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ドラゴンズヘブン  作者: 田崎 将司
密偵の条件
54/60

 六日目――スオウ・モーガン中尉の場合――


 ライオネルに設定されたデイジーの試験期間も、この日を含め残すところ二日となった。

 一日の訓練を終えたスオウが食堂に入ると、フランシス、クリスティ、サイラスが同じテーブルを囲んで食事を取っているところであった。

「あっ、スオウさん、お疲れ様です」

「御疲れー。ってあれスオウ、今日は竜人用じゃないんだ」

 クリスティが言う「竜人用」とは、栄養分の消費が激しい竜人用のために作られる特別メニューだ。滋養たっぷりの素材を厳選し、しかも常人なら五人分はあろうかというボリュームがある。このくらい食べなければ、竜人の肉体は維持できないのだ。

 さて、スオウが手にしていたのは一般の兵士用の食事であった。大皿に山盛りにされた数種類のおかずの中から、好きなものをよそって食べる形式だ。

「今日は、少し気分を変えようと思ってな」

 そう言うスオウであるが、実はデイジーの試験が始まってからというもの、毎日この一般兵士用の食事を取っていた。

 スオウがそうする理由が、試験と関係していることは言うまでもない。スオウに課せられた指令は、いたってシンプルなものであった。


『デイジー・ロックウェル准尉に一本取られれば貴公の負けである』


 つまりは、デイジーの戦闘力を測るための試験なのだ。無論、この指令にも「手段は問わず」の但し書きがある。奇襲、闇討ち、罠など、いかなる手段を用いても可、ということである。

(なるほど、これは俺に適した役目といえる)

 スオウがそう考えたもの当然であろう。彼は、カルジュ式格闘術を修めた達人だ。カルジュ式の基本思想は、「いついかなるときも戦うことを想定し、危険から身を守る」というものだ。なんでもありという状況下でこそ輝きを放つ技術体系なのである。

 実際、スオウは奇襲に対しては滅法強い。ある種の危険察知能力が非常に高く、『切り替え』していない状態であっても、物陰に潜む敵の存在を敏感に察知し、的確に反撃することが可能である。

 スオウは普通の状態、デイジーが『切り替え』した状態で、デイジーが奇襲を仕掛けたとしても、スオウは事前にその予兆を察知し、デイジーの攻撃が届く前に『切り替え』を済まして反撃の準備を整えることだろう。

 クリスティ、サイラス、エドガーがすでに敗北したことはスオウも聞き及んでいる。もっとも、その詳しい内容については語ることが禁じられているため知らないのだが。

(デイジーは賢い。生まれ育った環境の影響もあろうが、カルジュ式の基本理念は教えるまでもなく身に付いている。俺も油断はしていられぬな)

 試験が始まってからというもの、スオウは自分を遠巻きに監視する謎の気配をたびたび感じていた。デイジーのものであろうことは容易に想像がつく。一度も仕掛けてくることがなかったのが、逆に不気味である。

 食事をいつものものから変えているのも、デイジーを警戒しているからであった。

 単純な奇襲ではスオウに勝てない。これは、デイジーも承知していることだろう。ならば、さらに二重、三重の策を講じる必要がある。

 スオウの食事に何らかの毒物を混ぜる――これは手軽に実行できて、しかも防がれにくい罠であるといえる。人を殺すことができるような毒物が混ぜられることはないだろうが、効果が一時的な眠り薬、痺れ薬の類は大いに警戒する必要がある。

 不特定多数の人間が口にする大皿料理すべてに毒物を混ぜることは、デイジーもするまい。スオウはそう考えたのだ。また、大皿料理は量が多いので、たとえ毒物が混ぜられたとしても効果は薄まってしまう。スオウがどの料理を選ぶのか分からないから、すべての料理に毒を混ぜなければいけない、というのもこの作戦を実行する際のネックとなる。

「残りは今日と明日、こっちで残ってるのはフランとスオウだけか。頑張ってよね、あたしたち全敗じゃ先輩としての面子丸潰れだよ」

「まあ、僕も頑張るけど……正直デイジーにはあんまり勝てる気がしないよ」

「おいおい、しっかりしてくれよ。エドガーを真似るわけじゃないが、気合が入ってなけりゃ勝てるものも勝てないぜ――スオウのほうはどうだ?」

「俺とて決して負けてやる気はない」

「うん、その意気! あたしたちの仇取ってよね」

「まあ、僕も精一杯やるよ。さて、ごちそうさま。お先――あっ、水差しが空だね。ついでに取り替えておくよ」

 丁寧なことに、新しい水を汲んでくるだけでなく、全員に水を注いでからフランシスは食堂を後にした。

「しかしスオウ、本当に気をつけろよ。俺たちも気をつけてはいたんだが、デイジーは一枚上手だったらしい」

「わかっている。デイジーは手強い。竜と戦うくらいのつもりでやる」


(残るは明日のみ。いい加減仕掛けてきてもいいころだ)

 フランシスたちに遅れて食堂を出たスオウは、ひとり兵舎への道を歩く。

 日は沈みかけ、あたりは薄暗い。ものの輪郭はぼやけ、明瞭に見えなくなる時間帯だ。いつぞやの格闘訓練の際、スオウは西日を利用した技を披露して見せたが――夕暮れ時特有の状況というのは、上手く使えば絶大な効果をもたらす。逆に、敵の襲撃を受ける者としては一番警戒しなければならない時間帯であるといえる。

