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「いたか!?」

「いや、そっちは!?」

「クソ、どこへ行きやがった!」

 草木も眠る夜更けのことだ。その豪奢な屋敷にはおよそ似つかわしくない剣呑な声が、そこかしこで響く。男たちが走るたび、腰の武器ががちゃがちゃと音を立てる。武装したその男たちは、この屋敷に雇われた私兵だった。

「まったく、ドジ踏んじまったなぁ。あんなところでメイドと御者がイチャイチャしてるなんて思わないよな、普通」

 悪趣味といえるほど過剰に華美に造られた庭の中。東屋の柱に身を隠す、ひとつの小さな人影があった。黒のフードつきのマントをすっぽりと被り、布に包んだ箱状の荷物を小脇に抱えている。目深に被ったフードに遮られ、その顔をうかがい知ることはできない。

 男たちが捜索しているのは、この人物のようだった。傭兵たちは、屋敷に忍び込んだ盗っ人を捕縛しようとしているのだ。

 と、庭に放たれていた犬に反応があった。まっすぐ東屋に向かって唸り声を上げる。

「そこかっ!?」

 一斉に、男たちが東屋に駆け寄る。ランタンの光が、人影を照らし出した。

 十人以上の武装した傭兵に囲まれているにもかかわらず、その人影は微塵も動揺した様子を見せない。それどころか、口元には笑みすら浮かんでいる。

「しょうがねーな、強行突破といきますか!」

 呟き、小さな人影は走り出す。

「いたぞ!」

「よし、とっ捕まえ――ッ!?」

 傭兵のリーダーらしき男が配下に指示を出そうとした瞬間である。豪と風を切る音が聞こえたと思ったら、目の前から人影は消えていた。リーダーが知覚したのはそれだけだった。

 盗っ人は、人間の眼が追いつかぬほどの速度でリーダーの脇をすり抜けたのであるが――比較的距離が離れたところからことの顛末を見ていた数人の傭兵のみが、辛うじて事態を理解した。

「野郎、何て速さだ!」

 瞬く間に屋敷の塀近くまで到達した盗っ人は、猿のようにするすると庭木を登ると、挑発めいた笑みを浮かべて私兵たちを一瞥。跳躍して屋敷の塀を乗り越えた。

「馬を出せ! 急がんか!」

 傭兵のリーダーが、焦りを露にしながら部下に命令する。十数名からの男たちが、慌てて馬で駆け出した。

 塀で囲まれた大きな屋敷が立ち並ぶ閑静な街並に、たくさんの蹄の音が木霊する。尋常ならざる物音に目を覚ました近隣の住民たちが、なにごとが起こったのかと眠い目を擦りつつ窓から様子を覗う。

「へっ、掴まるもんかってんだ」

 十数の騎馬に追われながらも、その人物は余裕綽々だ。それもそのはず、その人物はなんと馬をも凌ぐ速度で走っているのだから。夜の闇を切り裂くように、疾駆する。

「なんて野郎だ、人間じゃねぇ! あんなの捕まえられるかよ!」

「バカが! 人間だろうが幽霊だろうが知ったことか! 奴は旦那のお宝を盗んでいきやがったんだぞ!? 捕まえられなきゃ俺たち全員クビになっちまう!」

「――しめた! このままいけば挟み撃ちにできるぞ! 何人か右へ回れ!」

 偶然にもその小柄な盗人は、挟撃に都合のいい区画へ迷い込んだ。道は立ち並ぶ屋敷の高い塀に囲まれ、他に逃げ道はない。一本脇道はあるものの、隊長の記憶によれば、そこもまた高い塀に囲まれた袋小路のはずだった。

 前方からの蹄の音に気付いたか、盗人は隊長の思惑通り、脇道へ入っていく。

「よし、もらった!」

 あとはひっ捕らえて、旦那の前に突き出すだけだ。そう考えながら脇道に入った私兵たちが見たものは――誰もいない袋小路だった。

 周りは三メートル以上もある石塀で囲まれており、蟻の這い出る隙間もない。梯子やロープをかけた形跡もない。なのに、盗人の姿は忽然と消えていた。

「こりゃ、どういうことだ? 本当に幽霊の仕業なのか……?」

 翌日、コルドア領首都・アマディアスの第六騎士団に、盗難の届出が提出された。被害者はとある大手穀物商で、貴金属類を中心に被害総額は四十万ディルに上った。これは、一般的な自営農民がが三年かけて稼ぎ出す額に相当する。


 うだるような熱気はなりを潜め、吹きぬける風は心地よい。林檎や葡萄が市場を彩り始め、麦の穂はたわわに実って収穫のときを待つばかり。シラーズ周辺も、秋を迎えようとしていた。

 シラーズの街外れ、対竜部隊基地の本部棟にある執務室で、ダイアナ・ヘイワード少佐は書類の束と睨めっこをしていた。

「……さすがはダグラス閣下、と言うべきでしょうか。この短期間で、よくもここまで調べ上げたものです」

 謎の間者の暗躍により引き起こされた、炎竜の暴走。あの激闘からひと月半ほどが経過していた。

 ダイアナが手にしているのは、ライオネル・ダグラス少将から送られてきた報告書だ。コルドア内部に点在していた間者たちの隠れ家、武器の調達ルートなどについての調査結果が記されたものである。

「しかし――これは憂慮すべき事態です」

 ダイアナの眉間に皺が寄った。間者たちの活動は、想像以上に広範囲に及んでいた。秘密裏にこれだけの組織を構築したとなると、敵は相当に狡猾で大きな力を持つ相手であると推測される。そして――

「軍上層部や総督府内部に裏切り者が紛れている可能性、ですか――頭が痛い」

 それは、あくまで可能性がある、程度の話らしい。しかし、軍上層部や官僚が国を裏切っている――国益のため、命を賭して竜の討伐に当たっている者としては、想像もしたくない事態である。

 ダグラスは以前から大きな裁量権と豊富な予算・人員を持つ情報機関の必要性を説いていたが、これは早急に実現すべきだとダイアナも思う。

「ともあれ、私たちにできることはもうありません。あとは閣下に任せることにしましょう」

 ダイアナは報告書を脇によけると、次の書類の山に取り掛かろうとした。と、部屋のドアがノックされた。

「失礼いたします! 少佐、首都キャピタルから書簡が届いております」

 若い下士官が携えてきたのは、一通の指令書であった。

「これは……? まったく、次々面倒ごとを。竜の討伐に集中させて欲しいのですが」

 ダイアナは大きく嘆息した。


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