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カルテに書けない よもやま話  作者: いのうげんてん
8章 なんちゃって診療録 (工事中!)
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<25-1> わが父の最期 その1 横浜にやって来た

 『わが父の最期』などと、たいそうなタイトルを付けましたが、実のところ、ほとんどが、わが女房の介護奮闘記なのです。当時、私は他県の病院に単身赴任していたからです。


 私の父は、94歳で亡くなりました。


 父は愛知県に老夫婦で住んでいて、近所に住む長男の世話を受けていました。長男の奥さんがナースだったのです。


 私は高校を卒業すると家を出て他県の大学に進学しました。


 なので、それ以降、親に会うのは、年1回あるかないかだったのです。


① 父がはるばる横浜にやって来た


 亡くなった年の3月に、突然、父から電話がありました。横浜の私の自宅に、しばらく泊まりたいというのです。


 前年の夏に会ったときには、まだ、足元もしっかりしていましたが、最近、だいぶ弱ったと母が言っていましたので、突然の訪問話にはさすがに驚きました。


 当時私は、埼玉の病院に単身赴任していました。


 なので一番負担のかかるのは女房です。その時彼女は、実の母親も世話していたのです。


 二人で相談し、最期の親孝行をしようと決めました。


 話はトントン拍子に進んで、4月7日に来ることになりました。


 私の兄(長男)が付き添って新幹線でやって来ました。女房と新横浜の駅で落ち合い、タクシーで自宅まで来たのです。


 土曜日なので、私は埼玉の病院を早退させてもらい、車で自宅に戻りました。父たちより1時間くらい遅れて帰宅しました。


 父は兄と一緒にソファーに、かくしゃくと座っていました。


 その夜は、兄とは10年ぶりなので、父と兄とお酒を酌み交わし、話がはずみました。


 そして一夜が過ぎました。


 翌朝私が9時頃起きますと、女房が昨夜の出来事を話してくれました。女房はほとんど一睡もできなかったというのです。


 ソファーに座っていた父は、普段着を持っていっても着替えることなく、寝るまではスーツでいました。


 いざ寝る段になって、ズボンを脱いでみると、その下にモモヒキをはいていて、その中は、尿でびっしょり濡れていました。モモヒキが耐水性のものだったため、ズボンまでしみることがなかったので、気づかなかったのです。


 トイレに行く途中で失禁してしまうのです。


② すごい失禁だ


 事前に状況をある程度把握していましたので、紙オムツ(自尊心の強い父には、使い捨てパンツと呼びました)を用意しておきました。(←(^ω^)息子といっしょだ)


 しかし、案の定、父は断固としてそれを拒みました。実家の方でも、そのために母が参ってしまうほど苦労したようです。


 夜中じゅう1時間おきにトイレに起きます。女房はその都度起こされ、後始末をして、一睡もできなかったのです。


 それに1度、ドタンという大きな音がして、戸を開けてみると、畳の上に父が倒れていました。つまずいて転倒したのです。骨折したのではないかと思うほどの音でした。


 幸い骨折はありませんでした。


 しかも、イビキがものすごいのです。突然始まったかと思うと、突然とまったり、いろんな音がしたりで、うるさいやら、おかしいやらで、寝るどころではなかったようです。


 夜中じゅうトイレに起きていますから、熟睡できないためでしょう、父は朝起きるのは11時ごろです。


 それから朝食を食べて、昼寝もします。それでいて、夜9時にはまた床につくのです。


 翌日、私は父の脱腸の具合を診察しました。


 今回横浜に来た理由の一つは、持病の脱腸を息子の私に診察してもらうことだったのです。


 右鼠径ヘルニアで、外鼡径輪は、まっていたので、陰嚢の手前で、脱腸の腫れは止まっていました。


 ハンカチのような布切れを折って小さなパッドを作り、脱腸が出るあたりを弾性粘着テープで圧迫固定しました。それで少し腫れは治まりました。


 脱腸は嵌頓しなければ、腸が引っ張られる違和感や、軽い痛みがあるくらいでそれほど害はありません。仰向けになるとすぐ腸は還納します。


 翌日も、同じように夜中は頻回にトイレに起きます。その都度、後から付いていって、垂らした尿を拭かなければなりません。そうしないと、トイレから寝室まで、床掃除をしないといけなくなってしまいます。


 しかも2日目の夜には、尿でパンツをビッショリ濡らしてしまい、女房が、風呂場で下半身をシャワーで洗いました。


 これが3日続きました。


 きわめて精神力の強い女房でも、さすがに3日間寝られないのは、こたえました。もちろん昼間もほとんど休めません。心身ともに疲労困憊したのです。


 私は、月曜の夜には、埼玉の赴任先病院に出かけました。


 兄はすでに愛知の方に帰っていますから、世話は女房独りにかかります。


③ ポータブルトイレが役立った


 病院のケースワーカーに失禁の相談をしてみました。そういう場合はポータブルトイレが一番よく、区役所で貸してくれるというアドバイスをもらい、女房に伝えました。


 さっそく区役所に問い合わせると、1カ月間無料で貸してくれるとのことです。ちょうど1台だけ余っていたのでそれを借りてきました。


 翌日、具合を聞いてみますと、ポータブルトイレを大変父も気に入ったようです。


 父には、パンツをびっしょり濡らしてから、紙オムツに代えてもらいました。父も、女房に悪いと思ったのか、素直にそれをはきました。


 紙オムツに代えて、濡らしたら取り替えることにし、枕元に防水シーツを敷いて、ポータブルトイレを置きました。


 これまでトイレに行くまでに漏らしてしまっていたのが、枕元にあるのでほとんど漏らさずにすむようになったのです。


 ただポータブルトイレの蓋を閉めるときに、バタンという結構大きな音がして、ふすまひとつ隔てただけの隣室で寝ていた女房は、その都度目を覚ましていたようです。しかし、トイレのたびにいちいち起きていく必要がなくなり、少し休めるようになりました。


 すぐいらついて怒るという父の様子を聞いて、私は精神安定剤を少量飲ませました。頭がしっかりしてるわりに、身体がいうことを聞かないので、いらつくのでしょう。眠気など安定剤の特別な副作用もありませんでした。


 トイレが夜間頻回であることで、過活動性膀胱も考えました。過活動性膀胱とは、膀胱が敏感になって、尿が少し溜ると、すぐ排尿したくなる病気です。


 そのための薬を飲ませました。


 効果は全くありませんでした。ポータブルトイレにしたので尿量が分かります。夜間に1リットルから2リットルの尿が出ているのです。これでは過活動性膀胱とはいえません。薬は効かないはずです。すぐ中止しました。


 女房は熟睡ができず疲れがたまって、5日目にして、ギブアップ寸前になりました。さらに、40代の中頃から、股関節変形症を患い、無理をすると股関節痛がひどくなって歩けなくなってしまうのです。


 父がヨロヨロ歩く時、それを支えるたびに、父の体重がかかってきます。それにポータブルトイレの運搬など重いものを持ったものですから、身体じゅうがガタガタです。


〈つづく〉



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│いのうげんてん作品      

│               

│①著作『神との対話』との対話

│ 《 あなたの人生を振り返る 》《 自分の真実を取り戻す 》

│②ノンフィクション-いのちの砦  

│ 《 ホスピスを造ろう 》

│③人生の意味論

│ 《 人生の意味について考えます 》

│④Summary of Conversations with God

│ 『神との対話』との対話 英訳版

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