三
「マダラだと!? 場所はどこだ」
「東の山のほうです。ロブの爺さんが見かけたそうで」
「東の山……って、村のすぐ裏のか?」
「そのようです」
ハンターとアントニーが緊迫した様子で話しているが、その間フランシスはすっかり蚊帳の外だ。
「あのー、マダラって?」
堪りかねて、ハンターに尋ねる。
「ああ、隊長さんは知らなくて当然だな。マダラ、ってのはこの村の周辺に出没する熊のことさ。灰色地の毛皮に茶色の斑模様があるからマダラって呼ばれてる」
「巨大な人食い熊です。ここ数年で、数名の死者がでています」
と、家の中から村長が顔を出した。六十過ぎの、白髪の老人である。
「おお、ハンターさん、来てくだすったか」
「話は聞いた。それにしても、ロブ爺さんはよく無事で済んだな」
「ああ、わしも無我夢中でな。肩の辺りに一発ぶち込んでやったら、それで怯んで逃げていったんじゃ」
人だかりの中の一人の老人が答えた。彼が、件のロブ爺さんらしい。
「しかし、中途半端に手傷を負わせたとなると、厄介だぞ」
「そうなんじゃよ。加えて、冬眠前のこの時期じゃ。相当気が立っているに違いない」
村長もハンターも、うーんと唸って頭を悩ませる。
「すまんのぉ。わしが半端なことをしてしまったから」
ロブが、申し訳なさそうに謝罪する。
「爺さんのせいじゃないさ。命が助かってよかったよ」
ハンターが、そう言ってロブの肩を叩いた。
「やっぱり、この機会に山狩りして仕留めちまうのがいいんじゃないか?」
一人の男が提案するが、ハンターはそれを却下した。
「やめておいたほうがいいだろう。男衆が山狩りに出ている間に、手薄になった村が襲われたら大変だ。実際、過去にそういう事件があったんだよ」
それを契機に、男たちの間で喧々諤々の議論が始まった。
「しかし、おちおち木の実や茸も取りに行けねぇぜ。それはちょっと困るんだが」
「人手を半分に分けて、山狩りと村の守りに当たったらどうだ」
「それでは効率が悪いじゃろう。ただでさえ男手が少ないんじゃ」
「山に入るのは諦めて、村に篭るほうがいんじゃないか」
「村にいるからとて、油断はできんわい。三年前、リチャードのところの羊が食われたのを忘れたか?」
「完全に冬になるまで、マダラに怯えながら暮らすってのもなぁ」
男たちは口々に意見を言うが、さっぱり結論は出ない。皆が一通り言いたいことを言った後、沈黙があたりを支配した。村人たちの視線は、自然と村の守り手であるハンターに集中する。なんとかしてくれ、との期待が込められているのが、フランシスにも見て取れた。
「あー、皆の言いたいことも分かるが。実は、今日新しい隊長が着任してきたところでな。隊長を差し置いてあれこれ決めるわけにはいかんのだ」
「隊長? ひょっとしてそちらのお若い方が……?」
フランシスを見る村長の目には、落胆の色が浮かんでいた。無理もないことだ。パッと見では、フランシスは兵学校を出たばかりの若造にしか見えないだろうから。エドガーのように男臭さを全身から発しているようなタイプならともかく、フランシスはいかにも人のよさそうな青年だ。頼りなく思われるのも仕方ない。本来は、竜との近接戦闘を数度経験した、数少ない人物のうちの一人なのだが。
「フランシス・ファウラーです。このたび、アスカム村駐屯小隊隊長に任命されました。よろしくお願いします」
「うむ……まあ、一人でも人手が増えるのは僥倖じゃ。で、どうしたらいいかね」
村長は、まるで期待はしていないが、一応聞いてみたという様子だ。
「そうですね……」
任ぜられたからには、隊長職を全うしなければならない。人を指揮することは不慣れだが、責任案の強いフランシスは必死に考える。
「応援を呼ぶにはどのくらいかかりますか?」
「一番近い村でも、往復二日はかかるだろう。夏場ならともかく、今の季節夜に移動するのは危険だからな。無理を言えば、一日半ほどで済むかもしれんが」
「集められる人員は?」
「うーむ、他の村の駐屯部隊も、村を完全に空けるわけにはいかんだろうしな。それに、アスカムと同じでこの界隈の村の男は、大部分が出稼ぎに出ている。三つの村を回って十人集めるのがやっとというところだ。それ以上となると、大きな町の騎士団支部まで行かなくちゃならん」
