ハクチユウム Ⅱ
「リリリ。お電話が入りましたよ。リリリ」
映画は丁度、クライマックスを迎えようとしていた時、私の電話が鳴った。
電話と言ってもほぼ都市内限定でしか繋がらない。 まぁ都市街で使う必要などないのだが。
「なんだ、お前まだハル使ってんのか?」
缶ビールを三本空けた斎藤が、ヘラへラとした顔で私を見た。
「まあな」
私はそう言ってリビングを出る。
非通知からの電話であったが、相手が上からであると、だいたいの察しはついた。
というのも、私に電話をかけるのなんて、斎藤か、仕事の通達かのどちらかだし。 電話帳には幾人かの仕事仲間の連絡先が入っているが、これまで彼等からプライベートな電話、もしくは仕事の連絡を受けた記憶はひとつとしてないからだ。
リビングから出、通話ボタンを押す。
案の定、ボスからだった。
「私だ。 今、周りに誰かいるか」
「扉の向こうに斎藤がいます」
まるで愛人同士の電話だ。 私は笑いたい気持ちを殺して、いつものシリアスな声を作る。
「……丁度いい。斎藤も一緒に来い。十五時半だ。誰にも悟られるなよ」
「今からですか……」
返事をした時には既に電話は切れていた。
まったく、せっかちな恋人だ。
××××××××××
“誰にも悟られるな”とのことだったので、私たちは指示通り、私服のまま車ではなく電車を使って移動した。
真新しいビルの最上階へ登る。
数多くある会議室の中『立ち入り禁止』と張り出された部屋の前で立ち止まる。
扉をノックすると、部屋の中から「ID承認を」と声がかかった。
ドアノブの上にある小さなパネルに指を這わせ、IDを入力し、最後に親指を押し付けると扉が開いた。
「ようこそ」
部屋の中には三人の男女がいた。
一人は私のボス、対ALICE部隊ⅰ分遣隊隊長その人だ。
もう一人の男はいかにも官僚然とした、細身の若い男。
女の方はスーツを着ていて、足を組んで座る姿は熟練者のようであるが、まだ若い。
「あの……ボス、彼等は一体?」
「まぁ座りたまえ」
ボスは穏やかに空いている椅子を示す。
私と斎藤が椅子に着くとボスが言った。
「今回君たち二人だけに召集をかけたのは他でもない。 ALICEに関する件だ。 しかし、ALICEであるとは言い切れなくてな……私自身、現状を把握しかねている。 ここから先はMに任せる」
Mと呼ばれた男は軽く会釈をして立ち上がり、スクリーンを起動させた。
「今回、ALICEと思われる個体が発見されたポイントは、エリアAです」
Mの言葉に「嘘だろ」と斎藤が呟いた。
それもそのはずだ。 エリアAはALICEから逃れてきた人々が最も集まる場所。 そして、今のところ人々が最も安全だと思っている場所なのだ。
ALICEが人の多い土地で出現した場合、そのALICEは、規模にもよるが、人を襲い、恐怖心を餌に雪だるま式にどんどん強悪なものになっていく。 それを止める手段はない。
ALICEがその土地の人間を葬り去って自然消滅するのを指をくわえて待つしかない。
そんなALICEがエリアAで発生することは、規模がどうあれ、一発でレッドゾーン、週末の一歩手前である。
しかし、Mの言い方に私は違和感を覚えた。
「ALICEと思われる、とは?」
「はい、口では説明しづらいので画像を見てもらいます」
そう言ってMはパソコンを操作すると、スクリーンに一人の少女が映し出された。 その少女は黄土色のブレザーを身にまとい、こちらに向かって可愛らしい笑顔を向けている。
「コレクションでもなさそうだな」
斎藤がぼそりと呟いた。
Mはそんな斎藤に一瞬眉を細めたが、特に何を言うこともなく話を続けた。
「名前は速瀬 道流。 年齢不詳、おそらく17歳。 おそらく女子高生。 現在密かにアイドル活動をしており、人気もかなり高いです。 ファンも多いとか」
現日本ではアイドル活動も宗教活動も許されていない。 だがMの言ったように隠れてアイドルをしたり、警察の目を盗んでゲリラライブに興じる者が後を絶たない。 熱狂的なファンが自ら作り出した脳内麻薬によってアイドルの背中に翼を生やした、というような事件も数回、目にしたことがある。
ファン達の信仰心にも似た強い想いに
「彼女がALICEかどうかははっきりとはしていません。 そこで今回お二人には彼女が人間かどうか見極めてもらい、白ならアイドル活動の厳重注意、黒なら、」
Mはそこで一度言葉を切り――――言った。
「削除してください」
隣から歯ぎしりする音が聞こえる。
「その白か黒かはどうやって見分ける」
質問するとMは機械のような目を私に向けた。
「接触するエージェントには、対象に簡単なテストをしてもらいます」
ALICEかどうかを見極める。
人かもしれない少女にかける人間試験。
まったく馬鹿げた話だ。
「テストマニュアルについては彼女に一任してあります」
Mに言われ、女は組んでいた足をゆったりと下ろすと立ち上がった。
「防衛省現覚対策本部の浦切 静です。 よろしくお願いします」
防衛省までお出ましか、と斎藤。
なんの前置きもなしに説明しだしたMとは大違いだが、なぜか、浦切には威圧感があった。
「これまでの人型ALICEとは違い、今回の目標は喋りますし、人と同じように意志を持ったかのような行動が見受けられます」
歌いもします、と耳打ちする斎藤を肘で強めに小突く。
「これまでの傾向から、人型ALICEには独立した意思がありません。 つまり、心がないというわけです。 ですのでテストはあなた方の質問に対する反応によって判断します」
「人の命がかかっているテストを、私たち素人が行ってもいいものなのでしょうか。 そちらで専門の試験官を用意したほうが確実なのでは?」
浦切は首を振った。
「実を言うと、この件は防衛省内でもトップシークレットになっていまして、万一省内の過激派にでも知れたら街ごと消しかねません。 残念ながら今の私たちには彼らを押さえつける力はありませんから」
「だからできるだけ内密に処理したいと」
ええ、と浦切は苦笑する。
「内密と言いましても、恥ずかしながら、身内の人間すべてが信用できるわけではありませんので、こうしてあなた方を頼る他ないのですが……」
「お互い、いろいろあるってことかぁ」
はは、と笑いながら、顎に生えかけた髭をいじる斎藤。
とりあえず、と話を切り替えた彼女だが、はじめそこに見た威圧感は少しだけ和らいでいた。
「テスト方法につきましては、紺屋 新十郎」
突然名前を呼ばれ、私はドキリとした。
「あなたのAI『ハル』を使用します」
「なんだって?」 思わず声が出る。
スケジュール帳程度の使い道しかないあのポンコツが、一体どう役立つというのだ。
「ハルを携帯端末に転送し、テストの際カメラを対象に向けるのです。 そこでハルにプログラムした機能を使い、眼筋と毛細血管の反応を見ます。 そうして判決が下るというわけです」
「つまり、携帯版の嘘発見機ってことか?」
斎藤は浦切をまじまじと見つめた。
「全く違いますが、そのような解釈で結構です」
彼女はややつめたさを密めた声で言った。 なぜかMからも浦切からも冷たくされているように見えるが、私としては全然同情心がわかない。
「あとはマニュアル通りです。 何か質問は?」