一
「はーくしょん!」
木々の間に、フランシスのくしゃみの音が響いた。うっそうとした針葉樹林の中、ほとんど獣道に近いような街道を、フランシスは歩いていた。
「どうした、隊長さん。風邪かい? ここいらはシラーズに比べて随分冷えるからなぁ」
傍らを歩く揃いの軍服姿の中年男が、心配そうに声をかける。
隊長――そう呼ばれるようになってからだいぶ経つが、フランシスはいまだにその呼称に違和感を覚えずにはいられない。フランシスにとって「隊長」とは、すなわちレナード・パーシヴァルのことだからだ。対竜部隊には、たとえば砲兵隊長のようにほかにも「隊長」という肩書きが存在するけれども、単に「隊長」と言われればやはりレナードのことだ。
「確かに寒いですけど。大丈夫、たぶん風邪とかではないので」
薄く積もった雪を踏み締めながら、フランシスが答えた。
「ほう、するとアレか。シラーズに残してきた『コレ』が噂でもしてるのか」
そう言って、男は立てた小指をフランシスに見せ付ける。
「そんなんじゃないですって!」
フランシスが赤面する。
「なんだ、見かけどおりというか、純情なお人だなぁ。エリート士官様とは思えないぜ」
「エリートは止して下さいって言ったじゃないですか、曹長」
「ハハハ、これは申し訳ない、少尉どの」
ふと、フランシスの顔に冷たいものが当たる。
「また、降ってきましたね」
「ああ。本格的に振り出す前に、見回りを終わらせちまいましょうや」
「そうですね」
フランシスは、ふと空を見上げる。のっぺりとした分厚い雪雲から、粒の大きな雪がちらほらと舞い落ちる。
「……シラーズ、か。クリスやみんなはどうしてるかな」
ぽつりと一人ごちた。
「おーい、隊長さん、どうした? 早く行こうぜ」
「あ、すいません!」
二人は足を速め、先を急ぐのだった。
ここは、コルドアフロンティア最北端、アスカムの村。フランシスは、村の駐屯部隊の小隊長としての任についていた。なぜそのようなことになったのかを説明するには、時をしばし遡らなくてはならない。
ことの起こりは、数週間前。琥珀竜の討伐作戦から、一ヶ月あまりが過ぎようというころであった。
その日、フランシスたちは一匹の炎竜の討伐に赴いていた。炎竜の身体は小ぶり。小高い丘に囲まれた広い平地という、討伐に適した地が作戦に選ばれた。
作戦はほぼ計画通りに進行し、執拗な砲撃とトラップをその身に受けた炎竜は、『大鷲』の出番を待たずして斃れることになった。
隊員たちは、いつになく上機嫌だった。作戦がすんなり終わったからだとフランシスは考えたが、それにしても浮き足立っているように見える。
「ねえ、みんな随分機嫌がいいんじゃない? どうしたのかな」
撤収作業を手伝いながら、クリスティに尋ねてみる。
「ああ、今年の討伐作戦は多分今日で最後だからね。そのせいじゃない?」
「最後? どうしてわかるの?」
「基本的に冬、特に雪が降るようになると、作戦はやらなくなるから。この間シラーズでも初雪降ったじゃん」
対竜部隊の竜討伐は、冬季には行われない。行軍が困難になることが理由の一つ。
そして、雪が深く積もった場合、図体の大きい竜よりも、人間のほうがより大きく機動力を削がれることになるというのが大きい。たとえば五十センチも雪が積もろうものなら、人間は歩くのも困難になる。一方巨大な竜の場合、足先がちょっと濡れる程度にしか感じないだろう。機動力がないと、『釣り出し』を行う際の『釣り餌』役や、トラップを発動させる人間が大きな危険に晒されるし、万一作戦が失敗した場合の撤退が大きく遅れてしまうのだ。
フランシスは、そんな話をのちに聞いた。
「ファウラー少尉、いますか」
遠くから、ダイアナがフランシスの名を呼ぶ声がする。
「少佐? なんだろうね」
「わからないけど……とにかく、行ってくるよ」
作業の手を止めて、フランシスは声のするほうに向かった。
「ああ、いましたか。少尉、あとで隊長からお話があります。基地に帰還し次第、隊長執務室に出頭するように」
「お話? いったい……」
「別に説教をしようというわけではありませんから。そんな心配そうな顔をしなくても大丈夫ですよ」
「はあ、了解しました」
そんなわけで、基地に戻ったフランシスはレナードの執務室のドアを叩いた。
「フランシス・ファウラー、ただいま参りました」
「ご苦労、君も敬礼が板についてきたようだな」
「はっ、入隊してもう半年以上経ちましたので」
レナードの合図で、休めの姿勢をとるフランシス。
「今日来てもらったのは、他でもない。君には出張……というか、転属をしてもらうことになった。一時的に、だが」
「転属、ですか」
現在のフランシスの正式な所属は、辺境騎士団対竜部隊長・レナード直下の遊撃隊ということになっている。任務の特殊性もあり、通常の騎士団の枠組みからは独立したポジションだ。
「騎士団の決まりとして、士官は最低一度、地方の駐屯部隊で小隊長任務に就かなければならないというものがある。君にも、そろそろこれをやってもらいたい。これからの季節は出撃もなくなるからな」
「そういうことなら、わかりました。一時的に、って仰いましたけどどのくらいですか?」
「五ヶ月だ。歳をまたぐ中途半端な期間なのだが、とある駐屯部隊の隊長が病気になってしまった。ちょうどいい機会だと思ってな。面倒は早く済ませてしまったほうがいいだろう」
レナードは、一枚の書類を取り出した。
「これが、正式な辞令だ。受け取りたまえ」
「はっ! 拝命します!」
敬礼をして、辞令を受け取るフランシス。その書類には、以下の文面が記されていた。
『フランシス・ファウラー少尉 貴殿を、○月○日付をもってアスカム村駐屯小隊隊長に任ずる。 辺境騎士団対竜部隊隊長 レナード・パーシヴァル少将』




