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ドラゴンズヘブン  作者: 田崎 将司
老人と竜
34/60

「へぇ~、すっごく綺麗……」

 クリスティの言葉は、作戦に参加したほとんどの人間の胸中を代弁するものであっただろう。筋肉の動きに合わせて脈動する黄金色の鱗が、降り注ぐ陽光を乱反射する。その姿は人間が作ったどんな工芸品よりも美しい。

 相手が倒すべき作戦目標であることを、誰もが――いや、正確には二人を除いて、であるが――一瞬忘れさせられた。

「観測班、報告を!」

 ダイアナの鋭い声が、隊員たちを現実に引き戻す。琥珀竜を前にして平静を保ったうちのひとりがダイアナ、そしてもう一人はアルフレッドであった。

「は、はっ! モーガン中尉はニューマン大尉の想定したルートどおり、目標を誘導中であります!」

「地点Aまでの到達予想時間は」

「四百秒前後と思われます!」

 ぎりぎりではあったが、準備は間に合った。優秀な部下たちに感謝だ――ダイアナとしては、すぐにでも部下たちを労いたいところだが、今はまだその時ではない。

「ノックス曹長、準備はよろしいか」

「もちろんであります、マム!」

 ダイアナは軽く頷くと、死線を竜に戻した。スオウは、付かず離れずの距離を保ちながら、巧に竜をトラップ地点に引き寄せている。

「『大鷲』隊員は、ウォームアップして待機」

「了解」

 今回ダイアナは、『大鷲』隊員による白兵戦は想定していない。トラップと砲撃、そして『吼狼』の狙撃で決着がつかない場合、即時撤退というのがダイアナが思い描いたプランである。

 『大鷲』に「切り替え」を命じたのは、彼らに撤退戦の殿を務めさせるためだ。いまスオウがやっているように、竜を挑発し引きつけ、撤退完了までの時間を稼ぐ。琥珀竜の足はさほど速くない。竜人の脚力をもってすれば、そう難しいことではないはずだ。

「あと六十秒!」

 五十秒、四十秒、三十秒――作戦開始直前のこの時間は、フランシスにとって永遠にも感じられる。

 そして、竜が地面に塗料で引かれたラインを踏み越えた。

「今だ、放て!!」

 琥珀竜の四方から、強靭なワイヤーネットが襲いかかる。

「ギギギィッ!?」

 ネットに四肢を絡め取られた琥珀竜が、まるで金属板を擦り合わせたような唸り声を上げる。

 続いて、六機の大型カタパルトから立て続けに特殊弾が発射された。陶器の大きな器に膠と樹脂を原料とするある種のとりもちを詰めた弾は、当たれば対象の動きを鈍らせることができる。それぞれのカタパルトが四発ずつ撃ったうち、命中は二発。それでも竜まで四百メートルという距離を考えれば、十分すぎる戦果である。

「全砲門、斉射!」

 ダイアナの号令で、十五門の大砲が一斉に火を吹いた。フランシスが初めて参加した炎竜の討伐作戦では、六十門の大砲が使用された。それに比べれば随分寂しい数字ではあるが――今回の作戦ではこの数が精一杯であった。

 轟音に次ぐ轟音。用意した弾薬の三分の二が放たれたところで、ダイアナが撃ち方やめの合図を送った。

「どうだ……?」

 砲撃によって巻き上がった土煙の中心を、フランシスは注視する。と、ひときわ強い風が土煙を吹き飛ばした。

「ちぃっ、ダメか!」

 エドガーが忌々しげに舌打ちした。

 その間、ダイアナは『吼狼』を携え、大きな岩山の上に陣取っている。

 砲撃で竜を倒せなかった場合、『釣り餌』役のスオウがそのまま竜を誘導し、『吼狼』の狙撃に適した場所へ誘い込む手はずとなっているのだ。

 スオウは予定通りの進路で、竜を誘導する。しかしその時――

「いかん、スオウ!」

 叫んだのはアルフレッドであった。それとほぼ同時に、竜の頭部に閃光が奔る。

 一筋の雷光が空気を斬り裂き、一瞬にしてスオウの身体を貫いた。

「ぐ、あぁっ!?」

 スオウが、足をもつらせて転倒した。

「ファウラー、キーツ!」

 ダイアナの声が発せられる前に、すでにフランシスとクリスティは走り出している。

 おおよそ四百メートルの距離を、クリスティは十数秒で走破した。竜が次の行動を起こす前にスオウのもとに辿り着いたクリスティは、スオウに肩を貸すとすぐさまその場からの離脱を試みる。遅れて追いついたフランシスもそれに協力し、一気に竜から距離を取った。