「安全に山狩りをするにはどのくらいの人数が必要ですか?」
「五人ほどの隊が五つか六つ以上あったほうがいいじゃろう。相手は並みの熊ではないからな」
ハンターの代わりに、村長が答える。
「今、村で戦えるのは?」
「十二、三といったところか。それも、ほとんどはわしのような年寄りばかりじゃよ」
山狩りに必要な人員を集めるには、どうしても数日を要することになる。過去に村の中まで進入してきたこともあるらしいので、村に篭るにしても、四六時中警戒をしていなければならない。
本当は、手っ取り早く解決する方法が、すでにフランシスの頭の中にはあった。竜人兵たる自分が山に入り、熊を打ち倒すというものだ。しかし、熊というのは未知の相手だ。今回、フランシスはヘヴィー・ハチェットを持ってきていない。本来それは対竜用の武器であり、長旅をするのには無用の武器だと考えたからだ。装備しているのは、携帯性の高いナイフ二本とマスケット一挺。本当にこれでやれるだろうか――そんなことを考えていると、一人の女性が血相を変えて駆け寄ってきた。
「マダラが出たって本当ですか!?」
開口一番、女性が叫んだ。
「今、対策を話し合っているところだが……どうしたんだ、ポッターの奥さん」
「子供たち――アンとサムがいないんです! あの子たち、私の目を盗んでちょくちょく村の外へ出歩いてるみたいで……」
ポッター夫人の顔面は蒼白だ。危険な熊が村の近くを徘徊しているというのだから、無理なからぬことである。
「まあ、落ち着くんだ。……しかし、弱ったな」
ハンターが唸る。一刻も早く捜索に行くべきだが、何せ人手が足りない。男衆が村を空けるわけにもいかないのは、上述の通りである。ことここに至っては、フランシスも躊躇している場合ではなくなった。
「僕が東の山に行きます! 他の皆さんは、手分けして村の近くを捜索してください」
「隊長一人でか!? 無茶だ、マダラに遭っちまったらどうするんだ。それなら、俺も一緒に行くぞ」
と、ハンター。
「私も、当然お供いたします! 東の山のあたりなら、子供の頃から知っていますので」
アントニーも力強く言う。
「……わかりました。では、早速出発の準備をしましょう。ハンターさんは、男の人たちに村の防衛の指示を」
「わかった!」
準備を整えたフランシスたちは馬に飛び乗り、慌しく村を飛び出した。
アントニーが言うには、その裏山というのは昔から村の子供たちの遊び場になっているため、ポッター夫人の子供たちがいる可能性は十分にあるのだという。無論、マダラがそこに出たというのは今回が初めてであった。
平原をほんの少し進んだところに、その山はあった。フランシスたちは馬を降り、山に分け入る。
針葉樹林が広がる周辺と違い、この山には人の手によって有益な樹木が植林されている。足元には、色とりどりの落ち葉が厚く積もっていた。
三人は、弾丸が装填されたマスケットを手に、注意深くあたりを探る。
「ちょっと待ってください」
そう言うと、フランシスは地面に耳をつけてみる。スオウやアルフレッドの真似事だ。『燃料切れ』の危険が伴うため、竜人の力はできるだけ温存したいところではあるが、今回は子供の居場所を特定することが最優先である。
確かに、いくつかの足音らしきものは聞こえる。が、それが子供たちのものなのか、野生の獣のものなのか、そしてマダラのものなのか。フランシスには判別できなかった。一応、アルフレッドから足音の聞き分け方を教わってはいたが、厚く積もった落ち葉が音を吸うため、聞き取りが困難なのだ。
とりあえずは、一番近くの足音を目指すことにする。
「隊長さん、まるで猟師みたいだな。そんな特技があったのか」
「まあ……仲間に、こういうことが得意な人がいまして」
しばらく山中を歩く。が、その足音の主は、一匹の鹿であった。ふたたび、地面に耳を付ける。今度は、ひとつ特徴的な足音が聞こえた。どしん、どしんといかにも重量感のある足音だ。もしや――と思った瞬間、山中に響き渡る甲高い悲鳴、そして地面から伝わる乱れた複数の足音。
「こりゃあ、拙いぞ! アントニー!」
「はい!」
