◇告知板◇ 7章 私の高齢者医療の実際に <16> 本人の意思を支えるケア─パーソンセンタードケアという光 を追加しました
<16> 本人の意思を支えるケア─パーソンセンタードケアという光
私は現在、認知症専門の精神科病院内科に勤務しています。
私はこれまで、ホスピスケアの基本は「人間の尊厳性の尊重」「症状の緩和」「QOLの向上」の3つであると考えてきました。しかし臨床の現場で多くの患者さんと関わる中で、本当に根幹にあるべきものは「本人の意思の尊重」なのではないかという思いを、常に抱いてきました。
それでも私は、その思いを「尊厳性の尊重」という言葉で表現してきました。というのも、「本人の意思」という言葉をどう扱えばよいのか、当初は明確なイメージが持てなかったからです。特に、認知症の方と向き合うようになってからは、この問題に対して自分の中で折り合いをつけるために、「尊厳性」という言葉に気持ちを込めてきたのです。
がん患者さんのホスピスケアにおいては、「本人の意思を尊重すること」が最も大切な原則とされています。本人の意思こそが、その人の尊厳を形作るものである、といっても過言ではありません。
しかし、認知症が進行した方の場合、その「意思」を私たちがどのように理解し、受けとめればよいのか、非常に悩ましい状況が生まれます。
たとえば、すでに亡くなった方が話の中に現在形で登場したり、現実には起きていないことを確信していたりすることがあります。そうした発言や行動に込められた「意思」は、果たしてどのように尊重すればよいのでしょうか。私はこの問いに、長い間悩み続けてきました。
医療において、「本人の意思の尊重」は、あらゆる行為の中核にあるべきものです。尊厳死や臓器移植の議論においても、その前提として本人の意思が重視されています。その基本的な考え方を、認知症という状況の中でどう扱えばよいのか―それが私にとっての長年の課題でした。
そうした中で、一筋の光となったのが「パーソンセンタードケア(Person Centered Care:その人を中心としたケア)」という考え方です。
パーソンセンタードケアは、イギリスのブラッドフォード大学のトム・キットウッド教授が提唱した、認知症の人の尊厳を守るケアの方法です。
意思という言葉は、知的な表現であるように思われがちですが、そこには感情的な側面も深く関わっています。認知症の方は、知的な機能には障害がある一方で、感情は比較的保たれていることが多くあります。パーソンセンタードケアは、そうした感情の側面を大切にするケアのあり方です。
行動は、意思の表現でもあります。言葉がうまく使えない方にとっては、行動そのものが意思を伝える手段になります。徘徊や拒否、笑顔や涙―それらにはすべて、その人なりの意味や感情が込められているのです。
パーソンセンタードケアでは、たとえば徘徊を単なる「問題行動」としてとらえません。その背景にある不安や訴えを読み取り、寄り添うことを大切にします。不安を和らげるためにいっしょに手をつないで歩くことも、その一つの方法です。
私は以前、植物状態となった患者さんのそばで、毎日のように「どうしてほしいのか、教えてください」と問いかけていました。意思の表明ができないように見える方であっても、その魂は聞いているかもしれない―そんな思いで、語りかけていたのです。それは私なりの「その人を中心としたケア」であったのかもしれません。
そしていま、パーソンセンタードケアという明確な枠組みに出会い、私はようやく長年の模索に一つの答えを得たような気持ちになりました。
パーソンセンタードケアは、確かに高度な知識や理解を要する面もありますが、その基本にあるのは「いま、目の前の人を一人の人間として見る」という、ごく当たり前の姿勢です。この姿勢を実践することこそが、「本人の意思を尊重する」とは何かを深く学ぶ道ではないかと、私は考えています。
〈つづく〉
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│いのうげんてん作品
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│①著作『神との対話』との対話
│《 あなたの人生を振り返る 》《 自分の真実を取り戻す 》
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│②ノンフィクション-いのちの砦
│《 ホスピスを造ろう 》
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│③人生の意味論
│《 人生の意味について考えます 》
│
│④Summary of Conversations with God
│『神との対話』との対話 英訳版
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