<18> 医者の仕事は驚くことばかり-救急車
けたたましいサイレンを鳴らして、今日も救急車があちこちで走っています。救急車を受ける側からすると、そのサイレンの音に、一瞬、緊張するものです。急病人といってもさまざまで、タクシー代わりに使う軽症者もいれば、心肺停止状態の重症者もいますから、気を抜くことができません。
気を引き締めて出ていくと、元気な患者が医者のおでましを今や遅しと待っていたり、気を抜いて出ていくと、頭蓋骨が割れて脳が見えるような、こちらが失神しそうな仰天例もあったりします。
病気になれば誰でも救急車に乗ることができますが、患者として搬送されるのは誰しも御免でしょう。
私は救急車に一度乗ってみたいと、昔から思っていました。幸いにも、患者でなく医者として乗ることができました。
救急車に乗ってみると、それはそれは気持ちの良いものです。
第1に、サイレンの音を高らかに鳴らして、勇ましく走ります。何か正義のヒーローにでもなったような高揚した気分になって、「ハイヨー、シルバー!」(昔の人気テレビ番組ローン・レンジャーが、愛馬シルバーを発進させる時のかけ声←長い注釈だこと!)と叫びたくなります。
第2に、みんなが道を開けてくれます。日本人はドライバ-も礼儀正しく、救急車が近づくと、道路の両脇に寄って道を開けてくれます。ハリウッド映画の『十戒』には、モーセが紅海を2つに割るシーンがあるのですが、ちょうど海が2つに割れるように、混雑する車列がサイレンの音を聞くとサーッと2つに割れ、道が開かれるのです。
その光景は胸が熱くなるほどの感動ものです。その運転モラルに感激し、「ありがとう!」とこれまた叫びたくなります。
救急車についての豆知識を書いてみます。万が一、乗る羽目になったときの参考にしてください。(乗らないですむように、日頃から健康には注意しましょう!)
救急車は消防に属しています。隊員は消防士で、時には消火と救急を兼務することもあるそうです。
乗員は救急隊員(時に国家資格を持った救急救命士)で、通常3人が乗っています。
1人はドライバー、もう1人は、「救急車が通ります、ご注意ください」などとアナウンスする人。この人は隊長さんで、救急車の搬送先を、電話で交渉もしています。さらにもう1人は、処置室で搬送する患者を監視しています。隊員と患者以外で救急車に同乗できるのは、家族か医療者です。
救急車の中は、運転室と処置室に分かれています。運転室と処置室の間には備品がたくさん置いてあるので、自然に仕切られるのです。もちろん両室は肉声でのやり取りができます。
処置室の前面には、酸素ボンベや吸入マスクなどが置いてあり、右側面(すなわち運転席側)には、医療機器が壁に組み込まれるようにびっしりと並んでいます。その真下に、患者用のベッドが置かれているのです。
そのベッドから40cmほどの通路をはさんで左側に、同乗者用の簡易ベンチ(長椅子)が設置されています。監視役の隊員は、その通路に立って、患者の脈拍・血圧・呼吸状態などのバイタルサインを監視しているのです。
「119番」への通報は、「火事」と「救急」が同じ電話番号であるため、まず、どちらへの通報かを伝える必要があります。
話す内容は、①「火事」と「救急」のどちらなのか ②発生場所・位置(住所・目印) ③状況 火事の場合は対象物、けが人や逃げ遅れている人の有無。救急の場合は急病と事故との種別、人数・状況 などです(ウィキペディアWikipediaより)。
一般病院から高次病院に重症患者を搬送するときにも、救急車は利用されます。その時は医師やナースが同乗することがよくあります。
乗務員に救急救命士がいればいいのですが、救命士の数が限られていますから、そうとばかりはいきません。そこで重病人を転院させるときは、救急車の中で急変しても困りますので、救急隊から、「ドクターは同乗しますか」と聞いてきます。
救急車を使った場合、それに同乗した人たちは注意が必要です。というのも、帰りも救急車で送ってもらえるわけではないからです。行きっぱなしです。搬送先の病院に着いて、患者を相手に引き渡したら、すぐに彼らは本部に引っ返します。治療が終わるまで待っていてはくれないのです。
タクシーや電車などの帰りの足代を持って行かないと、行ったはいいが帰ってこれません。服装にも注意(特に冬などはコート)が必要です。携帯電話も持参していないと、困ることがあります。(もちろん、患者の健康保険証は言うまでもありません)
ある時、私の病院から高次病院に重症患者を搬送しました。その際、ナースが付いていきましたが、今のようなアドバイスを彼女にしたら、大変助かったと後で言っていました。白衣姿で道路を歩いていたり、電車を待っていたりしたら、一般の人たちには奇異にうつります。ドクターの場合はなぜか必ず、帰りも救急車で送ってくれます。
私の友人医師が大学で救急医学を教えています。一度試しに、ドクターの身分をかくして救急隊員になりすまし、救急車に乗って搬送を手伝ったそうです。その体験談を話してくれました。
「平気でタクシー代わりに使うのには驚きましたね。風邪なら自分で病院に行きなさいよと、何人に言ったことか」
彼は苦笑しながら言いました。
「それに、患者が救急隊員を顎で使うのには腹が立ちましたね」
大変な思いをして急病人を救助しているのに、顎で使われたらたまりません。
20年くらい前に、救急隊はあまり人気がないという消防士の声を聞いたことがあります。私の勘ぐりかも知れませんが、せっかく消防士になったのなら、みんな華々しい消防現場に出たいようなのです。
それに引きかえ救急隊員は、患者に文句ばかり言われ、あげくの果てに顎で使われては、割が合わないといったところが本音でしょう。
横浜市の救急車利用は2011年8月末時点で約11万274件と、前年同期比で5444件増え、過去最多を記録する勢いとのことです。(<7> 医者の仕事は驚くことばかり-夜昼なしの年中無休 を参照ください)
さいたま市の発表によると、2011年度で、救急車の出動1回当たり4万2425円かかったそうです。横浜市の出動件数でざっと計算してみると、救急車出動に年間70億円、横浜市民の税金が使われていることになります。
先ほどの友人医師は、さらに体験談を語ってくれました。
時には電車の飛び込み現場にいったこともあるそうです。そういう場合はほとんどが絶命しているので、レスキュー隊の担当になるのですが、ちょうど近くに居合わせたので駆けつけたのです。胴体が真っ二つに切断され、もちろん絶命していました。
電車は緊急停車していましたが、驚くことに、車両の中には乗客の野次馬が所狭しと集まり、道路には通行人の人だかりができ、みんな携帯で写メを撮っているのです。
「こんな写真を撮って何にするんだろう?!」
と、首をかしげたそうです。
余談になりますが、間もなく現場にレスキュー隊が到着して、ヘンスを越えて線路の敷地に入っていきました。隊長らしき人がそのヘンスをよじ登って越えていくと、それに続く隊員は、まるでカルガモ親子のように、そのヘンスを越えていくのです。
ヘンスは3メートルも行けば、踏切でなくなっているので、
「ちょっとむこうに行けばヘンスはないよ」
と親切心でいくら教えても、
「それはダメだ」
と言って、隊長の後を追っていくのだそうです。隊長に続けと日頃から訓練されているのでしょう。ご苦労様でございます。
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│ いのうげんてん作品
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│①カルテに書けない よもやま話
│②ノンフィクション-いのちの砦
│③『神との対話』との対話
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