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20/22

20 崩壊




 空は、錆びた鉄のような鉛色をしていた。

 王城へ向かう馬車の窓から外を見つめながら、私は膝の上でそっと拳を握る。

 王都ブエステルの街並みは今日も変わらず整然としているのに、世界そのものがどこか色を失ってしまったように見えた。

 隣に座るマクシミリアンもまた、ほとんど口を開かない。

 

 昨夜、シュネーベルクの口から語られた真実はあまりにも重く、そして残酷だった。


 14年前。

 リーゼロッタ・レーヴェンシュタインを殺したのは、エドゼル派ではなかった。

 全ては、シュネーベルクの仕組んだ策略だったのだ。

 レイノルドを孤独にし、復讐者へ変え、情を捨てた絶対的な王に育て上げるための。


(レイノルド様はシュネーベルクによって生き方を変えられてしまった)


 胸がひどく痛む。


 優しかったあの少年は、最初から冷酷だったわけではない。

 大切な人を奪われ、信じていたものを壊され。

 その怒りと悲しみを利用され続けた結果、今の姿になってしまった。


 馬車がゆっくりと止まる。


「着きました」


 御者の声に、私は静かに息を吐いた。


(だが、逃げるわけにはいかない――――)


 たとえどれほど残酷でも、真実を伝えなければならない。



◇◇◇◇◇



 王太子執務室には、張り詰めた静寂で満ちていた。

 

 重い扉の奥、高い天井と壁一面の本棚に囲まれた空間に、大きな窓から薄曇りの光が淡く差し込んでいる。

 その中央で、レイノルドは執務机に腰を下ろしていた。

 感情を削ぎ落としたような横顔で書類へ視線を落としている。

 

 銀色の髪は今日も隙なく整えられ、表情も変わらない。

 だが、その姿はどこか酷く疲れて見えた。


「王室魔法騎士団団長、マクシミリアン・ダウンベール。ご命令の件で、ご報告に参りました」


 マクシミリアンが跪いたので、私もそれに続く。


「・・・・・・顔を上げろ」


 低い声。

 レイノルドは手元の羽ペンを置くと、こちらを見た。


「今日は何の用だ」


 その青い瞳を見た瞬間、胸が締めつけられる。


 昔、あの瞳はもっと柔らかかった。

 本を抱えて笑っていた、小さな少年。

 庭で蝶を逃がしてやっていた、優しい子供。

 それが今は、氷のように冷えている。


 私は視線を伏せた。

 マクシミリアンが静かに口を開く。


「魔獣襲撃事件に関する件ですが・・・・・・」

「あれは、すでにエドゼル派残党の仕業ということで解決したはずだが」


 レイノルドが淡々と言う。


「まあ、奴らとしては復讐のつもりだったのかもしれないがな」


 低く付け加えられた言葉に、空気が重く沈む。

 マクシミリアンは少しだけ間を置き、それから続けた。


「・・・・・・今回、我々はそれに伴い別件についても調査を進めておりました」

「別件だと?」


 レイノルドの眉がわずかに動く。


「リーゼロッタ・レーヴェンシュタイン暗殺事件です」

 

 その言葉が出た瞬間、レイノルドの視線がぴたりと止まる。

 張り詰めた空気が室内を覆い、窓の外では木枯らしが硝子をカタカタと震わせていた。


 レイノルドは微動だにせず、しばし凍りついたような目でマクシミリアンを見ていた。


「・・・・・・なぜ、今さらその話をする」


 彼はようやくそう口にした。

 マクシミリアンはまっぐすに彼を見据える。


「真犯人が判明したからです」


 レイノルドの指先がぴくりと震える。

 

「真犯人だと?」

「はい」

「・・・・・・誰だ?」


 それは喉を無理やり震わせて出したような掠れた声だった。


「シュネーベルク宰相です」


 その瞬間、蒼穹のような青い瞳がみたこともないほど大きく見開かれる。

 レイノルドは何も言わなかった。

 ただ、信じられないものを見るように、マクシミリアンの顔をじっと眺める。

 まるで言葉の意味そのものを理解できないかのように。


「・・・・・・は? 何を言ってる」


 やがて零れ落ちた声は、驚愕というより、崩れかけた呼吸に近かった。


「シュネーベルクが、犯人だって・・・・・・?」

「はい」

 

