四
対竜部隊本部棟、会議室。
隊長レナードとその副官ダイアナ、そして数名の士官が、手元の資料を見ながら頭を悩ませていた。
議題は、もちろん件の琥珀竜討伐作戦についてである。資料には、アルフレッドが入手してきた琥珀竜の詳細な情報や、その生息地の地形図などが記されている。
「……現場の地形、竜の特徴については以上です。いかがいたしますか、閣下」
一通りの説明を終え、ダイアナがレナードに意見を求めた。
「ううむ、やはり厳しいと言わざるを得ないな。スコット、どう思う」
レナードが指名したのは、砲兵隊長スコット・ベイカーだった。
「こう起伏が激しくては、どうにも射線が取れませんな。それに、この竜の縄張りまで大量の砲を運び込む時点で困難が予想されます。組み立て式のカタパルトかバリスタなら、比較的運搬は簡単ですが、射線が取れないことには変わりません」
「まあ、そうだろう……サムソン、お前はどうだ」
次に指名を受けたのは、工兵隊長サムソン・ノックス。
「この報告書の通りだと、我々としても打つ手があまりないというのが正直なところですな。地盤がかなり固いと思われるので、落とし穴を掘るのも大仕事だ。谷間に誘い込んで発破をかけようにも、この地盤を崩すほどの爆薬を仕込むには作業にかかる時間が大きすぎる。そんなことをしている間に、竜に気付かれちまう。ワイヤーかネットを使ったトラップくらいなら、何とかなりそうですが」
砲兵にしても工兵にしても、竜の生息地での作業は設営の速度が命だ。ちんたら作業をしていては、竜に気付かれて先制攻撃を受けてしまう。デブラ高原の険しい地形と強固な地盤は、砲撃やトラップとの相性が最悪だった。
「休眠期を狙い、少佐の狙撃で一撃必殺を狙う、というのは?」
一人の士官が、手を挙げて提案した。この男は最近騎士団本部から転勤してきたばかりで、竜との対戦経験がない。
「竜とは火薬、鋼鉄など本来そのままでは自然界に存在しえない物質に対し、きわめて敏感な生き物です。『吼狼』の射程距離に入るはるか手前で気取られてしまうでしょう」
休眠期を狙う、これができれば対竜部隊も苦労はしない。過去に何度も試みられたが、結局は万全の準備を整えて竜を迎え撃つのが一番効率がいいのである。
「付け加えるなら――『吼狼』と琥珀竜の相性はよろしくない。まあ、一〇〇ほどの距離まで近づければ話は別だが。しかしそれだと、初弾で決められなければ少佐の身に危険が及ぶことになる」
と、レナードが却下する。
「東方遠征時も、琥珀竜を相手にするときは、基本的に物量で押し切る作戦をとっていたからな。ここまで険しい地形で琥珀竜を相手取るというのは、私も経験がない。さて、どうしたものか」
ここで、ダイアナが口を開いた。
「やはり、できうる限りの砲と長射程兵器を運び込み、ここ――竜が狩場としている平地にて総攻撃をかける。いかにも初歩的な作戦ではありますが、これしかないのでは」
「うむ、そうだな。まあ、これで駄目なら一旦退いて、改めて本部のほうに物申すとしよう。幸い、この琥珀竜の足は速くないとアルフ老の報告にもある。撤退は難しくないはずだ」
「では、そのように。明日、ふたたび会議を行いますので、各責任者はそれまでに計画書を作成すること。では、解散」
士官たちが退出して行ったところで、壁にもたれかかって佇むアルフレッドが口を開いた。
「なかなか、大変そうじゃのう」
「そうだな。しかし……アルフ老、気配を殺して会議に紛れ込むのは止してくれ。言ってくれれば、ちゃんと席を用意したのに」
いつの間にアルフレッドが会議室にいたのやら、レナードにさえわからなかったらしい。
「細かいことは気にするでない。で、勝算はどのくらいと踏んでおる」
「五分五分といったところだろう。先ほども言ったように、無理なら諦めるという選択肢もある」
「それでは上の連中が黙っていまい。金剛石という存在に、すっかり目が眩んでおるようじゃからの」
「まあ……ライオネルに頼んで、上手いこと言いくるめてもらうさ。あの男のことだ、上層部の弱みの一つや二つ、握っているだろう」
アルフレッドが、白い髭を撫でながらしばし考え込み、口を開く。
「よし、今回はわしも行こうではないか」
「いや、あなたは調査から戻ったばかりだろう。しかも、他の者を先に帰しての単独行だ。あまり無理はしないでもらいたいのだが」
「若い者にはまだまだ負けん、といつも言っておろうに。それに、新入り――フランシスの戦いぶりも見ておきたいのでな」
「ふむ、フランシスはアルフ老にも気に入られたか……わかった、いいだろう」
「お前さんならそう言ってくれると思っとったよ」
「どうする? 久しぶりに『吼狼』を撃ってみるか?」
レナードが、銃を構えて引き金を引くしぐさを見せる。
「いや、あれは今はダイアナ嬢ちゃんのものじゃ。わしは、観測手でも務めさせてもらうことにするよ」
「なるほど。少佐や若い隊員たちに、勉強させてやってくれ」
「さて、この老いぼれに教えられることなどあるじゃろうか」
そう言いつつも、アルフレッドはニヤリと勝気な笑みを浮かべた。
同日、お昼時。
フランシスは、午前中の訓練を終え、食堂に来たところだった。そこでは、パトリシアが何やら文字がびっしりと印刷された紙の束を読みながらサンドイッチを齧っている。
邪魔をしてはいけないか、と思い、フランシスが少し離れた席に着席しようとすると、逆にパトリシアのほうから声がかかった。
