三
数日後。
フランシスは、デブラ台地にいた。シラーズから一五〇キロ以上離れた場所で、独特の縞模様のある切り立った岩山が林立する険しい地形だ。赤みがかった岩山と、まばらに生える樹木の緑がコントラストを織り成し、雄大な景観を生み出している。
なぜここにフランシスがいるのかといえば、アルフレッドに強引に勧誘されて調査隊に参加することになったからである。この台地の奥に生息する琥珀竜を観察しつつ、鉱物のサンプルを採取する地質学者のサポートをするのが、フランシスたちの任務だ。
この調査隊に随行している地質学者は、ブライアン・チョーサーという中年の男である。学者という言葉にフランシスが抱いていたイメージと違い、がっしりとした体格と野生味のある風貌を持つ、精力的な男だった。パトリシアによれば、「地質調査は実地が命だから、あのくらいタフな男でないと地質学者は務まらない」とのことだ。
今回の調査隊は、リーダーのアルフレッドにその補佐役のフランシス、地質学者チョーサーとその助手三名、そして対竜部隊の後方支援要員十五名という構成で行われる。まず、竜の縄張りと見られる範囲から大きく外れたところに、一次キャンプを設置。そして、次に縄張り範囲ギリギリの地点に二次キャンプを設置。近隣の町から必要物資を逓伝し、最前線のアルフレッドたちに届ける仕組みだ。
フランシスたちは、二次キャンプ地点で準備を整えているところだった。この任務では、通常の制服ではなく、黄土色に染め上げられた特別誂えの制服を着用する。地面の色に溶け込んで、竜の目を欺くためである。スコップや折りたたんだ天幕を背嚢にくくり付け、保存食と飲み水を詰められるだけ詰め込んで準備は完了。そこで、アルフレッドから最終的な説明が行われる。
「まずは、予め伝えた手はずどおり、わしとフランシスが先行する。安全が確認できたらフランシスを伝令に出すので、チョーサー博士たちが動くのはそれからじゃ。それと、撤退の指示には絶対に従うこと。よいな」
「われわれはどのくらいここで待機していればいいのかな?」
と、チョーサーが質問する。
「ふむ。相手の竜の行動にもよるが……長くて四日というところじゃろう」
「その間、このキャンプ付近を調査してもいいかね?」
「ここより西に入らなければ問題あるまい――質問は以上か? よし。フランシス、行くぞ」
「はい」
荒涼とした大地を、二人は歩き出す。
「いいか、調査任務では耳が頼りじゃ。わずかな音も聞き漏らすでないぞ」
「わかりました」
そういうと、アルフレッドは無言で歩き出す。基地や酒場で見せたひょうきんさはすっかり影を潜め、まるで別人のような雰囲気だ。険しい眼差しで前を見つめるその横顔からは、確かにこの老人が歴戦の兵士であるということがうかがえる。
険しい地形をほぼ無言で歩き続ける二人。交わされた会話は、必要最小限のことのみだった。この調子なら、基地に戻った際に多少羽目を外したくなる気持ちもわかる、とフランシスは思う。
撤収時の目印になるように、所々の樹木に赤い布をくくりつけながら進む。野営を挟んで半日ほど歩いたころ、アルフレッドがふと足を止め、心臓の辺りを親指でつつくしぐさを見せた。これは、『切り替え』せよとの手信号である。
「フランシス、聞こえるか」
「はい。……あっちですね」
小さく、低い声を交わす。
一気に鋭敏になった聴覚が、異音を察知している。
アルフレッドは、伏して地面に耳をつけた。
「ふむ。あの岩山の向こうに、開けた平原と水場があるはずじゃ。……足音が乱れておる。おそらくは、狩りの最中じゃろう」
琥珀竜は、水場に集まる獣や鳥を捕食しているのだとアルフレッドは言う。
「少し急ぐぞ。この距離ならば、さほど足音を気にする必要もあるまい」
