翻訳
翌日、アラストルから「何の嫌がらせだ!」とだけ書かれた手紙が届いた。
やっぱり勝手に翻訳されていたらしい。いや、現在進行形でそれがある。
「ちょっと魔女に苦情言ってくる」
「無駄ですからやめなさい」
「でも……」
「お前が今ここで不自由なく生活しているのはそのおかげでは?」
そりゃそうだけどさ……。
「読めるのに書けないなんて、小学生の漢字テストみたいな展開嫌」
「カンジ? 日ノ本人が使う?」
「え? 漢字使うの?」
「ええ、お前の言うヒラガナやカタカナは使いませんが」
ってことは漢文だろうか?
「森羅ではどんな文字を使うの?」
「主にカンジですね。ウラーノはそう言ったものが得意ですよ。後はデルタの絵文字が」
「絵文字?」
「ええ、デルタでは簡略された記号のような絵を文字として使います」
私には理解できない領域に入ろうとしている。
「こっちも国によって文字は違うんだ」
「ええ、後は若干の訛りがありますが話し言葉は大体どの国も一緒ですね」
「それは便利」
「ええ、契約書を偽造したりそういうときには重宝します」
それはどうかと思う。
「あんた、ろくな死に方しないよ」
「お褒め頂き光栄です」
クレッシェンテでは「ろくな死に方をしない」というのは誉め言葉だったらしい。
「で、私はスペードに文字を書いて見せて、それからスペードに書いてもらうというかなりめんどくさい方法を取らなきゃ文字が書けないんですけど?」
「法則さえ覚えれば簡単ですよ」
「あのね、私は声楽以外音楽の知識は皆無なの。楽譜の読み方なんて知らない」
「仕方ないでしょう? 言葉は全て歌なんですから」
もしかすると、話したり聞いている言葉も勝手に翻訳されているのかもしれない。
「言葉は歌?」
「ええ、音があり、旋律がある。立派な音楽です。こういったことはメディシナ・ディプロンが得意かもしれませんね。彼はシエスタ出身ですから」
「なんで?」
「シエスタは歌劇で有名ですから」
スペードは紙に何やら書きながら言う。
「読んでみてください」
「クレッシェンテ」
「では、書いてください」
言われるままに、カタカナで書く。
「やはり違います」
そして、もう一度スペードの文字と並べる。
「なんでこんな楽譜になるの?」
「知りませんよ」
「文字が楽譜とかありえないんだけど」
昔の作曲家が遊びで使ったってことは聞いたことあるけど、やっぱりありえない。
「おそらくは他国の人間に読まれないようにと言うことでしょうね」
「へぇ」
「仮にも犯罪者が集う国ですから」
「まぁ、納得できるけど」
それにしてもいちいち五線を引かなきゃいけないのも記号が三種類あったりとか調号とかめんどくさい。
「どの文章も三種類の始め方があります」
「はぁい」
「少し複雑にしたいときにダブルフラットやダブルシャープを利用します」
おそらくは私の知っている言葉に訳されている。
「訳せないもの、特殊なもの以外は訳されてるっぽい」
「もう、それは利用しなさい」
「うん」
これはあの魔女の好意だろうか、嫌がらせだろうか。
もうどっちでもいい。
「ついでに訊きます。お前の国でこれは何と呼ぶんですか?」
「ハ音記号とかアルト記号って呼ぶけど」
「こっちは?」
「ト音記号とかソプラノ記号だったかな? 一般的にはト音記号」
「いろいろ呼び方があるんですね」
「私も驚きだよ。ついでに言うけど楽譜読めないから」
「は?」
「耳で覚えるから楽譜読めない」
音楽の座学なんて寝てたし。キョーミないから。
テスト取れてたのが不思議だった。
「で? とりあえずスペードの名前と、アラストルの名前と、セシリオの名前とジルの名前は書けるようにしておきたい」
「何故です?」
「迷子対策」
「は?」
「保護者の名前を書けば何とかなるかもしれない」
読むのは出来るんだし。
「あと、勝手に契約書にサインできる」
「命知らずですね」
「冗談に決まってるじゃん」
スペードのくせに冗談通じないとかありえないし。
「手紙の宛名くらい自分で書きたいよね、ってはなし」
「ふぅん」
「ほら、差出人の住所はスペードの家って書けば良いんでしょ?」
「お馬鹿さん。住所なんて書きませんよ」
「え?」
「名前で届きます。クレッシェンテの郵便配達員は世界一優秀ですから」
スペードは笑う。
「じゃあ、自分と相手の名前だけ?」
「大抵は相手の名前しか書きません。名前すら書かずに紋章だけということもあります」
「へぇ、すごいんだ」
「ええ、郵便配達員は生まれた時から特殊な訓練を受けていると訊きます。凡人にはなれません」
「魔術師は?」
「生まれ持った才能だけではなれません。それなりの努力と経験が必要です」
「じゃあスペードにも修業時代があったんだ」
「師匠がいれば弟子の期間もあるでしょうが。お馬鹿さん」
それもそうだ。
「あー、就活嫌だ」
「は?」
「一気に気が重くなった」
「そうですか?」
「だって、文字書けないんだよ? 履歴書書けないじゃん」
「リレキショ?」
「どこで何を学んでどう生きてきたかとか、趣味とか特技とか書く書類」
「何に使うんですか?」
「そりゃ就活……って履歴書ない?」
「そんな個人情報をオープンにしてどうするつもりですか?」
「だよね」
ここがどういう国か忘れるところだった。
「スペード、文字の続きお願い」
「はい。まったく……辞書も使えないとは……」
スペードは深いため息を吐いた。
「ん?」
「なに?」
「良いものがありました」
「いいもの?」
「ここで待っていなさい」
突然スペードは部屋を出ていく。
一体どうしたのだろう?
そう思って戸のほうを見ると、すぐにスペードは戻ってきた。
「これを」
「眼鏡?」
「真実のレンズです」
「真実のレンズ?」
スペードに渡された眼鏡はフレームがない。
「このレンズはいかなる魔術も無効にします。つまり、翻訳されていない文字が見えます」
「あー、つまり、本を開いて、眼鏡を掛けたり外したりして自力で勉強しろと?」
「そういうことです」
つまりは面倒なことから逃れたかったんだ。
「それは差し上げます。が、貴重なものなので無くしたり壊したりはしないように」
「善処します」
貴重なものって言われたって実感がわかない。
異邦人に解かれって言う方が無理だ。
「では、頑張ってください」
「はぁい」
しばらく独学が続きそうだ。
だけども、レンズ越しで見ると、スペードの印象もどこか違って見える気がする。
きっとこのレンズが無効にするのは魔術だけではないんだ。
なんとなく、そう感じた。