21 選択
シュネーベルク捕縛の報せから、二か月。
亡き王子一派の残党による王太子暗殺未遂事件、そして長年王太子の片腕として政務を担ってきた宰相の失脚。
それは貴族達にとっても衝撃だったらしく、王城内は連日騒がしかった。
だが、その騒動以上に人々を驚かせたのは、レイノルドの決定だった。
「エドゼル派残党、およびシュネーベルク元宰相への死刑執行は見送る」
王太子自らそう宣言したのである。
当然、反発は大きかった。
エドゼル派残党は改造魔獣で王太子を襲わせた連中。
シュネーベルクはリーゼロッタ暗殺を企て、王位継承争いを混乱させた張本人。
極刑こそ当然だと、多くの貴族達は声を荒げた。
だが、レイノルドはそれを退けた。
『憎しみで国は守れない』
彼はたった一言、それだけを静かに告げたという――――。
私は窓辺に立ちながら、小さく息を吐いた。
王都を吹き抜ける風が少しだけ柔らいできたような気がする。
(もしかして、長かった冬が終わろうとしているのかもしれないな)
レイノルドは過去に囚われたままではなく、復讐だけに生きるのでもなく。
まさしく自分自身の意思で前へ進もうとしていた。
◇◇◇◇◇
「――――王太子殿下がお呼びです」
数日後。
再び王城への召集がかかった。
マクシミリアンと共に長い回廊を歩きながら、私はそっと隣を見上げてみる。
彼は相変わらず無表情だったが、いつも以上に表情が硬い。
「もうそんなに警戒しなくてもいいと思うぞ?」
「別に警戒なんてしていません」
「いや、してるだろ」
「気のせいです」
彼が憮然とそう答えるので、私は苦笑した。
(まあ、今までが今までだからな。またレイノルド様から無理難題を押し付けられたら困るとでも、思っているのだろう)
そんなことを考えているうちに、執務室の前まで来る。
衛兵に通され、二人で中へ入った。
「来たか」
こちらを振り返ったレイノルドの顔を見て、私は軽く目を見張る。
以前の顔つきとはあきらかに異なっていた。
もちろん表情はまだ硬いし、冷たい雰囲気も完全には消えてはいない。
だが、今の彼からはあの頃のような刺々しさが薄れているような気がした。
「今日は呼び立てて、悪かったな」
その言葉を聞き、マクシミリアンと私は思わず顔を見合わせる。
(あのレイノルド様が謝った?)
しかも、ごく自然な口調で。
「私達を召集されたということは、何かあったのでしょうか?」
マクシミリアンがそう尋ねると、レイノルドは机の上に置かれた書類を静かに閉じた。
「いや。ただ、お前達にはあらためて礼を言っておこうと思ってな」
「・・・・・・礼ですか」
「ああ」
蒼穹のような青い瞳がまっすぐこちらに向けられる。
「シュネーベルクの件だ。お前達が動かなければ、私は今も真実を知らずにいた」
その声音はとても穏やかで、以前のような威圧感はない。
「・・・・・・感謝する」
マクシミリアンがわずかに目を見開く。
レイノルドがこんなふうに自分の感情を素直に言葉にしたことに、私も驚いていた。
そして、形のよい眉がわずかに下がる。
「それと、マクシミリアン・・・・・・今まで、悪かった」
その言葉を聞いた途端、マクシミリアンは驚きで完全に固まってしまった。
「私が王室魔法騎士団を憎んでいた理由は、もう知っているだろう?」
「・・・・・・はい」
「だが、あれはシュネーベルクの嘘だった」
レイノルドは静かに目を伏せる。
「王室魔法騎士団が最も王家に忠誠を尽くしてくれているにも関わらず、私は長い間、お前達へ八つ当たりをしていたようなものだ」
一瞬、マクシミリアンは何か言おうとしたが、結局、何も言わずに深々と頭を下げた。
「いいえ。我々も殿下をお救いできませんでしたから」
レイノルドは小さく首を振る。
「いや。お前達は私を救ってくれた」
執務室に穏やかな沈黙が落ちる。
窓から差し込む光は柔らかく、温かい春の匂いがした。
ようやく長い冬が終わりを告げた。
◇◇◇◇◇
やがて話が一段落し、私達が退出しようとした時だった。
ふと、レイノルドが私を呼び止める。
「リズ、このあと少し残ってくれないか」
マクシミリアンに視線を向けると、彼が無表情ながらも小さく頷く。
(なんだろう?)