そう言うと、アルフレッドは駆け出した。高齢ゆえに、フランシスほどの速度は出せないものの、常人に比べればはるかに速いスピードで、身軽に岩場を駆け抜ける。アルフレッドのペースに合わせるようにしながら、フランシスが後に続く。
やがて、岩山が途切れ、視界が開けた。その平原にはいくつかの湖があり、樹木の植生も周りと比べて濃い。そして、平原の中央には、その名の示すとおり全身から琥珀色の光沢を放つ、巨大な姿が。このデブラ台地に王者として君臨する、琥珀竜であった。
「止まれ……この距離を保てば、おおよそ気取られることはない。大声を出さなけりゃ、話しても大丈夫じゃ。まずしばらくは、観察するんじゃ」
アルフレッドが望遠鏡を取り出し、フランシスもそれに倣う。
琥珀竜の体長は、およそ十八メートルほどだろうか。炎竜ならば中型からやや小型という大きさだが、アルフレッドによれば琥珀竜の中ではかなり大きい、とのことだ。全身を覆うのは、光沢のある琥珀色の鱗。その一枚一枚が縦長で鋭角なため、全身が黄金の剣で守られているようにも見える。後頭部から斜め上に向かって伸びる、一本の角が特徴的だ。
「なんだか綺麗ですね」
フランシスが、見たままの素直な感想を漏らす。
「ふむ。旧大陸の好事家の間では、あの鱗がとてつもない値段で取引されるらしいの……む、動くぞ。既に狩りは終わっていたようじゃな」
琥珀竜は、踵を返して平原の奥に向かって歩き始めた。
「向こうの岩山の間に、奴のねぐらがある。平原の北から先回りするぞ」
「はい」
狩りを終えて満腹になったためか、竜の歩みはゆっくりだ。フランシスたちは、大きく回りこむようにして竜に先回りする。
やがて、切り立った岩山の間の少し開けた場所で、竜は足を止めた。けだるそうに地面に横たわる。
「運がいいぞ。どうやら、これから休眠期に入るようじゃ」
「休眠期?」
「うむ。竜という生き物は、十日ほどの周期で活動期と休眠期を繰り返す習性があるんじゃ。まあ、熊の冬眠の期間が短くなったものと考えればよい。何せあの図体じゃ。無駄な体力を使わんようにするための行動じゃろう」
竜という生き物は、驚くほど食物の摂取量が少ない。旧大陸に住む象などよりもはるかに巨大な身体を持ちながら、食べる量は象よりも少ないくらいであるとか。休眠期は、より少ない食物で生き延びることができるようになるための機能なのだ、というのがパトリシアたち生物学者の立てた仮説である。
無防備に横たわる琥珀竜。これほど堂々と眠れるのも、コルドア生物界の頂点に君臨するものの特権だろう。人間以外に、竜に傷を付けうる動物などいないのだから。
「完全に寝入るまでは、もうしばらくかかるはずじゃ。それまではここで待機じゃな」
岩陰から竜を観察すること、数時間。竜は完全に動きを止めた。ゼイ、ゼイという深い呼吸音が聞こえ、それに合わせてゆっくりと背中が上下する。
「よし、お前は学者先生達を呼んでくるんじゃ。お前の足なら、片道1時間もかかるまい。あの竜の様子なら、帰りは馬を使っても大丈夫じゃぞ」
「了解しました」
不必要な荷物をアルフレッドに託し、フランシスは走り出した。目印の赤い布を辿りながら、全力で駆ける。本気を出した竜人の脚力をもってすれば、徒歩で半日以上かかった道のりもあっという間である。程なくして、二次キャンプに辿り着いた。
「チョーサー博士、安全が確認されました」
「おお、思ったより早かったな。では、早速案内を頼む」
チョーサーとその助手たちを伴い、フランシスがアルフレッドの元に戻ったのは数時間後のことだった。
「大尉、例の鉱石を採取した場所へ案内願いたい」
「うむ、こちらじゃ」
アルフレッドが案内した先は、岩山の間を流れる小川のほとりであった。到着するや、チョーサーたちは早速調査を開始する。付近の石くれを虫眼鏡で覗いたり、岩壁をつるはしで突いて欠片を採取したり。小1時間ほどで、調査は終了した。