二人が、慌てて駆け出す。
「僕が先行します!」
そう言うと、フランシスは一気に加速した。竜人の脚力をいかんなく発揮し、落ち葉を舞い上げながら走る。そのあまりの速度に、ハンターとアントニーは呆然とするほかなかった。
「あそこか!」
フランシスの視界の先。木々の間から、灰色の大きな影が見える。そして、数十メートル先には、小さな二つの人影。ポッター夫人の子供たちに違いない。必死で逃げる二人だが、所詮は子供だ。全力を出せば毎時四十キロにも達するといわれる熊の足からは、逃げ切れるはずもない。見る見る熊が二人に迫る。
「くっ!」
いっそう足に力を込め、さらに加速。男の子が足をもつらせ、転倒した。熊の片手が無情にも振り上げられ――
「危ない!」
すんでのところでフランシスが間に合った。熊との間に割り込むと、とっさに子供を突き飛ばした。
「ぐうぅっ!?」
振り下ろされた熊の右手を、その身に受けた。マスケットを盾にして防御したものの、フランシスの身体は軽々と吹き飛ばされる。マスケットは完全にへし折られていた。
「お兄ちゃん、大丈夫!?」
男児がフランシスに駆け寄る。
「ぼ、僕は大丈夫。君は早く逃げるんだ!」
頭を振って立ち上がると、子供を背に庇ってナイフを抜き放つ。二人の子供は、心配そうな眼をフランシスに向けながらも、その場から遠ざかっていく。
マダラは後足で立ち、狩りの邪魔をしたフランシスを睨みつける。ハンターが語ったように、灰色の毛皮には茶色の斑模様が混じっている。いや、もともと茶色の毛皮が色あせて灰色になり、ところどころ茶色が残ったというのが正しいだろう。身の丈は、フランシスの二倍を優に越える。生まれ故郷のジーンの村の近くでも、何度か熊を見たことのあるフランシスだったが、どれも大きさは二メートルを越えなかった。全身に傷跡らしきものが見え、この熊が古強者であることをうかがわせる。
――怯むな。
フランシスも負けじと、マダラを睨み返す。一撃こそ受けてしまったものの、骨に異常はない。両手のナイフを逆手に構え、戦闘体制に入る。
「グオォォォッ!」
咆哮とともに、マダラが猛然とフランシスに襲い掛かる。振り下ろされる爪をかい潜り、ナイフを一閃、二閃。腹部のあたりを十字に切り裂くが、マダラは全く怯まない。ふたたび爪を振りかざしてフランシスに迫る。
「浅いか!」
フランシスは、後ろに跳んで距離を取る。熊というのは、分厚い毛皮と筋肉、並外れた生命力を持つ動物だ。しかも、マダラはとりわけ巨大で強靭だ。いかに竜人といえど、生半なことで倒せる相手ではない。
繰り出される爪は、竜人たるフランシスにとっては大したスピードではない。コマのように熊の周りを回りながら、フランシスは矢継ぎ早に斬撃を繰り出す――が、どれも致命傷とはならなかった。ナイフの刃渡りが短いのと、刃自体に重量がないために、深く傷を付けることができないのだ。
熊の血糊がナイフにたまり、切れ味が鈍っている。斬撃が駄目ならば、と、フランシスは熊の懐に飛び込むと、腰だめに構えたナイフを思い切り突き刺す。
「グオアッ!?」
さしものマダラも苦悶の声を上げる。しかし、やはり刃渡りが短い。内臓まで達しなかったことは、フランシスもその手ごたえでわかった。
「くっ!」
慌てて引き抜こうとした瞬間、そのナイフは根元からぽっきりと折れ、フランシスの手元には柄だけが残った。これで、フランシスの武器はあとナイフ一本のみ。どうしたものか、とフランシスが考えていると、熊は前足を下ろして四本足で立つ。地面を馴らすように数度足踏みすると、フランシス目掛けて一気に突進した。
「って、うわっ!?」
横に飛びのこうとしたフランシス。しかし、落葉に薄く積もった雪に足を滑らせ、反応が遅れる。とっさに腕を交差させ、後ろに飛びのいた。が、それでも衝撃は殺しきれず、フランシスは数メートル吹き飛ばされて、背中から立ち木に激突した。立ち木が揺れ、梢に積もった雪が降り注ぐ。
竜人の反射速度なら、かわせない攻撃ではなかった。一瞬の油断が招いたダメージだった。
気が付くと、フランシスの手の中にナイフがない。見回すと、マダラの足元に光るものが見えた。体当たりの衝撃で、思わず取り落としてしまったのだろう。これで、フランシスはとうとう丸腰になってしまう。