「承知しました」
私がそう答えると、マクシミリアンは一礼して先に部屋を出て行く。
扉が閉まり、二人きりになった室内は不思議なほど静かだった。
レイノルドはしばらく黙っていたが、おもむろに椅子を立ち上がり、私の前までやって来る。
そして、ぽつりと呟いた。
「やはり、そうだったんですね」
「何がです?」
「あなたはリーゼ姉様なんですよね」
その確信めいた言葉に、私は目を瞬かせる。
(ああ、とうとう誤魔化しきれなくなったか・・・・・・)
しかし、不思議ともう隠す気にもなれなかった。
「ええ、そうです」
私が静かにそう認めると、レイノルドは「やっぱり」と言って、小さく笑う。
「ずっと、心のどこかでそうじゃないかと思っていました」
「いつからですか?」
「三重詠唱を見た時・・・・・・いや、初めて会った時からですかね」
彼がふっと口元を綻ばせる。
「容姿は全く違うのに、でもよく見ると、全部同じなんです。私を見つめる目も、魔法を使う姿時も、あと説教をする表情も」
「説教って・・・・・・」
「狩りの時、従者を庇ったでしょう? よくよく考えると、姉様は昔からああいう方でした。あと、この間シュネーベルクの件で私が取り乱してしまったのを叱れられた時、間違いないと確信しました」
レイノルドが苦笑する。
彼に懐かしい呼び方をされ、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「・・・・・・リーゼ姉様にずっと謝りたいと思っていました」
「どうしてレイノルド様が謝るんですか?」
形のよい眉が苦し気に寄せられる。
「だって、もし、私の誕生日祝いに来なければ・・・・・・姉様は死なずに済んだはずだから」
私は目を細める。
ああ、この子は私の死をずっと背負っていたのか。
「でも、そんなの神様じゃないと分からないでしょう?」
そう言って肩を竦めてみせると、レイノルドが僅かに顔を歪める。
「そもそも、あの日レイノルド様に会いに行ったことを後悔したことなんて、一度もありませんから」
その瞬間、青い瞳が涙で潤む。
少し迷うような沈黙のあと、彼は恐る恐る言った。
「・・・・・・リーゼ姉様、少しだけ抱きしめさせてもらってもいいですか」
「ええ、もちろん」
私がそう言って微笑んだ次の瞬間、レイノルドは壊れ物へ触れるみたいに、そっと抱きしめてきた。
背中にぎこちなく回された腕が、かすかに震えているのが分かる。
不意に、レイノルドが「ああ」と、小さく息を漏らした。
「姉様の匂いがする・・・・・・」
その言葉に、私は思わず吹き出しそうになる。
「何ですか、それは?」
「爽やかなのに少し甘いような・・・・・・私がずっと忘れられなかった匂いです」
彼がそう言って嬉しそうに笑う。
その笑顔が幼い頃のそれと全く同じで、なんだが胸が一杯になる。
レイノルドは肩口に顔を埋めながら、しばし私を抱きしめ続けた。
「・・・・・・レイノルド殿下、もう大丈夫ですよ」
途中、なんだか照れ臭くなり、私は目の前の背をそっと叩いた。
すると、彼は名残惜しそうにしながらも、ようやく私から離れる。
「リーゼ姉様・・・・・・いや、リズ」
「何ですか」
「また私と会ってくれますか」
澄み渡った空のような青い目が、どこか縋るように私を見つめてくる。
(そういえば、幼い頃のレイノルド様もよくこんな目で『リーゼ姉様、また遊んでね』と言っていたな)
「もちろんですよ」
私が笑顔でそう答えると、レイノルドは目を輝かせた。
(しかし、従兄弟とはいえこんなに美しい青年に至近距離で見つめられるのは、どうも心臓に悪い・・・・・・)
私は内心そんなことを思いながら、しばらの間、二人で懐かしい思い出話に花を咲かせた。
◇◇◇◇◇
王城を出ると、すでに日が沈みかけていた。
西の空は茜色に染まり、白亜の城壁には長い影が落ちている。
昼間は威圧的にすら見えるハルデンベルグ城も、この時間になるとどこか静かで、少しだけ寂しげだった。
(思ったより長居してしまったな)
