◇告知板◇ 6章 私の医療あり方論に <3-35> 病院寸話 《64. 知らぬが仏 — 心を守る知恵》 を追加しました
<3-35> 病院寸話(月例朝礼・会議などでの寸話)
《その64 知らぬが仏 — 心を守る知恵》
「知らぬが仏」という言葉があります。
これは、「知れば腹も立つが、知らなければ仏のように平静でいられる」という、日本の古くからの知恵です。
一見すると、無知を肯定するようにも聞こえるこの言葉。しかし、私たちの心を守るうえで、非常に深い真理を含んでいるのです。
私たちは日々、さまざまな情報や出来事、人の言葉にさらされながら生きています。
その中には、知ることで心が乱れたり、不安に駆られたり、怒りが湧いてくるものもあります。
ときには、そうした情報からあえて距離を置くことが、心の平穏を保つうえで大切なのです。
ただし、「知らぬが仏」をどんな場面で、どのように実践するかには慎重さが求められます。
無関心でいることと、意識的に距離を取ることとは違います。
不用意な振る舞いは、周囲の誤解や反感を招くこともあるでしょう。
だからこそ、「見て見ぬふり」ではなく、賢く目を閉じる技術が必要なのです。
また、私たちはしばしば「忘れる」ことを恐れます。
しかし、忘れることもまた、人間に与えられた大切な能力です。
過去の出来事に対して、「ああすればよかった」「どうしてあんなことを……」と、何度も悔いることがあります。
けれど、どんなに悔やんでも、過去は変えられません。
大切なのは、しっかりと反省したあとで、それを手放すことです。
「執着をやめる」
それが、心の自由への第一歩です。
同じように、未来に対する過度な不安も、私たちのエネルギーを削ります。
起こるかどうかも分からない出来事に心を奪われて、今この瞬間を疎かにしては本末転倒です。
精神科医のブライアン・ワイス博士もこう語っています。
「未来を案ずるより、今という瞬間をしっかりと生きることにこそ意味がある」
私たちの波動、つまり心の状態は、日々の選択に大きく影響されます。
ネガティブな言葉、暴力的な映像、無意味な不安をあおるニュース。
そうしたものから意識的に距離をとることも、自分を大切にする行いです。
目や耳をふさぐことで、私たちは何かを失うのではなく、むしろ心の静けさという大切なものを守るのです。
だからこそ、時にはこう自分に言い聞かせましょう。
「知らぬが仏」—これは逃げではなく、生きる知恵である。
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〈つづく〉
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│いのうげんてん作品
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│①著作『神との対話』との対話
│《 あなたの人生を振り返る 》《 自分の真実を取り戻す 》
│
│②ノンフィクション-いのちの砦
│《 ホスピスを造ろう 》
│
│③人生の意味論
│《 人生の意味について考えます 》
│
│④Summary of Conversations with God
│『神との対話』との対話 英訳版
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