「あら、フランもお昼? 随分遅いわね」
「うん。今日もサイラスさんにしごかれちゃって」
そう言いながら、フランシスはパトリシアの向かいに着席する。手にしたお盆には、山盛りの料理が載せられている。腹を減らした竜人向けの、特別メニューだ。
「相変わらずあなたたちは凄い食欲ね。見てるこっちが胸焼けしそう」
「こればっかりは僕自身の意思ではどうにもならないからなぁ。僕たちばかりこんなにたくさんご飯食べて、他の人に申し訳ない気はするけど」
「いいのよ、あなたたちの戦力評価を考えれば、十人分食べたってお釣りがくるわ」
「そんなもんかねぇ」
話しながらも、パトリシアは手元の紙束を物凄い速度で読破していく。
「ねえ、何を読んでるのか聞いていい?」
持ち前の好奇心が鎌首をもたげてきたフランシスは、遠慮がちにパトリシアに尋ねた。
「ああ、これ? さっき本国から届いた論文。三ヶ月前にアカデミーで発表されたものね。ここは竜の研究にはもってこいだけど、最新の情報が手に入らないのが難点よねぇ」
「ふうん。どんな内容なの?」
「『進化論』に関する論文ね。生物種の多様性を、長期の世代交代の中で起こった形質変化の積み重ねによる分化、という考えで説明しようとする学説」
「うーん、ごめん。ちょっとよく分からないや」
部隊に入ってからは様々な座学を受け、隊の蔵書なども読み込んでいるフランシスだが、専門用語を並べられては混乱するのも無理はない。
「そうね。例えば、うちの騎士団で使ってる軍馬とあなたの村で使ってた農耕馬、違いはわかる?」
「そうだな、軍馬はわりとすらっとしていて足が速い。農耕馬はずんぐりしていて足は遅いけど、力は強いって感じかなぁ」
「そうね。で、同じ『馬』でもどうしてそういった違いが出るのか。その理由を考えたことはある?」
「品種が違うから、という答えを期待しているわけではないんだよね」
学問、特に自然科学というものを学ぶ上で大事なのは、原因と結果、その関係を探ること。パトリシアがいつだったかそう言っていたのを、フランシスは覚えている。
軍馬と農耕馬、品種による特性の違いはなぜ生まれるのか――それがパトリシアの質問の真意である。
「そういうものだ、としか考えてなかったよ」
「そういう違いがなぜ起こるのか、それについての仮説がこの『進化論』なのよ」
「へぇ、面白そうだね」
「聞きたい?」
頷くフランシスを見て、ニヤリと笑うパトリシア。教えたがりの虫が騒いできたらしい。
「あ、でも食事しながらでもいいかな。お腹がペコペコでさ」
「もちろん。……さっきの馬のたとえ話で説明するわね。ここに、全く同じ品種の馬の集団がいるとするわね。この集団が、平地の広がる草原地帯と、凹凸が激しい湿地帯に、それぞれ別れて生活すると考えてみて」
フランシスが、その光景を思い浮かべる。
「擬態したりして上手く身を隠せない馬が身を守るには、天敵よりも速く移動できなければならない。足が速い馬が多く生き残る、というのもわかるわよね」
「うん」
「草原に暮らす馬は、足が速ければそれでいい。でも、湿地帯に暮らす馬はどうかしら」
フランシスが考える。湿地帯で、足場が悪い。子供の頃、耕したばかりの畑を駆け回り、大人にこっぴどくしかられたことを思い出す。柔らかな地面の上を走るのは楽しかったが、相当に足が疲れた記憶がある。
「足腰が強くなくちゃいけないかな」
「そうよね。それで、草原では足の速い馬、湿地帯では足腰が強い馬が生き残りやすい。そして、そのそれぞれの特徴が親から子、子から孫に受け継がれて……これを遺伝って呼ぶんだけど、その遺伝を繰り返した結果、全く違う二つの馬が誕生した。そう考えるのが、進化論者なの。まあ、これはバッサリと単純化した説明で、実際のところはもう少し込み入った話になるけどね」
「なるほどなぁ。人間でも、出身地によって随分違うもんね」
たとえば、ルーツをブリーディアに持つフランシスたちと、西方の血が流れるスオウとでは、顔のつくりからしてかなり異なっている。
「まあ、これはこれで説得力のある説なんだけど……全ての項目に『ただし、竜類を除く』と付け加えなければならないのが厄介よねぇ」
パトリシアが嘆息する。
臓器の構造、骨格など、あらゆる面で竜は他の動物とかけ離れており、類似する動物が存在しない。そのため、この学説を適用することができないのだ。
「まあ、謎に包まれた存在だからこそ、研究意欲が掻き立てられるのだけど。……せめて、あの卵から竜の遺伝について何かわかればいいんだけどね」
「ああ、あの卵ってまだ研究班が持ってるの?」
あの卵とは、間者騒動の際回収した卵のことである。
「ええ。万が一にも孵化する可能性があるから、温かくして保管してるわ。おかげで、割って中を確かめたい、という欲望と戦う毎日よ」
ふたたびパトリシアが嘆息した。
「アルフレッドやスオウなら、卵を抱いた竜を長期にわたって観察できたかもしれないのに」
「うん、うちが先に発見できていれば良かったんだけど。ごめんよ」
「別に、あなたたちを責めているわけじゃないのよ。悪いのは、どこかのバカなんだし。……あーあ、本当にあの卵が孵ってくれたらいいのに」
そう言って、パトリシアはテーブルに突っ伏す。フランシスは、苦笑してそれを眺めることしかできなかった。