 考えながら歩くスオウだが、その身のこなしには一点の隙もない。

「む……?」

 ふと、スオウの視界の先を小さな人影がよぎった――ような気がした。

 現在スオウは西日に正対して歩いているし、その人影らしきものの動きがあまりに速かったため、スオウといえではっきりと捕捉することができなかったのだ。

 そう思っていたら、もう一度。

 今度は間違いない。小柄な女性の人影――デイジーとみて間違いない。スピードが速いのは、彼女が『切り替え』しているためだろう。

 さらにもう一度。スオウの視界の中を、右へ左へ飛びまわる。距離は、五十メートルほど離れているだろうか。

「俺を誘っているというわけか」

 真の強者は、自ら危うきに近付いたりはしない。こうして挑発してきたということは、デイジーも相応の準備を整えているはずだ。相手の思惑に乗ってやる必要はまったくないのだが――

「……面白い」

 クリスティたち三人をまんまと出し抜いたというデイジーの手腕を、スオウも体感したくなったのだ。

「俺がこう考えることもお見通しなのかもしれんな。ますます面白い」

 スオウは『切り替え』すると、デイジーの姿を追って走りだした。


 デイジーは、あるときは建物の屋根の上を、またあるときは立ち木の枝の上をと、立体的で複雑なルートを行く。

 直線的にデイジーを追えば、スオウはすぐに追いつけるはずだ。しかし、スオウは慌ててデイジーとの距離を詰めようとはせず、あくまで慎重にデイジーを追う。アマディアスでクリスティを罠にかけたときのことを思えば、うかつに近づくのは得策ではない。

 デイジーは、人気の少ないほう、少ないほうへとスオウを誘導する。人目を気にせず戦えるのだから、スオウとしてもそれは好都合である。

 と、デイジーが建物の角を曲がった。スオウは、最大限の警戒をもって角の先の様子を覗う。果たして、デイジーの姿は消えていた。その気配も綺麗さっぱりかき消えている。

「やるな」

 呟き、スオウは目を閉じた。

 気配も見失ってしまった以上、どこから奇襲を受けるかわからない。こういう状況下では――あくまでスオウという男にとっては、ではあるが――視覚はかえって邪魔になる。

 スオウは感覚を研ぎ澄ます。音、匂い、空気の流れ――視覚以外のあらゆる情報を、脳内で精密に分析する。

(六時の方向百メートルに成人男性三人、こちらに向かって毎時四キロ。二時方向百四十メートル、かなり大柄な男だ。四時の方角に毎時五キロ。デイジーらしき気配は――まだ見つからない)

 半径二百メートル以内に存在する人間の気配を、スオウは一瞬のうちにすべて把握した。

(どう出てくる――む?)

 ごく小さいが、不自然な物音をスオウは聞き取った。ちりちりと何かが燃えるような――

(これは――導火線!?) 

 鼻から大きく息を吸う――火薬の匂い。十一時方向、四十メートル。しかし、この距離では相当量の火薬を仕掛けなければスオウを傷つけることはできない。それに、スオウに影響を及ぼすほどの爆発を起こしたなら無関係の兵士に被害が出る可能性がある。いくら手段は問わず、といっても、デイジーがそこまでの無茶をするはずがない。

(ということは、目くらまし――いや、耳くらまし、とでも言ったほうが正確か)

 スオウはそう結論付けた。火薬による爆発音で、自らの気配を誤魔化そうというのだ。

 その瞬間、轟音が巻き起こった。おそらくは、大きな音を出せるように工夫された爆弾だ。爆発音の大きさのわりに、スオウの肌に伝わる衝撃は小さい。

 爆発音を囮に使うとしたら、デイジーはどちらから攻めて来るのか。まず考えられるのは、爆発とは真逆の方向。爆発の方向から攻めるというのも効果的だろう。

(どこから来る――!)

 正解は、スオウの真上であった。近くの建物の壁にでも張り付いていたのだろう。竜人ならではの凄まじい跳躍力で、デイジーは一気にスオウの頭上に迫った。

「甘い!」

 スオウにとっても、それは意表を突かれた一撃だった。爆発から襲撃までの間、それは常人にとっては瞬きほどの時間だっただろう。しかし、スオウにとってはその刹那さえあれば十分だった。

 後頭部に掌打を打ち込もうとするデイジーだが、スオウは振り返りもせず首だけを動かしてそれを避ける。さらに、デイジーの腕を取って投げにかかった。

「ちいっ!!」

 デイジー大きく身を捻り、すんでのところでスオウの手を振りほどいた。空中で一回転すると、猫のように軽やかに地面に着地して見せた。

「惜しかったな」

「やっぱ、このくらいじゃあんたには通用しないか」

「続けるか」

 試験はあと一日。デイジーにもう一度チャンスを与えるつもりで、スオウはそう言った。しかし、デイジーの返答はスオウにとってまったく意外なものだった。

「まさか。あたいは今日であんたとの勝負にけりをつけるつもりだよ」

 デイジーは不敵に笑う。

(この余裕――まだ策があるというのか)

 今一度気を引き締めようとするスオウであったが、その身体に異変が起きた。目の前の景色が歪み、体が大きく傾ぐ。

「なっ……!?」

 何らかの毒物による反応だ。

「やれやれ、ようやく効いてきたか。効果が出るタイミングがシビアだったからどうなるかと思ったけど、上手くいったみたいだね」

 いったいいつの間に毒を――極小の毒針のようなものでも打ち込まれたか――いや、それに気づかぬスオウではない。

 そこまで強い毒ではない。意識を失うことはないし、決して戦えないというわけでもない。しかし――竜人が相手となると、これは致命的なハンデとなる。

 一気にデイジーが肉薄、スオウも反撃を試みるがその動きは竜人にとっては鈍重なものだ。デイジーはあっさりとスオウの背後を取ると、首筋に手刀を打ち込む。その一撃で、スオウの意識は刈り取られた。

 いったいどうやって自分に毒を――意識を失う瞬間スオウが考えていたのは、そのことだけであった。 

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