 マクシミリアンは、昨夜起きた出来事を一つずつ静かに語っていった。


 不自然に改竄された様々な記録。

 リーゼロッタの登城情報を外部に漏らした事実。

 そして、シュネーベルク本人による自白。


 何一つ隠さず、淡々と。

 感情を挟むことなく告げられる真実だけが、静かな執務室へ重く積み上がっていく。


 レイノルドは最初、黙ったまま聞いていた。

 机に肘をつき、微動だにせず。


 ――――だが。


「嘘だ」


 低くそう呟かれた直後、彼は勢いよく立ち上がった。


「そんなはずがない、シュネーベルクがそんなことを・・・・・・!」


 彼の拳が、激しい音を立てて机を叩く。

 その拍子にインク壺からインクが零れ、書類が床に散乱する。


 青い瞳が激しく揺れていた。

 怒りではない。

 信じていた世界が崩れ落ちてしまった人間の、悲鳴のような動揺だった。


「シュネーベルクは・・・・・・いつだって私のために動いていた!」

「その通りです」


 マクシミリアンは苦しげに目を伏せた。

 その横顔には、レイノルドを追い詰めている痛みと、それでも真実を告げなければならない覚悟が感じられる。


「ですが、奴は殿下を欺いておりました」

「黙れっ!!」


 大きな怒鳴り声が、執務室を震わせる。

 鋭く張り詰めた声音に、私は思わず肩を揺らす。


 レイノルドは机へ手をついたまま、荒い呼吸を繰り返す。

 胸が激しく上下し、先ほどから視線が定まらない。


「・・・・・・違う、絶対に違う・・・・・・」


 掠れきった声でそう呟き、彼は何度も首を振った。

 まるで現実そのものを拒絶するかのように。


「エドゼルがリーゼ姉様を殺したんだ、奴が私の大切な人を・・・・・・」


 その言葉は、こちらへ向けられたものではない。

 むしろ、自分自身へ言い聞かせる呪文のようだった。


「だから、私はシュネーベルクに命じたんだ、兄上を・・・・・・」


 そこで、言葉が途切れる。


 レイノルドの顔から、完全に血の気が引いていた。

 青白くなった唇が、かすかに震えている。


 ――――兄上を殺せと。

 

 きっと、その続きが喉の奥に引っかかっているのだろう。

 認めてしまえば、自分が犯した罪をはっきりと理解してしまうから。


 レイノルドの身体が左右に揺れる。

 すでに立っていることすら難しいようだったに。


「・・・・・・違う、違う」


 彼が弱々しい声で言う。

 しかし、否定を繰り返すごとに言葉の力は失われていく。

 崩れ落ちる世界を支えるために吐かれる言葉は、もう自分自身さえも騙せなくなっていた。

 

 シュネーベルクは言っていた。

 リーゼロッタの死は必要だったのだと。

 あの事件こそが、レイノルドを「絶対的で完璧な王」へ変えるために必要な犠牲だったのだと。


 そして――――。


 レイノルドは、その言葉通りに変わってしまった。

 兄達を憎み、情を切り捨て。

 粛清という名の血を重ねながら、冷酷な道を進み続けた。

 誰にも弱さを見せず、ただ怒りだけを燃やしながら。


 けれど、その始まりは全て「嘘」だった。


 レイノルドは一歩、ゆっくりと後退った。

 信じていた世界が足元から崩れていくように。

 やがて力を失ったように椅子へ崩れ落ちる。


「私は・・・・・・私は、一体何をした・・・・・・」


 彼が今にも消えてしまいそうな声で呟く。


「私は・・・・・・自分の兄を・・・・・・」


 レイノルドの手が細かに震えている。

 その指先は青白く、必死に何かへ縋るように握り締められていた。

 

 思わず、息を呑む。

 この人が、こんなにも弱々しい表情を浮かべるのを見たのは初めてだった。

 他者を寄せ付けないほど鋭く、決して揺らがないように見えた人が、今はまるで帰る場所を見失った子供のように見える。


「ずっと・・・・・・リーゼ姉様のためだと思っていた。姉様を殺した者達への復讐だと・・・・・・」


 ぽつり、と零れ落ちる。


「自分が弱いせいで、力がないから姉様が死んだのだとずっと思ってた・・・・・・だからこそ、どんなことをしても力が欲しかった。今度こそ自分の手で大切な人を守れるように・・・・・・そう生きることが彼女に報いる唯一の道だと思っていたのに・・・・・・」


 その声を聞いた瞬間、胸の奥が強く締めつけられた。


(ああ、レイノルド様は本当にずっと苦しみ続けていたのだ!)


