<8> 変わったお医者-薬好き・薬嫌い
世の中には、薬嫌いの人がおられるようで、血圧がすこぶる高いのに、
「薬は飲み始めたら最後、一生飲まんといかんのでしょう」
といって、躊躇なさる方がいます。
そんなとき、
「私なんぞ、こんなにたくさん飲んでるよ。いいかげんにあきらめなさい」
と偉ぶって見せると、(決して偉くもないのですが)、感服したのか、妙な医者もいたもんだとあきれたのか、みなさんかんねんするのです。
医者なら誰しも薬を使うものと思いきや、さにあらず。薬嫌いは患者だけではないようで、医者の中にも、薬好きもいれば、薬嫌いもいるのです。
何を隠そう、薬好きなのはこの私でございます。医局の机の引き出しを見やれば、薬の山。同僚がそれを見て、
「売るほどありますね」
と驚いていました。医者なんぞより、患者になっている方が、様になるほどです。
どんな薬を飲んだのか、ざーっと上げてみますと、風邪薬、鎮痛剤に始まって、睡眠薬、降圧剤、高脂血症剤、胃薬、麻酔薬、心臓、肝臓、アレルギーの薬、漢方薬ひいてはマルマ(塩酸モルヒネ)にいたるまで、自分で試しているのでございます。
ただ婦人科の薬だけは、病気をしておりませんので(当たり前)、飲んだことはありません。
これほどまでに薬を飲んだのは、自分で試さなければ人様には使えないなどという高尚な思いはほんの少しで、ほとんどは自分が薬好きなためであります。(これにつきましては、またいつか詳しく書くつもりです。仮題:病気だらけの医者-乞ご期待)
薬嫌いの医者は、患者にとってはあまりありがたく無いように、薬好きの私には見えます。と言って、馬に食わせるほど大量に出す医者も敬遠されます。
私の経験では、薬はほどほどの量を処方すると、患者さんは満足されるようで、そのさじ加減を習得するのも、良医となるための修行の一つです。
風邪をひいて病院にやって来た患者に、アスピリンだけを処方した医者がいました。風邪の治療は養生するしかありませんから、理屈ではそれでいいのですが、せっかく気だるい身を起こして病院にやって来た以上、感冒薬やうがい薬、抗生物質くらいを患者は期待しています。
薬袋を覗き込んで、
「これだけ!?もっとちょうだいよ」
「風邪など薬はいらん。寝ておれば治る」
と、取り合ってもらえません。後でブツブツ不満を漏らす患者の声が聞こえてきます。
「ごめんなさいネ。(こんなちょっとで……)」
患者の肩に手をやり、ナースがあやまっています。
私も医者になり立ての頃は、風邪にはアスピリン1錠の部類でした。それが、先輩の処方を見て、うまいもんだなあと感心して真似するうちに、1種類が5種類ほどに増えたのです。
さらに薬嫌いのお医者さんがいました。
自分が食中毒になって、激しい嘔吐と下痢で死にそうになったのです。それでも点滴は嫌だと拒否していました。みんなが勧めても拒否し続け、4日間ほど悪戦苦闘し、遂にフラフラになってしまいました。それでもやっぱりやりませんでした。
「あの時は三途の川がほんとうに見えたよ」
元気になってから笑っていました。
患者にはすぐ点滴するのに、自分には死にそうになってもやりません。その気力には感服しましたが、医者ともあろうものがと、私はながめていました。
精神科時代に、私の先輩に注射嫌いがいました。風邪で熱を出し、後輩の私に、熱冷ましの注射をしてくれと頼んで来ました。
私に頼むなりベッドにうつ伏せに寝ると、お尻を出すのです。注射の針が恐くて、大人しくしている自信が無く、暴れないようにベッドにうつ伏せになったのです。まるで子供のようでした。
「まだ打つなよ」
と叫びながら、緊張して体を震わせています。
「いきますよ」
プスッと針を刺すと、
「わーっ、いてて!お前、痛いぞ!」
冷や汗びっしょりかいて、大声で騒いでいました。
先輩の情けない姿に、自分はこんな医者にはなるまいと、しんそこ思いました。特に精神科の医者は、注射のような物理的な治療が苦手のようです。
医者だけでなく、医療者はみんな注射嫌いです。患者には平気でやりますが、いざ自分が注射されるとなると、大騒ぎです。職員健診や予防接種の時は、みんな注射を嫌がって逃げ回っています。診察室は、さながら小児科診察室のようになるのです。
私はといえば、注射は好きではありませんが(好きな人などいませんよね)、薬好きのこともあって、具合が悪ければ、すぐ点滴してもらっちゃうほうでございます。
1度、病気のうちでも1番痛い尿管結石で自分の病院に入院した時も、七転八倒しながら、その強烈な痛みがひく合間を見計らって、ソセゴン(鎮痛剤)、セルシン(鎮静剤)、ブスコパン(鎮痙剤)入りの点滴をオーダーして、自分で自分を治療したことがあるのです。
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│ いのうげんてん作品
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│①カルテに書けない よもやま話
│②ノンフィクション-いのちの砦
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