と、パァンという乾いた音が響き、熊の太ももあたりから血が流れ出した。
「隊長、無事か!?」
煙を吹くマスケットを手に、ハンターが走り寄る。続いて、銃声がもう一つ。アントニーによるものだ。しかし、弾丸は熊の身体をかすめ、後方の木の幹にめり込んだ。
銃弾を受けてもなお、マダラは全く怯まない。それどころか、ますますいきり立った様子だ。
「退却しましょう!」
アントニーが叫ぶ。しかし、フランシスはともかく、他の二人がマダラから逃げ切れる保障はない。そして、フランシスたちの後を追って、この熊が村になだれ込む可能性もある。
「ここで、仕留めます」
不退転の決意で、フランシスがふたたび熊と対峙する。
「おい、無茶だ!」
ハンターが止めるのを無視して、フランシスが一気に熊に肉薄する。振り下ろされた爪を、左手でいなしつつ、懐に入り込んだ。
フランシスの頭にあったのは、スオウから教わったカルジュ式格闘術のある技だ。スオウ曰く、基本中の基本であり、同時に最終奥義でもある。まさに、カルジュ式の技術の粋を体現した技。
幅広に足を開き、右手を腰から後ろに引き絞る。短く、鼻から息を吸う。――軸足の指先から、右手の先まで。体全体が、一つの螺旋を描くように。足先に蓄えられた力を、回転運動に変えながら腕に伝える。
「はあぁっ!」
どすん、という鈍い音とともに、フランシスの掌底がマダラの胸板に突き刺さった。同時に、手首を一ひねり。
「グ……ォゥ……!?」
自分の身に何が起こったのかわからない、という表情でマダラの身体が硬直する。一瞬の間を置いて、その口から鮮血が零れ落ちた。マダラは、ゆっくりと地面に倒れ伏す。
その名も『螺旋』という。かつて、間者騒動の際、スオウが巨大な炎竜をぐらつかせた技だ。骨や筋肉を透過して、対象の身体の内部に直接衝撃を伝える。スオウに比べ、まだまだ稚拙なものだったが、竜人の膂力から放たれたその一撃は、マダラの内臓を破壊するのに十分な威力を持っていた。
「や、やったのか……?」
思わず、その場に尻餅をつくフランシス。竜とは比べるべくもないが、手ごわい相手だった。安堵感から力が抜ける。
「驚いたな、こりゃ。村の連中になんて説明したらいいんだ」
「同感であります」
ハンターとアントニーは、呆然とマダラの死体を見つめる。
「そうだ、子供たちは?」
ハンターに手を引かれ、フランシスが立ち上がる。
「心配要らないさ、子供にとってここいらは庭みたいなもんだ。すぐ見つかるだろう。それより隊長、怪我は?」
言われて、フランシスは自分の身体を見回す。擦り傷や打撲はあるものの、骨折・脱臼などの大きな怪我はないようだ。竜人の回復力ならば、一晩と経たぬうちに全快する程度の負傷である。
「大丈夫みたいです。……すいませんでした、独断専行しちゃって」
「いや、隊長のあんたが謝るこっちゃないが……それにしても、驚いたよ。あんた、竜人だったんだな。
「竜人のこと、知ってるんですか!?」
「ああ、俺もヒヨッコのころ、東方遠征に従軍したからな。パーシヴァル将軍が戦うのも見たことがある」
「あの……できれば、このことはあまり大っぴらにしないでもらいたいんですけど」
極秘というほどのことではないのだが、竜人兵に関することは極力公言しないように、というのが対竜部隊での決まりごとなのだ。
「うん? まあそれは構わんが。しかし、就任早々大手柄だなぁ」
「自分も、感激いたしました! このような隊長の下で働けることを、誇りに思います!」
「アントニーさん、大げさですって……で、この死体はどうします?」
「そうだなぁ」
ハンターがマスケットに弾を込めると、死体の眉間に弾丸を撃ち込んだ。
「隊長の放った弾丸が、見事コイツの急所を撃ち抜いた、ということにしておこう。まさか、素手で仕留めたなんて言っても誰も信じないだろうしな」
「熊の死体からは、肉や毛皮が取れます。村人たちに知らせれば、引取りに来るでしょう」
「そういうわけだ。あとは皆に任せて、俺たちは引き上げるとしようや」
ハンターたちに肩を借りつつ、フランシスはその場を後にした。




