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ハクチユウム  作者: 月刊乙女
4/9

ハクチユウム Ⅳ


 水面に浮かび、川の流れに揺れながら、私はただ無感情に空を眺めている。 川は深く、足をつけそうにもない。 ゆらゆらと、小さな波に流されていく。 雲の影は目覚しく移り変わり、私はそれを見つめる。

 流されていくうちに、いつのまにか大きな湖に来ていた。

 すると、湖の底から、ぶくぶくと複数のあぶくが上がり、そのすぐ後に父が姿を現した。 そこでようやく、私は夢の中にいるのだということに気がついた。


「何が見える」


 父は水面に顔だけを出し、上下に揺れながら問う。


 父が死んでから十年以上、顔を見ていないせいか、父の顔はぼんやりとした、はっきりしないものだった。


「雲だ。 せっかちで少しも目が離せない、雲」


「そうか」父はそう言い、私の足首を掴んだ。「そんなものを見ていたから、こんな所まで流されて来たのか」


 私を掴む手に力が篭った、気がした。


「ここは何処」


 私には父が急に恐ろしく見えた。 私は父に不安の目を向ける。


「此処は」父が言った。 「――――。」




××××××××××




 目を覚ますと、そこは見知らぬ天井とかじゃなく、見慣れたいつもの天井があった。


 また、あの夢だ。 私は汗で張り付いたTシャツをなんとか脱ぎ、軽くシャワーを浴びた。


 夢自体の内容は時が経過するにつれて、薄れてゆくのだが、鉛を飲み込んだような、どす黒いもやもやとした何かが胸の奥深くにうずまき、じわじわと私の体を蝕んでいく。

 口から出るのはそんな胸から溢れ出た溜息ばかり。 何をするにも意欲が湧いてこない。

 だが、今日はいわゆる人間試験日、決戦の日だ。




××××××××××




 現在時刻は午前三時二十七分。 電車が走るにはまだ早すぎる。 私はロードレーサーに乗って家を出ることにした。


 丸く照らされた街灯の下を何度も通り、C地区へ向かう。

 旧東京都にある電気街を模して造られたエリア、通称『アキバ』。 そこの広場に速瀬道流が現れる。

 私はペダルを漕ぎ、さらに加速した。




××××××××××




 アキバについてすぐ斎藤を見つけた。

 私の予想に反して、いかにもヲタクといったステレオタイプはそう多くなかった。 オシャレ、とまではいかないまでも、人に印象を与えないスタイルのファッションが多く見られた。

 だが、カーゴパンツに白T一枚といた、なんともシンプルには過ぎるコーディネートをした彼は、きっと変装のつもりなのだろうが、明らかに周囲から浮いていた。 腕を組んで仁王立ちする姿は、思わず目を離せなくなるほど激しいものだった。


「お前の考える目立たない格好ってのはそれか」


 斎藤は腕を組み、しかめ面をしたままこちらを向いた。


「ああ、いささか安直すぎたかと思ったが、やっぱりそうだった」


 どうやら自分でも気づいていたらしい。 一瞬胸をなで降ろしたい気分になったが、寸での所で踏み留まった。


「シャツが白すぎて虫がよってくるんだな」


 知るかよ。 私は吐き捨て、時刻を確認した。

 四時十二分。 時間はまだある。


「再確認するぞ。 テスト開始はライブ終了後だ。 引っ込んだ対象をぼくが捕まえる。 お前は少し離れた所から指示を待て。 サインを出したら、目標を射殺しろ」


「射殺は適切じゃないな、正確には削除だ」


 そんな些細な違い、どうでもいいだろうと思ったが、面倒だったので無視した。


 

 広場の中心にはグランドピアノが置かれ、人がぞろぞろと集まっていく。


 アイドルらしい衣装や演出もなく、速瀬道流は、現れた。


 黒いドレスを着た彼女は上品に椅子に座り、静かに、ピアノを奏で始めた。

 周囲はただ静かに美しい旋律に耳を傾け、中心で優雅に音を奏でる彼女を見つめていた。


 これじゃあコンサートじゃないか。 私は思ったが、しかし、そんな気持ちもどうでもよくなるほど、心地よく私を魅了した。


 彼女の白く綺麗なてが大きく動くごとに、揺れる彼女の黒髪が私の胸を優しく締め付ける。

 彼女の高く伸びる歌声に鼓動がいっそう速くなる。


 ふと、私は涙を流していることに気付いた。 音楽でこれほど感動したのはいつ以来だろう。 音楽でこんなにも切ない気持ちになったのは、いったい、いつ以来だろう。


 私は一人、任務も忘れて、彼女の世界に沈み込んでいった。




××××××××××




 気が付くとコンサートは終わっていた。


「さて、そろそろ涙が枯れる頃だろう。 確保だ。 新十郎」


 私の状態を知ってか知らでか、斎藤からの無線に、はっと我に返る。

 私は彼女のいるグランドピアノに近づこうとした。 が、民間警備員に止められてしまった。 殴り倒そうか、と考えていた矢先、目の前に女が現れた。 サングラスをかけたその女は顔からは、それなりのシワが目立っていた。 だが、ほっそりとした顎と、スラリとした体型から、若い頃は美人であったであろうことがうかがえた。


「わたしは道流のマネージャー。 あなたは?」


 上品な声に私は思わず驚いた。


「ぼくは、反政府組織で活動している記者です。 幻の歌姫と言われる速瀬さんをぜひ、記事にしたいと思いまして」


 咄嗟についた嘘だったが、なかなか効果があった。 私には人を信じ込ませる才能があるのかもしれない。


「あら、さすが反政府組織。 違法なことも堂々とやるのね」


 仕事だから人を騙すことも殺すこともできる。 悪いけどここは素直に騙されておくれ。


「分かったわ、彼女にとり合ってみるわ」






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