<17-5> 良いお医者短編集-マザー・テレサ
今回は医師ではありませんが、国際医療協力の関係でお会いしたマザー・テレサのことを書いてみます。
ごぞんじのように、マザー・テレサは、1979年にノーベル平和賞を受賞された方です。
彼女は現在のマケドニア共和国に生まれました。
修道院で地理を教えていたのですが、三十代半ばで、ある時イエスキリストに召され、カルカッタの貧民を救えと命じられました。
彼女はカルカッタに独り赴き救貧所を作り、路上に倒れて見捨てられた人々を一人二人と連れてきて、世話をしたのです。それが、神の愛の宣教者会となって全世界に広がっていったのです。
4年に1度、日本の医学会の祭典ともいえる日本医学会総会が、関東と関西とで交互に開かれています。
私たちが立ち上げた国際医療協力の学会も、会長の津山直一東大教授のお骨折りで、医学会総会の分科会として、シンポジウムをもつことになったのです。
そこでマザー・テレサに基調講演をお願いすることになり、マザー・テレサが来日した折に、お会いしたのです。
来日中毎日忙しいスケジュールの中で、私たちに時間を割いて下さいました。
事務局長をしていた私は、会長の津山直一東大教授といっしよに、東京のカトリック教会に出かけました。
教会ではミサがありました。
教会といってもヨーロッパでよく目にするような大礼拝堂ではありません。少し大きめの一軒家といった感じでした。
マザー・テレサは、一般の参加者に混じって30畳ほどの礼拝室の床に座ると、静かにお祈りをしていました。
ミサが始まりました。すると、神父さんが出てきて、説教をするのです。
私はマザー・テレサが説教するものとばかり思っていたのですが、ミサは神父が執り行うことに決まっているようです。
マザー・テレサは参加者といっしよにそれを聴いていました。
ミサの後に、マザー・テレサにお会いしました。
前もって教会の執事の方に用件をお話ししてありました。
私は、相手が高名な方でもあり少々緊張しておリましたが、彼女は私たちに会うやいなや、握手の手を差し延べ、満面に笑みを浮かべて応対してくださいました。
津山先生がマザー・テレサの正面に座り、招請状を手渡し英語で趣旨を説明したのです。
私はマザー・テレサの真横に座りました。
私は、そのあまりの慕わしさに、初対面というのに、ずうずうしくも彼女の肩を抱くようにしてお話ししてしまったのです。
私のそんな慣れなれしいしぐさにも、顔色一つ変えるでもなく、子供のようにニコニコしながら、話しをされるマザー・テレサでした。
「2年後だと私が生きているかどうか分かりませんよ」
茶目っ気たっぷりに、あの独特な笑みを浮かべてそう話されました。
残念ながら基調講演は実現しませんでしたが、マザー・テレサにお会いして話す機会を私はいただいたのです。
実際には、後に(1999年)ノーベル平和賞を受賞した『国境なき医師団』の事務局長ドクター・シャーロンが、フランスの本部から来日し講演してくれたのでした。
〈つづく〉
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