四
スオウが宿に戻ったのは、フランシスたちに遅れること三十分後のことであった。
警備部長フレイザーは、相変わらずの仏頂面かつ非協力的であった。そのため、スオウは必要最小限の情報のみを聞いて引き下がるしかなかったのだ。
被害に遭ったのは、カーラム教の大聖堂。盗まれたのは、大司教が自室で所持していた宝飾品だった。
カーラム教とは、旧大陸のルゲール文化圏と分類される地域で広く信仰されている、一神教の宗教である。ブリーディアでも篤い信仰を受けているし、コルドアでも各村落に必ずひとつは教会があるほどだ。フランシスが育ったのも、カーラム教の教会の孤児院だ。
「おかしくないですか? どうして大司教様が宝石なんか」
カーラム教の聖職者は、宝石など不必要な装飾品の着用を戒律で禁じられている。教会で神父の説教を聴いて育ったフランシスでなくとも、皆常識として知っていることだ。
「大司教本人は、寄進として物納された品を、一時的に預かっていただけだと証言している」
「それって、なーんか怪しくない?」
寄進を物品で行うことは珍しくはないが、それはワインや穀物などの場合が多い。よりにもよって、聖職者が持つことを許されない宝石類を寄進するのはあまり考えられないのだ。
「賄賂、かもしれないわね」
パトリシアが、ぼそりと呟く。
カーラム教は、かつてはエウレシウスの緒国を動かすほどの政治的発言力を持っていた。王権が強化された近年のブリーディアではその影響力はさほど強くないものの、大司教ともなればそれなりの力を持っている。
そんなことはないだろう、と思いたいフランシスだが、孤児院の神父は折に触れて教会上層部の腐敗を嘆いていた。ありえない話ではない。
「盗まれた品の素性は、我々には関係ない。大事なのは、盗みが行われた、という事実だ」
「それはそうだけどさー」
不満を口にしたクリスティ同様、フランシスも納得のいかない気持ちは治まらない。
「とりあえず今日はもう休め」
二人の懊悩を打ち切るように、スオウが命令した。一階級上のスオウの指示には二人も従うしかない。渋々、ベッドに入るのだった。
翌日。
朝食を終えた一同は、今後の指針を話し合うべくフランシスの部屋に集合していた。まず口を開いたのは、パトリシアだ。
「怪盗『笑う猫』の正体だけど……認めがたいことだけど、竜人で間違いないと思うわ。あなたたちのことだから、見間違えはないでしょう」
「たまたま、足が速くて身軽な一般人だという可能性は」
「うーん、竜人の力って、骨や筋肉の強度も一般人より高い竜人だからこそ持てるものなのよ。普通の人が竜人の水準の身体能力を持ったとしても、自身の力に肉体がついていかないの」
「どゆこと?」
さっぱり意味が分からない、という表情のクリスティである。
「普段あなたたちはあまり意識しないでしょうけど、走るという行為は人間の足腰に大きな負担をかけるわ。そしてその負担は、走るスピードが速ければ速いほど大きくなる。竜人並みの速度で走ろうとするなら、竜人並みの頑丈さと回復力が必要となってくるの」
「それって、この間のフランみたいになるってこと?」
この間とは、間者が怒らせた巨大な炎竜に立ち向かったときのことだ。その時フランシスは、限界を超えた動きによって自らの腱や筋をズタズタにしてしまった。
「まさにその通りね。竜人でも無理をすればああなる、ってこと。戦場などの極限状態で感情のタガが外れた人間が、限界以上の力を発揮した結果身体がボロボロになる。そんな報告例は、昔からたくさんあるのよ」
「……父の祖国の英雄譚でも、似たような話がある。その話の主人公は、仇敵を鎧兜ごと一刀両断したが、代償として両腕の自由を失った」
「サイラスさんが前の戦いで両腕を痛めたのもそれが原因なんだね」