 もともと足が遅いことに加え、膠を使用した特殊弾の影響もあるのだろう。琥珀竜の足取りはいかにも鈍重だ。

「スオウ、大丈夫?」

「ああ……済まない。俺としたことが、とんだ失態だ」

 命には別状ないようだ。ただ、着衣のあちことは黒く焼け焦げ白煙が上がっており、皮膚には火傷を負っている。

「あれは聞いていた以上に厄介だ」

 距離があったフランシスたちのほうが、竜の挙動はよく見えていたはずである。しかしフランシスたちも、雷撃が放たれるまでその予備動作らしきものは感じ取れなかった。ただひとり、アルフレッドだけがそれを察知していた。

 一方、本陣ではエドガーとサイラスが出撃の準備を整えていた。スオウが安全圏に逃れたのち、二人が竜を誘導することに急遽決定したのだ。

「砲兵隊一斉射と同時にガーラント・ノリス両名は突撃開始。準備は」

「問題ありません――せっかくだから、俺たちもひと当てしてやろうじゃねぇか」

 エドガーは、工廠から持ち出した巨大な鉄球を抱えている。エドガーは誘導約だけでは満足できず、竜に一撃加えてやろうと考えているのだ。

「まあ、お前がそう言うんなら付き合うが……この武器は正直ぞっとしないな」

 サイラスはあまり乗り気出ない様子であるが、それでも手には謎の武器を携えている。卍型に二枚の刃を組み合わせた投擲武器である。

 スオウたちは、すでに本陣近くまで撤退していた。ダイアナが腕を振り下ろしたのを合図に、大砲が再び火を吹いた。

「行くぜ、サイラス!」

「おう!」

 フランシスたちとすれ違う形で、サイラスとエドガーが陣を飛び出した。

「近付きすぎるなよ、エドガー!」

「わかってるって! スオウの二の舞はご免だからな!」

 スオウが雷撃を喰らったときの竜との距離は、おおよそ三十メートルだ。無論、それが雷撃の最大射程とは限らない。二人はマージンをとって、百の距離で散開した。

 雷撃は確かに視認してから回避することはできない。しかし、灼熱呼気や砂塵呼気と異なり、その有効範囲は狭い。激しく動き回って狙いを絞らせなければ、喰らう確立はぐっと低くなる。

 ジグザグに不規則な軌道で走るエドガーとサイラスに対し、琥珀竜は狙いを定めかねているようだ。動きには迷いがはっきりと見て取れた。

「今だ!」

 エドガーは鉄球に繋がる鎖の先に取り付けられた把手を両手で持ち、自らの身体を回転させて鉄球に勢いをつけた。

「うおおおおぉぉぉーーーッ!!」

 エドガーの咆哮とともに、巨大な鉄球が一直線に飛翔し、琥珀竜に命中した。しかし――乾いた音を立て、鉄球は竜の鱗に弾かれた。

「今度は俺が!」

 サイラスが、謎の投擲武器を横手投げで投げ放った。その刃は、高速回転しながら竜の鱗を切り裂いた。鱗のほんの表層のみを、であるが。

「ダメだ、まるで使えねぇ!」

「だから俺はやめとけと言ったんだ!」

 二人は攻撃を諦め、竜の誘導に専念する。ダイアナの指定した地点までの誘導は難しいことではなかった。

「まったく、余計なことを――」

 ダイアナの眉間に皺が寄る。しかし、竜に攻撃を加えるの全く無駄なことというわけではない。

 琥珀竜の体表を流れる電気、それが遠距離狙撃を不可能にする原因である。しかし――ほんの一瞬ではあるが、その電気が消える瞬間がある。雷撃が放たれた直後である。よって、竜を苛立たせ、雷撃を誘う必要があるのだ。

 エドガーとサイラスは、竜の周りを走り回りながら機を窺う。互いに目配せし、二人同時に竜に接近した。

(いつだ――許される誤差は一秒にも満たない――!)