 怒りを抱え続けなければ、生きてこられなかった。

 復讐だけを支えにし、権力の階段を登り続けてきたのだ。

 それが唯一の道だと信じて。

 だからこそ、真実はあまりにも残酷だった。


 私は静かに息を吸う。

 そして震える彼の前へ、一歩ゆっくり踏み出した。


「レイノルド殿下」


 静かにその名を呼ぶと、彼がゆっくり顔を上げる。

 青い瞳は、酷く傷ついていた。

 誇りも冷酷さも、もうそこにはなかった。

 ただ、自分が信じてきたものを失った人間の痛みだけが滲んでいる。


「私は・・・・・・」


 彼は掠れた声で呟く。


「私は、取り返しのつかないことをした」


 その声音は、罪を認める囚人のようだった。

 自分自身へ絶望しきった、諦めの声。

 その顔を見た瞬間、私は彼を叱るように言葉を返していた。


「だから、何です!」


 レイノルドが驚いたように、軽く目を見張る。

 まさか私がそんな反応をするとは思っていなかったのだろう。


「間違えたなら、今からやり直せばいいでしょう? 人は間違えます。失敗だってする。取り返しのつかないことだってある。でも、それで終わりではありません」


 私は、はっきりした声でそう告げる。

 レイノルドに逃げ道を与えないように、まっすぐに彼を見据えながら。

 けれど、突き放さないように。

 

「あなたは昔、優しい人だったでしょう?」


 その瞬間、彼の表情が凍りつく。

 私はそれに気づきながら続けた。


「私はそのことをちゃんと知っています」


 庭で蜘蛛の巣に引っかかった蝶を、そっと助けていたこと。

 失敗して泣いていた使用人を、一生懸命慰めていたこと。

 本を抱えながら「リーゼ姉様、これ読んで」と、嬉しそうに私のところへ走ってきた無邪気な彼のことを。

 全部。

 本当に、全部覚えている。


「今のあなたがどれほど冷たい顔をしていても、本当は違うのだと。だから、きっとやり直せるはずです」


 レイノルドは強く唇を噛みしめた。

 青い瞳が苦しげに歪む。


「だからといって、私が犯した罪が消えるわけではない。私は絶対に許されないことをしてしまった・・・・・・」

「それでもです!」


 私は彼の言葉を遮るように、強い口調で言い切る。


「それでも、殿下は前に進むしかありません。このまま立ち止まるわけにはいかないのです。なぜなら、あなたはこの国の王になるお方だから。どうか御心を強くお持ちくださいませ!」


 私はレイノルドの顔をまっすぐ見つめながらそう言い放つ。

 彼が死ぬほど後悔しているのは痛いほど分かっていた。

 けれど、未来の王にとって必要なのは、その場限りの安い慰めの言葉などではない。


 室内に長い沈黙が落ちる。

 窓の外で風が鳴る音だけが、静かな執務室に響きわたる。

 

 やがて、レイノルドはゆっくりと両手で顔を覆う。

 その肩は小さく震えていた。


「ああ、そうだな・・・・・・全部、お前の言う通りだ。こんなことで、挫けるべきではない・・・・・・」

 

 そして、ぽたり、ぽたりと。

 指の隙間から、一粒、また一粒と透明な雫が落ちていく。

 

 レイノルドは声も上げずに泣いていた。

 ただ静かに。

 まるで壊れてしまった子供のように、ひたすら涙を零し続ける。


「わ、分かっている・・・・・・分かっているさ・・・・・・」


 それは後悔と苦しみが滲む声だった。

 怒りだけで人生を歩いてきた人間が、初めて自分の意志で立ち止まった瞬間だった。


 その姿はもう、氷の王子などではない。

 ただ、大切なものを失い続けながら、ずっと一人で泣けなかった愚かなほどまっすぐな青年だった。

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