屍の僕
「カトラスじゃない」
女が声を掛けてきた。
「待ちなさいよ。そんないかにも高級そうな馬車に乗ってどこに行くつもり?」
スペードはうんざりした様子で外の女を見た。
凄い。馬車の速度に息を乱すことなく追いついてる。
まるで彼女の足元の地面の方が動いているみたいだ。
「折角の旅行を邪魔しないでください。アリエッタ」
口ぶりは親しそう。
でも、スペードはうんざりしている。
「旅行?」
「ええ、僕は今、このお嬢さんと旅行を楽しんでいたところです」
スペードは私を抱きしめ、膝に座らせた。
そして耳元で「一言も口を利くな」と念を押した。
「恋人かい?」
「まぁ、そんなところですよ」
「ふぅん。珍しいこともあるもんだ。明日はきっと雹が降るね。いや、今夜は大当たりかしら?」
アリエッタと言う彼女は袖からタロッキを取り出し弄んでいる。
「んー、今日はカメーリアにしようかしら」
「それはいい。あそこは大当たりに違いありません」
スペードは笑う。
けど、目が笑ってない。
怖い。
そういえばこの人も十分怖い人だった。
思わず震えれば優しい手つきで頭を撫でられる。
同じ空間に居るはずのジルもセシリオも大人しい。
それに彼女は二人に気付いていない様子だった。
「当たったら今度奢ってあげるわ」
「楽しみにしています」
本気の彼女に対して社交辞令のスペード。
けど、彼女はすごい速さで馬車を離れて行く。
よく見れば足元がジェット機みたいになっていた。
「え? 何あの人」
「火系魔力を持った勝負師です」
「勝負師?」
「主に賭け事ですが、なんでもしますよ。彼女は。勝負になれば何でも」
スペードは溜息を吐きながら私をぎゅっと抱きしめる。
「さっさと離れなよ」
ジルが不機嫌そうに言う。
「さっきのは何だったんです?」
セシリオはただ疑問をぶつけた。
「僕とこの子以外を彼女からは見えないように幻影で隠しました。彼女は幻影を使っても見破れないので」
それもどうなんだ?
まぁ良いけどさ。
ジルが鞘の先っぽでスペードをつついているけど、スペードが私を離す気配はない。
これって意地の張り合い?
「……アラストル、王都まであとどのくらい?」
「もうすぐ着く。門が見えた」
窓の外をのぞいても、ちっとも見えない。
どんな視力をしてるんだよ。この三十路は。
「僕にとってはどうでもいいのですがね。アリエッタは邪魔にしかならない」
「え?」
「いえ、彼女の情報は金にはなるがあの性格では邪魔だ」
「仲悪いの?」
「別に。よくも悪くもないただの知人です」
スペードは溜息を吐く。
馬車の動きがゆったりになる。
「王都だ。どこに向かう?」
「僕は一刻も早く朔夜の顔が見たい」
「なら、聖堂前で停めるか」
アラストル、気が利き過ぎ。
「俺も玻璃が拗ねてないか顔を見ておきたい」
「ふーん」
やっぱアラストルと玻璃ってそう言う関係なのかな?
「私も玻璃に会いたい。可愛い女の子が足りない」
美人さんには会ったけどやっぱり可愛い子がいい。
「僕は一度報告に戻るよ」
大聖堂前の噴水。見慣れた場所で馬車が停まる。
「明日の夜にここに集合でいいか?」
「そんなすぐに行くの?」
「さっさと終わらせたいだろ? それに、そんなに長く休暇は取れねぇからな」
アラストルが馬を飛び降りて馬車の戸を開けた。
「ほら、さっさと馬鹿でかいウサギをあいつに届けてやれ」
「うん」
「……まさかもうひとつを僕に持てとは言いませんよね?」
スペードは嫌そうな顔で私を見る。
「え? 持ってくれるでしょ? ロート紳士のスペードさん」
「……セシリオ、あなたの養女でしょう? 持ってあげたらどうです?」
「おや? スペードを指名したんですよ? 彼女は」
おいおい。
冗談も通じないのか。
「ジル、お願い」
「悪いけど、僕はすぐに報告があるんだ。マングスタに頼みなよ」
「結局俺かぁ……まぁいいけどよ」
アラストルめっちゃいい人だ。
知ってたけど。
「お前の分は俺が持つから玻璃の土産はお前が持ってけ」
「え? いいの?」
「お前があいつの為に選んだんだろ?」
そう言ってくしゃくしゃと頭を撫でる彼は本当に良い兄ちゃんだ。
「ゴメン、三十路とか言ってゴメン。兄貴」
「なんだよ。変な奴」
呆れ顔の彼は誰よりも先にいつもの酒場の戸を開けた。
