ハクチユウム Ⅴ
マネージャーのおかげで速瀬とアポイントメントを取ることに成功した。
場所は速瀬が宿泊しているというホテルの一階。
斎藤は向かいのビルディングで私の指示が出るまで、スナイパーライフルを構えて待機。
やたら沈み込むソファに座り、『ハル』を起動する。
「なんですか、それ?」
正面にちょこんと座る速瀬は興味深そうにきいた。
「ん。 これは新型の録音機さ。 マイクレスで、カメラが唇の動きを読み取って自動的に文書化してくれる」
へぇー、と言う速瀬からは先程のコンサートで感じた雰囲気とはまるで違っていた。
「さて、早速で悪いんだけど、インタビューを始めてもいいかな?」
「いいですよ」とにっこり笑う速瀬。
「じゃあ、まずは幼少の頃、って言っても多分物心着いた頃からこんな世の中だっただろうけど。 その頃からもうアイドルを考えていたの?」
「えっと、そうですねぇ。 その頃はまだアイドルのことなんて全然…… むしろケーキ屋さんになりたいって思ってました」
「ふーん。 そうなんだ」
彼女の目を捉え続けるハルはしかし、何も言わない。
携帯のディスプレイに『プラス』と表示されれば人間。 全ての質問に何も表示されなければALICEと判断される。
「いつもあんなコンサートを?あれじゃライブというよりコンサートだね」
「いえ……今日はたまたま、あの場にピアノがあったから。 ……だから今日はピアノで行こうって、マネージャーさんが言ったんです。 衣装もすぐに用意できたし」
「元々の計画にはなかったんだ」
「ええ、まぁ、そうですね」と恥ずかしそうにはにかむ速瀬。
「へえ。 あれ即興だったんだ」
「ええ、わたし、何でもできるんです。 なぜか」
「すごいねぇ。 プライベートでは何してるの?」
「普通ですよ? たぶん、皆さんが考えてる様な普通の事、してますね」
「アイドルになろうと思ったきっかけは?」
「うーん。 なんだったかなぁ?」
「やはり法を犯していることへのプレッシャーは?」
「わからないですね。 実感はあると思うんですけど」
「友達と遊んだりする?」
「ええ、もちろん!」
「初恋の相手はどんな人?」
「秘密、にしていいですか?」
「初キスの年齢は?」
「秘密です」
これまでの質問全てがマイナス。 すなわち、速瀬道流はALICEであるということになってしまう。
だが、この程度の質問に無反応でいられる人間もいないこともない(限りなくゼロに近いが)。
これで最後だ。 これで彼女の人間試験が終わる。
「あなたは」私は言った。「人間ですか?」
最後の質問。 彼女の最終問題は、私が言ったと同時に彼女の電話によって遮られた。
「すいません」彼女はそう言い、席を離れる。
「もしもし――――」少しして、彼女は携帯電話を手で押さえながら、言った。
「すいません。 ちょっと、部屋の方に行きますね。 少しの間待っててください」
「ああ」
私は答え、彼女か去って行くのを見送った。
自販機で缶コーヒーを買い、ゆっくりとそれを飲んだ。
「ふぅ」
「いいのか、行かせて。 逃げたかもしんねぇぞ」
大丈夫だ。 私はそう言ってコーヒーに口をつける。
最後の質問に速瀬道流が答えなかったこと。 答えられなかったことに、私は少し、安堵していた。
日が昇るに連れて盛り上がっていったコンサート。 静かに、だがしかし切実に、私、いや、あの場にいた人間全員に安らぎと優しさを与えてくれた彼女のピアノと歌声は、私にとっての本当の夢であるように思われた。 私は、彼女に魅せられた白昼夢に囚われたのだろう。 頭の中で起こる夢よりも、現実で見る夢の方がいいとさえ思える。
だが、そろそろ夢から覚めなければならない。
夢を壊さなければならない。
職務を全うしなければならない。
速瀬道流、十七歳、十一問中、十問マイナス、最終問題空白――――
異物ノ排除ヲ開始シマス――――
××××××××××
いつまで経っても戻ってこない速瀬のために、こちらから『お迎え』に行くことにした。
受付で速瀬の部屋番号を聞き、部屋まで向かう。
蹴破ろうかと思っていたが、部屋の鍵は開いていた。
罠の可能性を考え、わたしは懐の中からガバメントを取り出した。
部屋の中へ入り、奥へと進む。
しかし、そこにあったのは死体だった。
彼女は床に仰向けの形で倒れており、その胸に一本の銀色のナイフが突き刺さっていた。
腹にも刺し傷があることから、どうやら一発目に不意をついて腹を刺し、その後、とどめを刺したようだ。
凶器から私の指示を無視した斎藤による犯行でないことが分かる。
「ナイフは俺のシュミじゃねぇ」
後から来た斎藤はそう言って死体を見下ろした。 と言っても、動かなくなったALICEを死体と断定できるかどうか分からないが。
「試験結果は?」死体を見つめながら言う斎藤。
「不合格だ」そうとだけ答え、私は特に意味もなく窓の外を眺めた。 雲と雲との間から、うっすらと大木が見える。
「つまり、もう掃除は必要な言ってワケか」
私は振り返り、血で汚れた部屋を見て笑った。