「あれ、もういいんですか?」
「うむ、われわれがここに赴いたのはほんの確認のためだからな。それに、これ以上詳細な調査となると、大規模な人材と資材を投入しなければならない」
「結果はどうだったんじゃ?」
「やはり金剛石の鉱脈がある可能性は十分にある、と言えるだろうな」
「へえ、石を見るだけでそんなことがわかっちゃうんですか」
「古くて硬い地盤で、特定の岩石が見られる場所、という条件に当てはまっているからな。しかし――あくまで経験則に基づく判断であって科学的な根拠に乏しいのが、学者を名乗る者として恥ずかしいところではある」
様々な鉱物が、地面の中でいかにして生成されるのか。それがまだ解明されていないため、鉱脈の有無は過去の事例の積み重ねによってしか判断できないのだという。
「よし、さっさと撤収するぞい。いかに休眠期とはいえ、こんな場所に長居は無用じゃ」
時刻は、夕方にさしかかろうとしている。荷物を手早くまとめ、フランシスたちは二次キャンプ地点に向かうのだった。
フランシスたちが二次キャンプ地点に辿り着いたのは、日はどっぷりと暮れ、秋の星座が夜空を彩り始めたころのことだった。
時間が時間ということで、ここで一泊し、翌日基地に向けて出発するということになった。休眠期ゆえ竜の危険性がない、ということなので、焚き火を起こして皆でそれを囲む。フランシスとアルフレッドにとっては、一日ぶりとなる温かい食事となった。
「ところで、博士よ。重ねて聞くが、金剛石が出る可能性が高い、というのは確かなんじゃな」
瓶に詰めた例の薬草酒をちびちびやりながら、アルフレッドが尋ねる。
「可能性が高いことが確かだ、というのもおかしな表現ではあるが……そう、報告はするつもりだが」
その言葉を聴くと、それきりアルフレッドは押し黙り、なにやら考え込んでしまった。フランシスは、干し肉と幾許かの根菜を煮込んだスープをすすりながら、そんなアルフレッドの様子に気付く。
「アルフさん、どうかしたんですか」
「うむ、金剛石が採れるということは、あの琥珀竜の討伐作戦が実行されるのも時間の問題じゃ。少し思うところがあっての」
「思うところって?」
「ふむ……ときにフランシスよ、お前は竜と戦うことについてどう思っとるかね?」
藪から棒に質問を返され、フランシスは言葉に詰まる。しかし、持ち前の思慮深さを発揮し、じっくり考えたのち答える。
「戦ってる最中は怖いやら興奮するやらで、正直何も考えられません。でも、改めて考え直してみると――少し、竜が可哀想だな、とは思います」
「それはどうしてじゃ?」
「竜は、もともとこのコルドアで静かに暮らしていただけのはずです。それを、よそからやってきた僕たちが、自分たちの領土を広げるために徒に狩り殺している。そんなふうに思えてしまって……国から給料を貰っている身で、こんなことを言うもあれなんですけど」
「しかし、コルドアに限らず、人は熊や狼――さまざまな獣たちを駆逐して自らの領域を広げてきた。その歴史をなかったことにはできんぞ」
「それは僕にもわかりますし、仕方のないことだとは思っています」
フランシスとて、竜を討伐することによって獲得された土地で育った身だ。それに、コルドアという新天地がなかったら、フランシスの両親は旧大陸で野垂れ死にしていたかもしれないのだ。
しかし、先日の間者騒動のことを思い出す。あのとき暴走した竜は、わが子を奪われた怒りで我を忘れてしまった結果、フランシスに討たれることになったのだ。竜にどれほどの知性があるのかはわからないが、わが子を思う気持ちはどんな動物でも同じはず、とフランシスは考える。