 竜は二人を交互に見やると、次の瞬間ほんのわずかに首を傾げるような動作をした。

「――ッ!」

 エドガーに向けて、雷光が疾った。ほぼ同時に、ダイアナの人差し指が動いた。

 凄まじい破裂音とともに、巨大な威力を内包する弾丸が唸りを上げて竜に迫る。

「――駄目か」

 着弾の音が、ダイアナに狙撃の失敗を知らせる。

 狙撃自体は完璧だった。しかし――琥珀竜の体表を流れるという電気が、弾丸の進行をほんのわずかに狂わせたのだ。

 エドガーは、辛くも難を逃れることができたようだ。とっさに横に転げたおかげで、直撃だけは免れたのだ。雷撃の有効範囲は狭いため、ここぞのタイミングで行動を起こすことができれば回避することは可能である。一種の賭けではあるのだが。

 琥珀竜の狙撃が、これほどシビアなものだとは。ダイアナは唇を噛む。しかし、今は悔やんでいるときではない。ダイアナは即時に撤退を決意した。

「全軍撤退準備! 砲・弾薬や余分な資材はすべて放棄しろ! 荷車も捨て、馬には乗せられるだけの人員を乗せるのだ!」

 号令とともに、部隊が一斉に動き出した。

 撤退時の行動がいかに迅速であるか、それは軍隊の優秀さを表す指標となる。対竜部隊は、引き波のごとき速度で撤退を開始した。

「ダイアナ嬢ちゃんよ」

 矢継ぎ早の指示を行うダイアナの肩を叩く者があった。

「なんですか、ニューマン殿」

「『吼狼』はもう一丁持ってきているじゃろう。あと一度だけ、試してみんか」

「しかし――」

「どの道、『大鷲』があの竜を引きつけねばならんじゃろ。そのついでじゃ。どうかの」

 ここで竜を倒したいと思うのは、ダイアナとて同じである。撤退までの時間稼ぎのついでだというのなら、リスクもさほど大きくはない。

「……わかりました。狙撃はニューマン殿が?」

「まさか。わしはもう前線を離れて久しい。指示はさせてもらうが、撃つのは嬢ちゃんに任せるわい」

「わかりました」

 ダイアナは撤退の指揮を副官のジョンソンに委ねると、二丁目の『吼狼』を担ぎ上げた。

「それで、具体的な手順は」

「そうさの……フランシスの奴を借りるぞ。あとはわしが言うとおりの場所で、言うとおりの時にそいつを撃ってくれりゃええ」


 撤退が進む中、フランシスはひとり竜と対峙していた。

 アルフレッドから受けた指示は、ごく簡単なものだ。竜を引きつけ、指定の速度・ルートで走るだけだ。

「ただし――一発だけは喰らうかもしれん。すまんが、それだけは我慢してくれ」

 アルフレッドは、そうフランシスに言った。

「わかりました」

 すぐさま返答したフランシスに、アルフレッドは苦笑を漏らす。

「れいの炎竜との戦いのときも思ったが――お前さんは変わった男じゃの」

「……?」

「わしのような老いぼれの言葉を信じ、迷うことなく指示に従うという。不安はないのかね?」

「正直、怖いことは怖いです。でも……あの炎竜が僕の故郷に迫ろうとしていたとき、みんなは無茶な提案をした僕に、恐れることなく手を貸してくれました。だから、僕も仲間を信じることができるんです」

「フッ、ハッハッハッ! なるほど、見上げた根性じゃ! これほどの男、久しく見なかったわい。こいつは、失敗するわけにはいかんのう」

 アルフレッドの落ち窪んだ瞳が、爛々と輝き始めた。


 まずは百メートルほどの距離を保ち、竜を平原の中央あたりまで誘導。これは難しいことはない。

 続いて、徐々に距離が縮むよう減速しつつ、大きく右に旋回。

「目印の岩は……あれか」

 フランシスは大きく弧を描く軌道で走りつつ、アルフレッドに指定された岩を視線の隅に捉えた。岩に到達した時点での彼我の距離は五十メートルと言われている。少しだけ歩幅を縮め、速度を調節する。

 アルフレッドから受けた指示はあとひとつ。岩の先にある一本の枯れ木を過ぎたところで立ち止まる、それだけだ。


 一方、ダイアナは伏せ撃ちの姿勢で『吼狼』を構えたまま静止していた。照準は、目印の岩と潅木の中間に合わせられている。

 あとはアルフレッド指定のタイミングで引き金を引くだけだ。

 一度狙撃に失敗しているという事実が、ダイアナに余計な重圧をかけている。引き金に触れる指の筋肉がわずかに震えているのが、自分でもわかった。

「駄目でもともとじゃ、そう硬くなるな」 

 アルフレッドの声音は、場違いなほど鷹揚だ。

「しかし、私には指揮官としての責任があります」

「責任のぉ。そんなものは犬にでも食わせちまえばいいんじゃよ。お前さんは全部自分でなんとかしようとするきらいがあるの。たまには他人におっ被せてもバチは当たらんじゃろ」