私は小さく息を吐きながら、石畳の道へ足を向ける。
その時だった。
「随分と長かったんですね」
聞き慣れた低い声がして、振り返る。
馬車の傍らに、腕を組んだマクシミリアンが立っていた。
夕陽を背にしたその姿は妙に絵になっていたが、肝心の表情はどこか憮然としている。
「マクシミリアン、もしかして待っていてくれたのか?」
思わず駆け寄ると、彼はわずかに視線を逸らす。
「別に、待ってなんかいません」
「いや待ってるだろ、それは!」
私がそう指摘しても、彼はなぜか目を合わせてくれない。
(なんだろう、すごく機嫌が悪い気がする・・・・・・)
夕風が吹き抜け、彼のまっすぐな黒髪をさらさらと揺らしていく。
しかし、その横顔は未だ硬いまま。
「何かあったのか?」
「・・・・・・別になにもありません」
「でも、『別に』の顔じゃないぞ?」
そう言いながら彼の顔を下から覗き込むと、形のよい眉が、ぐっと寄せられる。
「俺は・・・・・・」
「うん?」
「俺は、たとえ相手が王太子殿下でも、譲るつもりはありませんから!」
マクシミリアンがどこか真剣な表情で言う。
私はぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「どういう意味だ?」
「ですから、俺はっ・・・・・・」
マクシミリアンは何かを言いかけたが、結局そのまま口を噤んでしまう。
見ると、その耳だけがじわじわと赤くなっているのに気づく。
(ああ、そうか・・・・・・マクシミリアンは私のことを・・・・・・)
その時になって、私はようやく得心した。
と、同時に、心の内側を柔らかい羽でそっと撫でられたような心地になる。
私は少しだけ考えてから、口を開いた。
「・・・・・・なあ、マクシミリアン」
「何ですか」
「あっ、いや・・・・・・一応言っておくが、私にとってレイノルド様は弟みたいな方だからな?」
その瞬間、マクシミリアンが深く息を吐いた。
「分かっています」
「ん?」
「あなたが殿下を大切に思っていることも、殿下があなたを慕っていることも分かっていますから」
彼の口元が自嘲気味に歪む。
「ただ・・・・・・思っていた以上に、俺に余裕がなかっただけです」
夕陽が彼の横顔を淡く染めあげている。
その表情は、普段の騎士団長らしい隙のないものではなかった。
どこか困ったようで、少し情けなくて。
そして、どうしようもなく人間らしかった。
(あの、マクシミリアンがな・・・・・・)
彼はいつだって冷静だった。
感情より責務を優先して、自分を律することに慣れている男だ。
そんな彼が、こんなふうに不器用な本音を零すなんて思ってもみなかった。
「・・・・・・なんというか、お前、思っていたよりずっと人間味があったんだな」
「それ、褒めていませんよね?」
「いや、割と褒めてるつもりだが」
私の言葉に、マクシミリアンが微妙に納得いかなそうな顔をする。
その表情がどこかおかしくて、つい吹き出してしまう。
すると、彼もつられたように仕方がなさそうな笑みを浮かべる。
(すごく不思議な気分だ・・・・・・あの幼かった見習い騎士とこんなふうに笑い合う日が来るなんて)
昔の私なら想像もしなかった。
だが、悪くはないと思った。
「じゃあ、帰るか」
私がそう言って歩き出そうとした、その時だった。
不意に、後ろから腕を引かれる。
「え・・・・・・」
次の瞬間、背中に温かな体温が触れる。
驚いて肩越しに振り返ると、マクシミリアンは私を抱きしめたまま、低い声で言う。
「少しだけです」
その声音は、驚くほど静かだった。
「・・・・・・少しだけ今ここにあなたがいることを、俺に実感させてください」
抱きしめる腕に全く力はない。
振り払おうと思えば、いつでも簡単に振り払える程度のものだった。
だから、かえって私は動けなくなる。
いいとも悪いとも何も答えることができないまま、私はただ逞しい腕の中でじっとしていた。
日暮れを告げる鐘の音が、どこか遠くでかすかに鳴り響いていた。