「僕が、この手でしてきたこと――僕が殺したのはまだ2匹だけど――それを、決して忘れないようにしたい。そして、上手く言えないけど――農夫が大地に感謝するように、竜たちにも感謝の気持ちを持たなければいけない。そんなふうに思うんです」
「……お前さんの考えは、人としてごく真っ当なものじゃ。だがしかし、あまり大っぴらに公言してはいかんぞ」
場合によっては軍に対する反逆的思想ととられかねない、とアルフレッドが苦笑する。
「しかし、新入りがお前さんのような人間で安心したわい」
「どういうことですか?」
「軍隊や、あるいは国家そのもの――人の集まりってのは、図体が大きくなればなるほど人間性ってもんが失われ、思考か硬直していくものじゃからな。しかしお前さんなら、その中にあっても自分の考えを貫けるじゃろうて」
基地や酒場ではしゃいでいたときとは、まるで別人のような顔を見せるアルフレッド。
物凄く過大な評価をされている気がして、フランシスが赤面する。
「思えば、コルドア開拓以前の旧大陸エウレシウスは、末期的と言っていい状態じゃった。各国とも増える人口を支えきれず、国は疲弊し税金は上がる一方じゃ。コルドアという新天地がなかったなら、おそらくはとてつもなく大きな戦乱が起こったじゃろう」
歴史の体験者であるアルフレッドの言葉には、えも言われぬ重みがあった。
「わしとて、徒に竜を狩るのは本意ではなかった。レナードたちほかの東方遠征の従軍者たちも、多かれ少なかれ同じような感情を抱いていたじゃろう。しかし、旧大陸で人間同士争うか、それとも新大陸で竜と戦うか。人間には、二つの選択肢しかなかったんじゃよ」
焚き火に照らされたアルフレッドの横顔。竜を探して荒野を歩いていたときは、歴戦の兵の顔であった。しかし、今はまるで賢者だ。フランシスにはそう見えた。
「竜を殺すことに対して、罪の意識を持てというわけではない。しかし、まさしくお前さんが言ったように、自分たちのしてきたことは忘れるべきではない。竜たちの屍を乗り越えたところに、今の自分たちの生活があるということをな」
「はい、肝に銘じます」
「わしは、新入りが入るたびに、『竜に対しての敬意を常に忘れるな』、と口を酸っぱくして教え込むんじゃが、お前さんには必要ないようじゃの……うむ、お前さんのような若者がいれば騎士団も安泰じゃ、わしもまだまだ老け込んでいられないのう!」
普通ならば、「若い者に任せて自分は身を退こう」といった言葉が続く文脈である。この老人、齢六十九にしてますます意気盛んであった。
翌朝。フランシスが目を覚ましたとき、アルフレッドは基地とは逆方向、つまり竜がいる方向に歩き出そうとしていた。
「アルフさん、どこへ? 基地に戻るんじゃないんですか?」
「うむ、あの琥珀竜を相手にした討伐作戦が行われるのは確実、と昨日言ったじゃろう。休眠期が終わるまで粘って、いま少し詳しく調べておこうと思っての」
「一人でですか!? 僕も行きますよ、今支度を……」
「あぁ、よいよい。お前さんは貴重な戦力じゃ。こんな地味な仕事はわしに任せて、はよ帰って戦に備えるがええ」
そう言うと、アルフレッドはスタスタと歩いて行ってしまった。その背中を心配そうに見つめるフランシスに、撤収作業中の下士官が声をかける。
「少尉、あの人なら大丈夫ですよ。なんせ、補給なしで山中に二ヶ月って無茶な任務も、楽にこなしてしまう人ですから。モーガン中尉ですら値を上げそうになったって言ってましたけど、あの人は平気な顔して帰ってきましたからね」
二週間後。下士官の語ったとおり、アルフレッドは平気な顔をして基地に帰還した。竜の行動パターンなど、膨大な情報が記された資料を片手にである。これにはフランシスも呆れるやら驚くやら。しかし、一番強く感じたのは、この老人に対する尊敬の念だった。




