◇告知板◇ 6章 私の医療あり方論に <4-16> 私の診療心得 ⑯ 「生命(いのち)はだれのものか」 を追加しました
<4-16> 私の診療心得
⑯ 「生命はだれのものか」
生命は、いったい誰のものでしょうか。
私は、それは「本人のもの」であると考えています。
そう述べると、多くの方は「それは当然だ」と思われるかもしれません。ところが、臨床の現場においては、この「当然」の命題が揺らぎ、深く悩まされる場面がたびたび訪れます。
ある日、食事中に喉を詰まらせて重度の低酸素脳症を起こしたSさんという患者さんがいました。
初期対応として、私たちは補液と抗生剤投与を行いました。しかし、意識が戻らぬまま1週間、2週間と過ぎ、1カ月が経過する頃には、周囲の空気も変わりはじめます。
本人は、呼びかけに対して反射的に目を開ける、いわゆる植物状態で、言葉を発することはできません。なので「もう治療は十分です」と訴えることもありません。
やがて、家族は「延命はもう結構です」とおっしゃり、医療スタッフの間にも同様の空気が広がっていきます。
しかし、私はあくまで、生命は本人のものであり、その生命を完了させるか否かは本人が決めるものだと考えています。言葉でなくとも、生命力そのもので「もういい」と表明してほしい、そう願ってしまうのです。
一般病院であれば、こうしたケースでは自然に経管栄養へと移行します。鼻から管を通す、あるいは胃瘻造設によって栄養補給を行うことは、ごく一般的な処置です。
けれども、認知症を主とした長期療養の場において、果たしてそれが最善なのか。私は日々、意識のないSさんに問いかけていました。
「あなたは、どうしてほしいのですか」
その問いに答えは返ってきません。
だからこそ、看護師とともに悩み、語り合うことで思考を整理していきました。そして、両者の意見が一致したとき、思わず「万歳」と叫びたくなるほどの安心と喜びを覚えました。
「どうせやっても無駄だ」と割り切ることができれば楽でしょうが、私にはできません。私はそういう人間なのです。
Sさんは、末梢からの補液2本のみで1カ月半生き延びました。高熱が出ても抗生剤は使わず、検査も最小限にとどめ、視診と聴診によって経過を見守りました。
誕生日まで存命なら、経管栄養へ移行しようと、看護師と話し合い、家族も同意してくださいました。
そして誕生日、経鼻胃管に切り替えた直後、Sさんは静かに旅立たれました。家族は、私たちの判断と対応に涙ながらに感謝してくださいました。
生命は、本人のものです。本人が「生命を完了」すれば、死は訪れます。その時を決めるのは、当の本人なのです。
医療の役割とは、生命を「維持すること」ではなく、「支えること」です。
生命は医療によって生きているのではありません。生命は、生命自らの力で生きているのです。
医療はその営みに寄り添い、手を差し伸べる存在にすぎません。
私はそう考えています。
〈つづく〉
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│いのうげんてん作品
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│①著作『神との対話』との対話
│《 あなたの人生を振り返る 》《 自分の真実を取り戻す 》
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│②ノンフィクション-いのちの砦
│《 ホスピスを造ろう 》
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│③人生の意味論
│《 人生の意味について考えます 》
│
│④Summary of Conversations with God
│『神との対話』との対話 英訳版
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