「そういうこと。まあ、竜人とよく似た身体的特徴を持つ別種のなにか、という可能性はありえないわけじゃないけど」
科学者らしく、パトリシアは複数の可能性を考慮することを忘れない。
「賊の正体については、どの道推測の域を出ない。あとはいかにして捕まえるか、だ」
「うーん、昨日捜査資料を読ませてもらったけど……この怪盗って、かなり狡猾ね。綿密に計画を立てて犯行を行い、決して自らの身体能力のみに頼ろうとはしない」
怪盗『笑う猫』は十数件の盗みを成功させているが、姿を見られたのは前日の件を含めわずかに二回だけだ。それほど、怪盗の手口が鮮やかだということだ。
「たとえば、これ。ごく最近の事件なんだけど」
捜査資料の束から、パトリシアが一枚を抜き出す。穀物商・ガードナーが、多量の金品を奪われた事件の詳細が記されている。
「警備していた私兵たちの交代の隙を狙った、周到なやり方ね。逢引していたメイドに運悪く見つからなかったら、朝になるまで犯行は露見しなかったかもしれない。にもかかわらず、予め逃走経路を考えていたようなフシがあるわね」
「それは、俺も思っていた。クリスティを引っかけたロープにしても、事前に用意されていたようだ」
怒りが再燃したのか、ぐぬぬ、とクリスティが唸る。
「野の獣でもかからない単純な罠だが、相手に警戒心を与えるというだけでも効果は十分だった」
「ちょっと待って、それじゃまるであたしがバカみたいじゃない」
一同は沈黙する。
「ちょ、誰か否定してよ! フランまで!」
「……それはそうと、これからどうします?」
憤るクリスティの言葉を受け流し、フランシスが口を開いた。
身体能力が高い上に、慎重で狡猾。しかも土地勘にも優れているという、手強い相手であるということを理解したうえで、対策を練らねばならない。
「とりあえずは、貧民街で聞き込みしてみたら?」
「そういえば、酒場の人が盗んだお金をばら撒いてるって言ってたね」
「尻尾を出すような真似はしていまいが、何らかの手がかりくらいは掴めるかもしれん」
当面の方針が決まり、フランシス、クリスティ、スオウの三人は立ち上がった。
「……夕べは、俺も侮っていた。今度は、目に物見せてやる」
スオウにも矜持があるのだろう。闘志を漲らせているのがフランシスにも見て取れた。
「そうだよ! あたしに恥をかかせた罪は、たっぷりじっくり償ってもらうんだから!」
顔を真っ赤にして、腕を大仰に振りながら、クリスティが息巻く。
「頑張ってね。進展を期待するわ」
パトリシアに見送られ、三人は出発した。
貧民街は、アマディアスの東の外れに位置する一区画の通称だ。二十年前まではアマディアスの中心街だった区域である。
新総督府竣工の際、同時に大規模な都市改造が行われた。丘の頂上にある総督府を中心に、より機能的な街造りを目指して行われたものだ。結果、経済の中心は新総督府に移動し、かつての中心街は徐々に衰退。現在では下層民や流民が多く暮らす区域となってしまった。このようないきさつがあるため、旧市街と呼ばれることもある。
崩れかけの古い家屋が立ち並び、まだ昼過ぎだというのに、道端には酒臭い息を吐く男たちが屯すしていた。小奇麗なフランシスたちの身なりを見るや、ボロをまとった子供たちがお恵みくださいと縋り付き、隙あらばポケットの中身を抜き取ろうとする。ところどころで山積みになったゴミが悪臭を放ち、痩せこけた野良猫やカラスがそれに群がっている。
フランシスたちが足を踏み入れたのは、そんな場所だった。華やかな新市街が放つ光に生み出された影。そんな表現がぴったりだった。
聞き込みの結果は、はかばかしくなかった。
「……予想はしていたが、手強いな」
