八
ところは変わり、ライオネルの邸宅である。
『笑う猫』を連れて帰還した三人は、事件のあらましをライオネルとパトリシアに語った。
「父親が被験者で、父親には能力が出なかった……? そんなことがあるなんて……なんてこと、統計も何もかもやり直さなくちゃ……」
と、なにやら考え込んでしまったパトリシアをよそに、ライオネルが『笑う猫』に語りかける。
「ふむ、おおよその事情は理解した。さて、『笑う猫』くん。君の持つ悪事の証拠、私に預ける気はないか?」
「まあ、この3人があんたは信用できる、って言うからあたいも信じないこともないが――下手につつくと、あんたの身が危うくなるんじゃないのかい?」
権力者や、それに群がる金持ちたちの悪事を暴こうとする行為には危険が伴う。『笑う猫』の心配は、そこだった。
「ふふっ、心配はいらんよ。まあ、見ていなさい。数日中に、この街に吹き溜まった塵芥を綺麗に掃除してみせよう」
口髭を指で整えつつ、ライオネルが不敵に笑う。
「……そんなに自信があるのならいいけどさ。で、あたしはどうしたらいいんだ? この3人に捕まるのならいいけど、他の連中に捕まるのは納得いかないよ」
「それについても考えがある。当面は、私の家に滞在してもらいたい」
「まあ……今さら逃げる気もないし、別にいいけど」
「よし、決まりだな。さあ、私は小腹が空いた。ひとつ夜食と洒落込もうじゃないか」
一週間が過ぎた。
ライオネルの働きは迅速かつ効果的だったらしく、財務官チェンバレンは即刻本国に強制送還。他にも悪徳商人が多数摘発され、何人もの高級官僚が馘首された。バジーリオ党も、大幹部アルフォンソをはじめとして多数の逮捕者を出し、その勢力は大きく削がれることになった。
まるで魔法のような手腕に、フランシスたちも驚くほかなかった。フランシスたちはあずかり知らぬところであるが、ライオネルがここまで卓越した働きができたのは、レナードの存在によるところが大きかった。絶大な人気と知名度、そしてコルドア総督を越えるとまで言われた発言力を持つレナードの威光は絶対で、これに表立って逆らうことは難しい。
数日後、フランシスたちはシラーズの基地に向けて出発した。
出発前、四人はフレイザー大尉のもとを訪れた。帰還する旨報告するためだ。一連の逮捕劇で、警備部は蜂の巣をつついたような大騒ぎだった。
「誰がやったかわからんが、一度に大量の悪事を暴いてくれたおかげで忙しくてかなわん。まったく、余計なことをしてくれたものだ。そう思わんか、お前ら」
フレイザーが、意味ありげな視線を四人に送る。一連の動きが、ライオネルによって起こされたものだということは暗黙の事実だ。そして特別に招聘された対竜部隊のメンバーと、対竜部隊の長・レナードと昵懇の仲であるライオネル。この四人が一枚噛んでいるということは、薄々感づいているのだろう。
「……ご苦労は察する。一体、誰の仕業だろうか」
スオウがそら惚けて見せた。
「ふん。気に食わん連中だ。あのレナードの部下なのだから、仕方もないか」
フレイザーとしては聞こえないように言ったつもりだろうが、スオウだけはその言葉に気付いていた。
「とにかく、俺は忙しい。用件が終わったのなら、とっとと帰れ」
追い出されるように第七騎士団本部を出た3人を待っていたのは、往路で御者を務めた下士官と、一台の立派な馬車だった。
「さっき皆さんを迎えに行こうとしたら、警備隊の人がやって来て、馬車を取り替えてくれるって。凄いですよ、モーガン中尉。来る時に使った馬車より随分上等だ。しかも、こんなたくさん食料まで」
四人は顔を見合わせ、笑った。
「フレイザー大尉に、感謝せねばな」
「うん、実は結構いい人だったんだね」
態度にはおくびも出さなかったが、フレイザーなりの感謝の印なのだろう。
そんなフレイザーに心中で感謝しつつ、一同はシラーズに向けて旅立った。その旅路は、アマディアスへの往路に比べ、格段に快適なものとなったのは言うまでもない。
六日後、フランシスたちは対竜部隊本部に到着した。珍しく基地に滞在していたレナードに報告を行う。
「おおよそのあらましは一足先に伝え聞いているが……よくやってくれたな。ご苦労だった」
「出張期間が長引き、申し訳ない」
「ライオネルの頼みだったからな。それに、お前たちの力がなければこう上手く行かなかっただろう」
「それは、どうだろうか。フレイザー大尉なら、自力でどうにかしたかもしれん」
フレイザーの名を聞き、レナードが少し驚いた表情を見せる。
「お知り合いですか?」
「ああ。私が騎士団に入った当時の先任でな。私もライオネルも、随分しごかれたものだ。まあ、今思えば、彼にとってはかわいげのない後輩だっただろうな」
遠い目をしながら、レナードが昔を振り返る。
「そうか、彼が警備部長だったとはな。さぞかし嫌味を言われただろう?」
「はい。あたしなんか我慢するのが大変でした」
「でも、正義感の強い、真面目な人でした」
「うむ、そうだろう」
と、執務室の扉がノックされた。
「ダイアナ・ヘイワード少佐です」
「おお、入りたまえ」
ダイアナが敬礼をして入室する。その背後に、小柄な人影が続く。
「ほう、それが例の……うむ、挨拶したまえ」
ニヤリと笑うレナードに促され、ダイアナの影から小柄な人物が飛び出した。
「見習いとして入団しました、デイジー・ロックウェルです! よろしくお願いします!」
元気よく敬礼して、自己紹介するその人物。赤茶けた髪に、そばかすの浮いた顔。にっこり笑う口元に、特徴的な八重歯。髪は綺麗に切りそろえられ、ぶかぶかの制服を着ているものの――その姿は見間違えるはずもない。3日前にアマディアスで別れたはずの、かつて怪盗『笑う猫』と呼ばれたその人だった。
「え!? ど、どうして君がここに?」
「ライオネルのおっさんに頼まれたんだ。力を貸してくれないか、って。なんでも、優秀な子飼いの密偵が欲しいって話でね」
「まずは訓練のために、当面こちらで預かって欲しいと要請されまして。我々には、竜人を手元に置くことを断る理由はありませんから」
ダイアナによれば、全てライオネルの指図だったらしい。
「でも、それならあたしたちと一緒に帰って来ればよかったじゃん。わざわざ先回りまでして」
「まあ、皆を驚かせようと思ったのだろう。ライオネルのやりそうなことだ」
レナードが苦笑する。
「……デイジー、それがお前の本名だったのか」
「ああ。『笑う猫』は、もう廃業さ」
「でも、いいんですか? 盗みの罪は……」
「大丈夫だよ、兄ちゃん。そのあたりは、オッサンが上手くやってくれるってさ」
「いわゆる司法取引です。情報提供と引き換えに、罪の軽減を行う。それに、怪盗による被害者は、その全てが失脚・逮捕されたか、ダグラス少将の働きかけにより被害届を取り下げました。もはや、『笑う猫』の罪を問う者はいなくなったのです」
「まあ、そういうことさ。これからよろしくな!」
そう言って、『笑う猫』改めデイジー・ロックウェルは、ひまわりのような笑顔を浮かべた。
こうして、『大鷲』に新たな仲間が誕生したのであった。




