねる毎にわたしの中で、彼女に対する嫉妬のようなものが、ふつふつとわきあがってきたの。
駄目だって思ったわ。 こんな状態じゃ、とてもじゃないけど彼女と一緒にいられない。
だから、死のうと思った。 わたしが死ねば、偽物は本物になれる。 そう、考えた。
だけど死のうとしたら、野崎に止められたの。 やめてくれ、あなたは私たちの象徴なんだ、って。 流石のわたしも、そう言われてしまうと躊躇ったわ。
それから野崎の仲間内で何かあったみたいで、その内の数名が彼女を狙うようになった。 彼女が死ねば、わたしが自殺しなくなるって。
そしてあの日、彼女が殺された。
わたしはもう、死ぬ理由が無くなった」
彼女の頬を、ひとすじの涙がつたった。
「───わたしは雨の夜の羊。 ただ、じっとその時が来るのを待つ───」
彼女は詠うように、口ずさんで、わたしを振り返った。
「おしまい、よ」
笑顔で言ったが、その表情には、まだ涙が残っていた。
「あの、速瀬さ───」
その時、二発の銃声が響き渡った。
一発目の弾丸は、正確に速瀬道流の左胸へと吸い込まれ、二発目の弾丸は、私の頬を掠め、彼女の頭蓋を撃ち抜いた。
ドサリ、と力なく倒れる彼女。 まるで電源が落ちたように床に墜ちる。
振り向いた。 その先には、斎藤がいた。
「目標の死亡を確認。 オーバー」
無線を入れ、斉藤は同情的な視線を私に送った。
「囮にして悪かったな。 新十郎」
何が起きたのか理解出来ない。
彼女が死んだ。
死んだ?
「おい、大丈夫か?」
胸に一発、頭に一発。 撃たれて死んだ。
斉藤が、撃った。 彼女を。
私は、ガバメントを抜き、照準を合わせた。
「……………何のつもりだ」
そして、引き金を引いた。
×××××××××
「だから何のつもりだっ!」
長椅子に身体を滑り込ませ、斉藤は身を隠した。
「なぜ彼女を…」
私は次々と長椅子に穴を空けていく。
「落ち着け! 上からの命令だ。 俺はお前を殺すつもりはない」
空になったカートリッジを入れ替える。
「もう一度言う! 俺はお前に危害を加えるつもりはない」
「彼女もお前に危害を加えるつもりはなかった」
なのに殺した。 だから殺す。
私は弾丸を撃ち続ける。
「お願いだ。 落ち着いてくれ。 これが最終警告だ」
ぼくはいたって冷静さ。 呟いて、私は足元に薬莢をバラまいていく。
だが、ガバメントなんて弾薬の数もたかが知れている。
弾薬が切れたのを見計らって、斎藤が飛び出した。
「いい加減にしろ!」
その銃の照準は私を捉えている。
「弾切れしてんのは分かってんだ。 いいな? 両手を上げろ」
斎藤の言う通り。 もう弾を持っていない。
だが、こんな世界だから使えるものがある。
私はガバメントを捨て─────
「何のつもりだ?」
私は、手を銃の形にして照準を合わせた。
「ばん」
×××××××××
二人の死体が残る穴だらけの教会を後に、特に何も考えずに、何も感じずに、誰のとも分からない黒い墓石に背をもたれた。
今回の件で分かったことといえば、速瀬道流は人間だったということ。 彼女が生きていたこと。 ついさっき死んだこと。 私が囮だったこと。 そして、この世界はどうしようもなくクソったれだということ。
墓石に身体を預けたまま、私はただ、じっとそのまま動かずにいた。 雨の夜の羊のように。
そして、左頬にできた傷を指でなぞった。
×××××××××
楽しんで頂けたら幸いです。『ハクチユウム』は私の好きな作品や大切な作品の大好きなシーンや表現を、天村真さんの設定に乗せてつくった、いわばオマージュです。「あ、このシーンあの作品からパクったのかな(パクってなどいませんよ?参考にしたまでです!)」とか「この表現知ってる」と思って頂ければすごく嬉しいです。
とは言っても、私もパクってばかりなどではありません(言い訳ですが)少しは考え出した表現もあるのです。「パクリだ!」と思っても責めないで下さい。ごめんなさい(泣)
ここでひとつ天村真についての人物批判をしてみようと思います。しかし、この文章を掲載するのは他ならぬ天村真であって、もしかしたら検閲に引っかかり削除、隠蔽されてしまう可能性があります。そこのところお気をつけ下さい。
天村真とは、ずばり変態の代名詞である。(おしまい)
短い間でしたが、これまでお付き合い頂き誠にありがとうございました!
それではまた、縁があったら!