まず、住民たちはフランシスたちを余所者と警戒して、なかなか気を許さない。金をちらつかせれば顔色を変えるも、こと怪盗『笑う猫』の話となると途端に口を閉ざしてしまうのだ。
「でも、これだけ口が堅いってくとは、お金をばら撒いてるって噂は本当なんでしょうね」
「でなければ、かばい立てすることもない、か」
どうしたものかとフランシスが思案に暮れていると、クリスティが袖を引っ張った。
「ねえ……なんか囲まれてない?」
見回すと、汚い身なりの男たちが十数人。下卑た笑みを浮かべ、フランシスたちを遠巻きに取り囲んでいる。
「よぉよぉ、綺麗なおべべを着た旦那方、哀れな貧乏人にちょっとばかしお恵みいただけませんかねぇ」
ニヤニヤと笑いながら、一人の男が言った。慇懃無礼な物言いに、三人は眉をひそめる。とても、金を恵んでもらおうという者の態度ではない。男たちは、明らかに追い剥ぎだった。
「嫌だと言ったら?」
「野郎二人は荷車で帰ることになる。お嬢さんのほうは……まあ、想像に任せるぜ」
クリスティの肢体を舐るように見つめ、男たちが下品な笑い声を上げる。そうしている間にも、包囲の輪はじりじりと縮まっていた。中には、ナイフや棍棒を携える者もいる。
「どうすんの?」
「……大事になるのは避けたい」
戦えば、ものの数分もかからずに追い剥ぎ全員を打ち倒し、逮捕することは可能だろう。しかし、事件となれば第六騎士団の警備部が乗り出してくるだろうし、例の大尉がいい顔をするはずがない。そんな配慮から、スオウは交戦に乗り気でない。
「包囲を崩して、逃げるってところでどうでしょう」
「そうするしかあるまい。二、三人殴り倒せば十分だろう」
「ほんとはこんなやらしい連中、全員ぶちのめしてやりたいんだけど」
「竜人の力は、極力見せぬように。目立つからな」
スオウの目配せを合図に、フランシスたちは「切り替え」を行う。スオウを先頭に、一斉に走り出した。
「てめぇら、なにを――ぐへっ!?」
まずは、クリスティの拳がリーダー格と思しき男の顎をとらえた。無論、本気ではなかったが、歯が何本も飛び散るほどの一撃だった。フランシスも、一人の男のみぞおちに前蹴りを放つ。胃の中身のものを吐き出しながら、男がのた打ち回った。
スオウはというと、一人の男の首筋に手刀を入れ昏倒させると、その男を担いで走り出した。
「そいつ、どうするんですか? 騎士団に突き出すってわけじゃなさそうですけど」
背後に追い剥ぎたちの怒声を聞きながら、フランシスが尋ねた。
「ついでだ、こいつから情報を聞き出す。追い剥ぎならば、『少々手荒な尋問』をしても問題あるまい」
「それは拷問っていうんじゃないの」
三人は、一般人に比べればだいぶ速い、という程度の速度で逃走する。全力疾走すれば一瞬にして追っ手を引き離せるだろうが、白昼の街中でそれは目立ちすぎる。ややしばらく走り続け、三人は追っ手を振り切ったとみて、手近な廃屋に気絶したままの追い剥ぎを引きずり込んだ。
スオウが活を入れると、男は目を覚ました。しかし、手足はフランシスとクリスティにがっちりと押さえ込まれているため、身動き一つ取れない。事前に猿轡を噛まされていたため、男ができるのはくぐもった悲鳴を上げることのみ。
スオウは懐から短剣を取り出し、男の首筋に突きつける。
「……いいか、これから猿轡を外す。余計な声は立てるな」
押し殺した声でスオウが告げると、男は脂汗を流しながらこくこくと頷く。
「よし。これから質問をする。知っていることを洗いざらい吐け。さもなくば、死なぬ程度に痛めつけてから騎士団に突き出す。いいな」
「わ、わかった、何でも話すから、頼む、勘弁してくれ!」