 しかしダイアナは、そんな言葉で納得できる性格の持ち主ではない。

「まったく、頑固者め。そうさの――では、これだけは言っておこう。フランシスの奴は、わしとお前さんを心から信頼し、あの竜の前に立っておる。それだけじゃ」

「それでは、ますます失敗できませんね」

 言葉とは裏腹に、ダイアナの身体からは余計な力が抜けて行く。

 アルフレッドは苦笑した。アルフレッドの言葉はきっかけに過ぎない。ダイアナは、この程度の重圧は自力で跳ね退けることができる精神力を、はじめから持っていたのだ。

 仲間の信頼には答えねばならない――その想いが強くなれば強くなるほど、真の実力が発揮されていく。つまるところ、ダイアナはこういう場面にこそ燃える女なのだ。


 フランシスは、とうとう目標の岩を通り過ぎた。

 次の目印である枯れ木まで、あと五十メートル、四十メートル――雷撃を操る琥珀竜を前にして足を止めることは、当然大きな危険を招く。しかし、ここで怖気づいては作戦が台無しだ。アルフレッドとダイアナに対する信頼以外の感情を、頭から追い出す。


 二十メートル、十メートル――フランシスが予め想定していたとおりに動いた結果とはいえ、琥珀竜はまるで引き寄せられるように『吼狼』の照準に吸い込まれていく。

 五メートル、三メートル――竜が、わずかに首をもたげた。

「それ、今じゃ」

 ダイアナが引き金を引き――同時に雷撃が放たれ――琥珀竜の体表から電気が消えたその瞬間に、弾丸は着弾した。


「フラン、大丈夫!?」

「いててて……なんとかね」

 側頭部から血を流して倒れる琥珀竜を眺めつつ、フランシスは立ち上がった。しかしその足は覚束なく、エドガーとサイラスの肩を借りなければな歩くこともままならない。

 エドガーと同じくタイミングを見計らっての回避を試みたフランシスだったが、それはあえなく失敗し、雷撃をもろに浴びてしまった。クリスティ、エドガー、サイラスがすぐさまフランシスの救出に向かったが、次の瞬間には勝負は決していた。

「しっかし、大したもんだぜ、爺さんも」

「ああ。まさにどんぴしゃり、ってやつだな」

 銃弾が発射されてから目標に到達するまでのわずかな時間と、雷撃の発射後体表の電気が消えるわずかな時間――この二つを計算に入れなければ成功しない狙撃だった。皆が感嘆するのも当然であろう。

「ほんと、凄いや」

 フランシスは、身体の痛みも忘れて呟いた。


「ニューマン殿、感謝いたします」

 ダイアナがアルフレッドに最敬礼した。年齢差があるとはいえ、階級はダイアナが上である。軍という組織の中では異例な行為といえる。

「まあ、わしは大したことはしとらんよ。今回わしははたまたま長いことあの竜を見とったからの。お前さんよりほんの少しだけあの竜の特長について知っておった、それだけの話じゃ」

 アルフレッドが言うには、原因は不明――過去に負った古傷のせいだとは推測される――だが、あの琥珀竜は右足の動きに若干不自然なところがある。そのため、特に右に旋回する際に走行速度が落ちるのだとか。そして、苦手な右回りで誘導された竜は、当然苛立つはずだ。そこへ、対象が足を止めたとなれば、これ幸いとばかりに雷撃を放ってくるだろう。その瞬間を狙い撃つべし。

 すべては、アルフレッドの読みどおりであった。

「まあ――嬢ちゃんには、もう少し生き物について学ぶ必要があるじゃろうな。動物を撃つ場合、大事なのは対象を深く理解すること、じゃよ」

「理解すること、ですか――私も、一度竜の生態調査を経験しておく必要がありそうですね」

「ハッハッハ、そいつはいつでも大歓迎じゃ。さて……わしもフランシスの奴を労ってやらねばな」

 そう言って歩き出すアルフレッドの背中に、ダイアナは再び最敬礼した。

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