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カルテに書けない よもやま話  作者: いのうげんてん
2章 医者もいろいろ
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<19> 真の教育者 体をはった学生実習

「これが心筋梗塞の波形だよ」


 私が学会準備のために水野先生を訪ねた時のことです。


 ベッドの脇に置かれた心電図モニターを指さしながら、水野先生は講義をしておられました。


 水野祥太郎みずのしょうたろう先生は、大阪大学出身で専門は整形外科でした。1970年川崎医科大学(⇒豆知識①)設立時の初代学長になられました。


 医学教育の改革を旗印に、教養課程と専門課程を通年制にするというそれまでの医学教育には無い、ユニークなカリキュラムで話題になったのです。


挿絵(By みてみん)

      川崎医科大学


 大学教授として整形外科の教鞭を執るかたわら、自らアフガニスタンに赴き、医療協力を行われました。アフガニスタンの大学で整形外科の技術指導をされたのです。


 私は1979年の暮れに、カンボジア難民の医療救援のためにボランティアでタイに渡りました。


 救援活動を終えて帰国してから、国際医療協力の重要性を訴え、実情を本にして出版したのです。


 全国の医系大学に贈りました。


 水野先生とはその時に出会ったのです。


 ちょうどその頃大阪で、第21回日本医学会総会(1983年)の開催準備がなされていました。(⇒豆知識②)


 医学会総会は、4年に一度開かれる日本医学会の祭典です。


 くしくも、水野先生の母校、阪大の同窓生がその会頭となったのです。


 自ら国際協力を主導されていた水野先生は、後輩の会頭に声をかけ、国際医療協力のテーマを医学会総会に組入れる準備をされていたのです。


 それまで医学会総会には、国際医療協力のテーマはありませんでした。


 私の本を目にされた水野先生は、私に声をかけられました。


「国際医療協力のテーマが日本の医学会に無いのはけしからんことですよ」


「僕の後輩が会頭になったから今がチャンスです」


「医学会総会のシンポジウム、一つ協力してくれませんか」


 対座した若造の私にいきさつを熱っぽく語られました。


 喜んで私は引き受けました。シンポジストの一人として医学会総会に参加したのです。


 国際医療協力は、それまでは、知る人ぞ知る的な分野でした。ところが、医学会総会で取り上げられると、マスコミの注目するところとなって、関係者が一堂に会したのです。シンポジウムは盛会裏に終えることができたのです。


 総会の後、その勢いに乗って国際医療協力の学会を立ち上げようという声が上がりました。


 全国の大学医学部長や医科大学長に趣意書を送り、多くの先生方に参加してもらったのです。


 私は東京と大阪を行き来して、その準備を手伝いました。水野先生の神戸の自宅にもうかがったことがあります。


 その途上で水野先生は病いに倒れられたのです。


 心筋梗塞でした。


 ほどなくして、学会設立の進捗状況を報告するために、お見舞いがてら川崎医科大学付属病院を訪ねました。


 10畳ほどの個室でした。


 ベッドには酸素テント(⇒豆知識③)が張られ、その脇に心電図モニターが置かれていました。


 酸素テントの中で、


「よく来てくれたなあ。茨城って、ほんとに遠いんだよ」


 付き添っておられた奥さんに、笑って言われました。


 しばらくすると、白衣姿の医学生たちが5~6人入ってきました。


「ちょっとごめんよ。彼らに話すもんでね」


 鼻に酸素カニューレ(⇒豆知識④)をつけて、酸素テントから身をのりだしました。


 ベッド脇の自分の心電図モニターを指さしながら、学生たちに講義を始められたのです。


 ひと言話すたびに息をついて、


「これが心筋梗塞の波形だよ」(これが本稿の冒頭に書いた水野先生の言葉です)


「どこが異常か分かるかな」


「STの波形がおかしいだろう」


 体を張っての、まさにべッドサイドティーチングだったのです。


 5分も話すと息切れして、べッドに倒れこみました。


「主治医に止められているから今日はここまでだよ」


「ありがとうございました」


 学生たちは一礼して退室していきました。


「先生は根っからの教育者なんだなあ。こういう先生に教わって学生たちは幸せだなあ」


 私は感動してその講義を見入っていたのです。


 かいつまんで学会の報告をすると、先生は握手の手を差し出されました。


「あとは君たちに頼んだよ」


 退室ぎわにそうおっしゃいました。


 これが最後のお別れでした。


 その後心筋梗塞はなかなか改善せず、冠動脈のバイパス手術を受けることになったのです。


 残念ながら手術後に肺炎を合併して、帰らぬ人となられました。77歳でした。


 その2年後に、日本国際保健医療学会が設立されたのでした。


☆豆知識


①川崎医科大学(かわさきいかだいがく、英語: Kawasaki medical school)は、岡山県倉敷市松島577に本部を置く日本の私立大学です。


 岡山市内にある川崎病院を母体として1970年に設置され、兵庫医科大学・埼玉医科大学と並んで民間病院を母体とした医科大学として開学しました。戦後の私立新設医科大学としては杏林大学・北里大学と並び早期に開校し、中国・四国地方で唯一の私立医学部です。


 建学の理念に、人間をつくる、体をつくる、医学をきわめるを上げています。


参照:Wikipedia


日本医学会にほんいがっかいは、日本医師会の下に設置された学会です。「医学に関する科学および技術の研究促進を図り、医学および医療の水準の向上に寄与する」ことを目的とし、総会やシンポジウムの開催等を行っています。


 下部学会でありながら、非常に古い歴史をもっています。1902年(明治35年)、16分科に約1,700名が参加して開催された「第1回日本聯合医学会」を起源とします。第3回以降「日本医学会」と改称し、以後、終戦直後を除いて4年毎に開催されています。


 現在、常設化され日本医師会の一部としての位置づけがなされ、129分科会を擁しています。


参照)Wikipedia


③酸素テント(さんそてんと)とは、呼吸や血液循環が十分に行えない重症患者に酸素を与えるテント状の装置です。ビニール製のテントで、患者の上半身をおおい、毎分数リットルの酸素を温度および湿度調節をして吹き込みます。長期にわたり酸素療法を行う場合に適していて、未熟児や乳幼児に使用する場合が多いです。


挿絵(By みてみん)


参照:医学用語解説

http://184.73.219.23/worldpl/13_yougo/ydb/sa10.htm


④カニューレ(かにゅーれ、cannula)とは、心臓や血管、気管などに挿入する管状の医療器具のことです。


 鼻カニューレ(はなかにゅーれ、nasal cannula)とは、酸素を供給するための3~5mmほどの内径のカニューレです。両側鼻腔から、目安として5L/分までの酸素流量で約40%までの吸入酸素濃度を投与でき、呼吸困難の緩和、身体各器官の機能の酸素供給を正常に保つことを目的として用いられます。


参照)ナースpedia https://www.kango-roo.com/word/14774


〈つづく〉



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│いのうげんてん作品      

│               

│①著作『神との対話』との対話

│ 《 あなたの人生を振り返る 》《 自分の真実を取り戻す 》

│②ノンフィクション-いのちの砦  

│ 《 ホスピスを造ろう 》

│③人生の意味論

│ 《 人生の意味について考えます 》

│④Summary of Conversations with God

│ 『神との対話』との対話 英訳版

└───────────────


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