人から無愛想と言われるスオウの鉄面皮も、こういう脅しの場面では妙な迫力が出て大いに役立つ。男はみるみる従順になった。「少々手荒な尋問」は必要ないようだ。
「聞きたいのは、巷を騒がす怪盗『笑う猫』についてだ」
「な、なんだ、そんなことか。何が聞きたいんだ」
「そいつがここでお金をばら撒いてるって本当なの?」
「あ、ああ。それは間違いない。俺も、おこぼれに預かったことがある」
「……金額は」
「大した金額じゃない。一度にせいぜい百デイルくらいなもんだ。何度も貰ってるから、合計すりゃそこそこの金額にはなるだろうが」
その証言に引っかかりを感じたのか、スオウが顎に手を当てて考え込む。
「正体やアジトについて何か知りませんか?」
「知らねぇよ。金を配るときも、家の軒先とか窓の縁とかに、誰にも気付かれずに置いて行くんだ。姿を見たって話すら聞かねぇ。まるで幽霊さ」
「その金を配ったのが怪盗だってどうしてわかるんですか?」
「この街の教会――ほら、そこの窓からも見えるだろう。金が配られた朝、あのボロ教会にある掲示板に、知らせが張られるのさ。『私服を肥やす悪人から、街の皆に富を分配します』って、例の猫の落書きと一緒にな」
「なるほど。話は、もういいだろう」
「じゃ、じゃあ、早く離してくれ――ぐうっ」
その言葉が終わるのを待たず、スオウが再び首筋に手刀を入れた。男は、力なく廃屋の床に横たわる。
「表通りに放り出しておけば、問題あるまい。一旦宿に戻るぞ」
そうして三人は、足早に貧民街を立ち去った。
一行が宿に戻ったのは、太陽が沈みかけたころのことだ。
「結局、具体的な手がかりはありませんでしたね」
部屋で一息つきながら、フランシスが口を開いた。
「しょうがないよ。泥棒の逮捕なんて、そもそもあたしたちの本業じゃないんだし」
「それはそうなんだけど……ところでスオウさん、さっきから考え事してるみたいですけど、何か気になることでも?」
黙りこくって考え込むスオウに、フランシスが尋ねる。
「……うむ。博士、貧民街の人口はどのくらいか知っているか?」
「去年のコルドアの人口調査の資料で見たような……確か、七千ってところだったと思うけど」
「それがどうかしたの?」
「……先ほど、聞いただろう。一度に配るのはせいぜい百デイルだと。ところが、資料によれば、『笑う猫』は一度の犯行で数十万から百万デイル相当の金品を盗んでいく、とある」
「一度に配られる金額が少な過ぎるってことですか?」
貧民街の住民一人ひとりに配ったとして、ようやく七十万デイルという金額だ。いかに怪盗とて、一夜にしてその全員に配るというのは無理だろうし、実際に配られる合計金額はもっと少なくなるはずだ。
「残りのお金はどうしてるんだろう」
「自分で使ってるんじゃないの? あと貯金してるとかさ」
しかし、クリスティの想像は、悪人から金を奪って庶民に配る義賊、という今までのイメージにそぐわない。フランシスは違和感を覚える。
「泥棒の考えることなんて、べつにどうでもいいんじゃない?」
「それはそうなんだけどね」
「あら、犯人の心理を探ることも犯罪捜査には重要なのよ。動機っていうのも、立派な手がかりになるわ」
「俺も、何かの手がかりになると思ったのだが」
一同、うーんと考え込む。が、これだという犯人の行動原理は考え付かなかった。
「これからどうしましょう」
「盗まれた物の中には宝石、美術品も含まれているから、その線で調べてみればいいんじゃないかしら」
「……闇市か、それに類するもの。そして、裏社会の情報、だな」
「うんうん、方針も決まったところでご飯にしよ! 『笑う猫』も、昨日の今日で出てこないでしょ。今夜は飲むぞー!」
張り切って宿を出るクリスティの背を、フランシスはやれやれと肩を竦めながら追うのだった。