「いらっしゃいませ。おや? おかえりなさい、マスター。玻璃様なら拗ねて眠っていますよ」
紫の店主が笑む。
「朔夜は?」
「朔夜なら……鬼の居ぬ間、いえ、マスターが居ぬ間の選択ならぬ大掃除を始めましたよ。居ない間にしないと邪魔だし昔の服をいつまでたっても着ない癖に取っておいて困るから今のうちにと」
「……僕の部屋に入ってはいけないとあれほど言っているのに! まったく……」
セシリオは階段を駆け上がっていく。
「なぁ、ディアーナの本部ってここなのか?」
アラストルが呆れ顔で効く。
「んー、ここから階段上がって一回中庭に出ていろいろぐるぐる行って道に迷ったら誰かの部屋に辿りつくような着かないような……」
「いい加減だな」
「だって行ったこと無いもん」
ここからは。
裏町の汚い店や廃墟が入り組んだ道のどれかを通れば彼らの家の正面玄関に着いたはずだけど、だれもが裏口から店を通って街に出るって聞いたな。
正面を使うのは仕事の時だけだって。
「玻璃呼んでくれる?」
「玻璃様、ですか? 起きていると良いのですが……」
店主は磨いていたグラスを棚に戻してカウンターを出て階段を上る。
店の裏の庭を歩いたかと思うともう見えなくなった。
「慣れて無かったら迷路だろうね」
「ああ」
多分彼らのほかはスペードくらいしか通れないのだろう。
「あの店主はいつから居るの?」
「彼ですか? ここ十年以内だったと思いますよ。玻璃の外見がそれほど変わらない時に居ますから」
スペードに時間の感覚が足りないことを忘れていた。
「それで、お前は今夜はどうするんです?」
「え?」
「家に戻りますか?」
家、というのはスペードの家のことだろう。
「他に宿無いしね」
スペードの家は高級感満載で居心地が良いとは言えないけど贅沢は言えない。
高級旅館に泊ってるんだと自己暗示を掛ければいい。
スペードを見れば微かに髪が乱れている。
珍しい。
やっぱり馬車でジルといろいろやりあっていたからかな?
なんて考えていると店主のものではないバタバタとした足音があった。
「先輩っ!」
「ぐえっ」
いきなり宙に抱きつかれた。
忘れてた。この馬鹿ここに居たんだ!!
「し、死ぬ……コスモス畑が見える……」
「す、すみません。嬉しくて……」
「きしょい。お前マジできしょい。無理。離れて、消えて」
苦手。
この馬鹿本当に苦手。
「私は玻璃に会いたくてここに来たの!!」
玻璃との再会を邪魔する奴はみんな敵だ!
「……おかえり?」
「ただいま?」
遅れてきた玻璃がきょとんと私たちを見た。
「アラストル!!」
玻璃は嬉しそうにウサギを抱えていたアラストルに飛びついたため、ウサギは吹っ飛び、アラストルは後ろに倒れ、危うく椅子の角に頭をぶつけそうになった。
「玻璃……離れろ! だから餓鬼だって言ってるんだよ」
「うるさい三十路。一人にしないでよ……遊びに行ったら空だった……」
寂しかったと全力で告げる姿が愛らしい。
けど、それ、私には言ってくれないんだ。
「悪かったな。ほら、あいつがお前に土産があるって」
「え?」
玻璃は目を輝かせて私を見る。
「あ、うん。これ」
デカイウサギを渡せば玻璃はよろける。
あ、非力。
じゃなくて。
「ありがとう」
「やっぱ可愛い子が持つと可愛いわ」
「不細工なお前が持っていたから不細工に見えたのですかね? この人形」
「悪かったね、不細工で」
ほんっと、スペードってなんなんだろう?
理解できない。
人の幸せ壊すの好きって言うか。
「帰りますよ。旅支度を見直す時間が要るでしょう?」
スペードが真面目くさった顔で言う。
そうだ、明日また、長い旅に戻るんだ。
「玻璃、またね」
「もう行っちゃうの?」
「うん。でも、またすぐ会いに来るよ」
「絶対ね」
赤い瞳に見つめられると一瞬ネレイドを思い出す。
けど、玻璃と彼はまったく違う。
「約束」
そう言って店を出ようとすれば店主が深々とお辞儀していた。
「ジャスパー、みてみてウサギ」
「良かったですね。お部屋まで運びましょうか?」
「うん。えっとね、えっとね、端に置こう。瑠璃に見つからない場所」
「……ええ。そうですね」
瑠璃には一瞬で見つかると思う。
それは言わないでおこう。
だって、店主の彼は玻璃の夢を壊さないことに一生懸命なのだから。