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カルテに書けない よもやま話  作者: いのうげんてん
1章 医者も人間
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<17> 医者の仕事は驚くことばかり-恐い患者

 恐い患者とは、俗にヤーさんと呼ばれる、まさに恐い患者です。


 医者になりたての頃は、われわれの相手はか弱き患者さんで、こういうたぐいの人とは無縁だろうと思っていましたが、実際はどうしてどうして。一般の人が出くわす頻度より多いように感じました。


「はい、胸出して」


 聴診器片手に気やすく言ったはいいが、入れ墨が迫力満点に見えたときには、少々ビビるものです。悟られまいと努力はしても、急に声がうわずったりします。


 病院にはこういう恐い患者さんが、時折おいでになります。


 政治家が雲隠れするのに病院をたびたび使うように、ヤ-さんもよく利用するのです。ひどい病院になると、ヤ-さんが入りびたりということもありました。院長と組長が幼なじみなものですから、組員たちは友達のように気軽に出入りしていたのです。


 医者になってまもない頃でした。ある時警察の人が来て、


「この病院に入院中のAには逮捕状が出ています。逮捕して署に連行したいので、連れて行っても大丈夫か診断してください」


と言ってきました。


 こんなことは初めてで、私は少々ビビりました。その日は主治医は休みだったのです。


「診断せよと言ったって、そんなこと出来るの」


 ブツブツひとり言を言っていると、警察官数人に付き添われてAさんは診察室にやってきました。初めて見るAさんは見るからに恐そうな顔付きで、眼光鋭くこちらをにらんでいます。


(下手なことをして、あとでお礼参りでもされたらやばいな)


 がんを付けたなどと言われないように、伏し目がちにAさんの差し出す腕を見ると、ド派手な入れ墨がこれみよがしに踊っています。


 恐る恐る入れ墨が消えないように(←(^ω^)消えるわけがありませんが、ビビるとそう思えてしまうのです。この小心者!)マンシェットを巻き、血圧を測りました。手が震えていては心の内がバレてしまいますから、しっかりと両手を添えて胸の聴打診をしました。


 幸いにもすべて正常でした。これぐらいのことで異常が出るような人は、恐い人はやっておれません。


 私はほっとして、少々声がうわずりながら、


「大丈夫です」


 そのとたん、警察官はAさんを立たせると両脇を抱えて、さっさと出て行きました。


「あーあ良かった」


 すこぶるくたびれて、椅子の背もたれにどかっと持たれかかったのでした。


 もし大きな異常でもあろうものなら、「退院はダメです」とも言いたくないし、そうかといって異常があるのに、「大丈夫です」と嘘も言えません。何ごともなくてやれやれでした。


 もう1人は、これまた入院患者さんで、逮捕状が出ているとのことでした。


「逮捕状の出ている人が、何でこんなにいるのよ」


とぼやいていると、


「病院内で逮捕すると、他の患者さんに迷惑がかかりますから、退院させてください。私は外にいます」


と警察官は言ってきます。


 警察官は玄関の外に待機していました。そんな恐そうな人でもないので気の毒な気もしましたが、病気もないのに入院させている理由もなく、医者としてはそう言うしかありません。


 私は何食わぬ顔で、


「病気は治りましたから、もう退院して結構ですよ」


と言いました。


 彼も気配を感じたのか、抵抗することなく素直に退院して行きました。そして警察官に連行されたのです。


 患者から脅されることもしばしばです。医療訴訟②に書きました、留置場から脅迫状を寄こしたおじさんも、そのたぐいです。


 さらにヤクザぽい人に、


「うちの若い衆をよこすから、帰り道は注意しろよ」


と脅されたこともあります。治療した患者にうらまれ、医者がピストルで撃たれて死亡する事件が時々起きていますので、人ごとではありません。


 それは、その恐い人の娘が虫垂炎で入院したときのことです。虫垂炎はよほど重症でなければ、すぐ手術する必要はありませんが、急変したときなどは緊急手術となりますから、外科が担当していた方がベターなのです。


 ところがその恐い人は、


「何で外科に入院させたんだ!まだ手術と決まったわけじゃないだろうが」


と、血相を変えて医局に怒鳴り込んで来ました。


 話し合ううちに、先ほどの「うちの若い衆」うんぬんの脅し文句が飛び出したのです。


 内心、これはやばいなと思いました。


「あなた、娘がかわいくないの」


 上司が言いました。


 すると、みるみるうちにさらに形相が険しくなって、


「馬鹿やろう!娘がかわいくない親がどこにいる」


 その迫力ある怒声に、一同、ひっくり返りそうになりました。しばし呆然としていて、はたと考えると、


(あれえ?!この人まともじゃん)


 そう気付くと、やおら、


「かわいいなら、こちらに任せなさい」


 上司は勇気を出して、外科が受け持つ理由を説明しました。


 しばらく恐い人は考えていました。こちらはそーっと顔を覗き込んだりしていると、


「そうだな・・・」


 それを機に彼の態度が急に軟化しました。話し合いに、笑い声が混じるようになったのです。


 恐い人も同じ人間でした。これまたすんでのところで、命拾いをしたのです。


 こんなことやってたら、いくら命があっても足りません。やれやれ。


 ちなみに、医者の平均寿命をインターネットで調べてみたら、古いデータが出ていました。


 森一教授の「職業と寿命の研究」には、10の職種の平均寿命があげられているようです。

 宗教家(75.6歳)、実業家(73.2)、政治家(72.8)、医師・医学者、大学教授(67.7)、俳人(67.6)、歌人(66.9)、芸術家(64.7)、小説家(63.0)、詩人(57.7)。(1979年の資料。職業全体の平均寿命は68.6歳)

















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