陰の従者
従者とは常に主の陰となり、声無く、形も無く傍にあるもの……。
そんなイメージだったけれど、あのカロンテという人は度を越している。
「おはようございます。お嬢様方」
まだ、真っ暗な部屋に、蝋燭の光が灯り、カロンテの微笑と紅茶の香りがあった。
「まだ暗い」
「ローザはいつでもこんなものです。時刻は朝でございます。ムゲットではもう二つ目の太陽が昇ろうとしている時刻でございます」
「へぇ……」
普段から二つ上りきった頃に起きる生活をしていたせいか、ものすごく眠い。
早起きさせられたことで、カロンテを恨む気分だ。
「セシリア、朝だって」
隣ですぅすぅと可愛らしい寝息を立てている、本当に女の子にしか見えない自称「パパ」であるセシリオに声を掛けるが起きる気配は無い。
「こら、暗殺者がそれで良いのか!」
耳元でそう言ってやっても効果は無い。
「おーきーてー」
着ているひらひらとしたパジャマ(プルトーネ提供)を引っ張ると、寝起きのスペードのような不機嫌な殺気が充満する。
「誰です? 僕の眠りを妨げるのは」
「素が出てるよ? セシリア」
正体ばれたらめんどくさいって言ってたのはだれだよ。
「……夕方まで寝かせてください。暑いのは嫌いなんです」
「ご安心ください。ローザでは一日中ほぼ同じ気温ですので、夏でも快適な涼しさを保っています。お嬢様、紅茶をどうぞ」
「あ、ありがとう」
カロンテは笑顔でセシリオの毛布を剥ぎ取り、私に紅茶をくれた。
「あ、なんか薔薇の匂いする」
「ええ、薔薇ですから」
「薔薇?」
「ええ、白いうちに摘まないと血の香りになってしまいますからね」
「え? 薔薇が?」
薔薇って最初から赤とか白とか種類あるんじゃないかな?
「ローザの薔薇は血を吸って赤く染まるんですよ。特にローザ伯は敵兵の串刺しがお好きだ。大方哀れなシエスタ兵かファントム兵の生き血を吸った薔薇でしょう」
「げっ……」
ちっとも美しくない。
「って、あの人が? 串刺しとか似合わない。むしろ芸術とかそういうのが好きそう。いや、文学かな? あの人は」
「おや、お嬢様は鋭いですね。プルトーネ様は戯曲や詩を好まれますし、物語もお好きですよ」
「やっぱり」
なんとなくそんな気がした。
「紅茶も美味しいし、食べ物も拘る人でしょ?」
「ええ、ですから皆様の朝食も張り切ってご用意されていますよ」
「え? ローザ伯が?」
「ええ、馳走とは主が自ら振舞うものだと昨夜は狩に出かけて鹿を仕留めていらっしゃいましたよ」
ってことは鹿が出される?
「鹿も居るんだ」
「ええ、熊も兎も居ますよ。珍しいところでは蛇魚も居ます。蛇魚は葡萄酒に漬けて一晩置いたあとにチーズを乗せて竈で一刻ほど焼くと美味しいですよ」
「へぇ」
名前的に凄く食べたくない。
「朝食の用意は出来ておりますので食堂までお越しください」
「はい」
カロンテは直ぐに部屋を出た。
きっと着替えとかそういうことに対する配慮だろう。
「気を使うこと無いのに」
「いや、貴女はもう少し気を使ってください」
「だって、脱がないもん」
「は?」
「スペードに教えてもらったんだ。早着替え魔法」
「は?」
教えてもらったと言うよりは何度か見て覚えたが正しいけど。
「普通は貴女みたいな若い女性がそんな古くて誰も使おうと考えないような魔法を使えるなんて考えもしませんよ」
「そう?」
一瞬で済むから遅刻しそうな時とかに便利な魔法だとは思うけど、宙が居る時は使えないという欠点がある。
「ってか宙からの開放感が幸せ」
「本人にそのまま伝えてあげましょうか?」
「大歓迎。それで少しは離れてくれると助かるんだけど」
「貴女の中に嫌われると言う結末は存在しないのですね?」
「うん。だって、私が既に嫌いだもん。あの二人」
思わず笑顔で言ってしまったが、あの手のかかる後輩二人は嫌いだ。
酷い時はストーカー化までしてくれる。本当に厄介だ。
「で? セシリアさんはどうするのかな?」
「外で待っていてもらえません? 私……恥ずかしいわ」
誰だよアンタ。
この変わり身。成程。これがウラーノやルシファーを落としたのか。
「それ、スペードにやってみたら?」
「考案者が彼ですが?」
「へぇ」
いや、そもそもなんでそうなったのかがものすごく気になるけど、セシリオの目は早く出て行けと告げている。
うん。そうする。
流石の私も恐怖の代名詞を敵に回す勇気は無かった。
広間に着くと、『朝食』が用意されていた。
「凄い……」
まるで晩餐だ。
「どうしたのだ?」
「こんな豪華な朝食初めて見ました」
スペードの家だとお粥だもん。
流石四百歳。胃腸が弱ってるんだとか本気で思ってたのに。
「スペードはかなり特殊な食生活を送っていますからね。食べているものも野菜や果物が中心でしょう?」
「うん」
「クレッシェンテの一般家庭ならアラストル・マングスタくらいが普通だと思いますよ」
「悪かったな。貧しい食生活で」
「いえ、朝食にサンドウィッチに新鮮なオレンジジュースが付くのはとても理想的だと思いますよ」
「なっ、何故知っている!」
「玻璃が戻ってきた時に嬉しそうに話していましたからね。しばらく我々の食事の水準が大幅に下がりましたよ」
そういえば、セシリオってアラストルが嫌いなんだっけ。
ちくちくと刺していく様子はねちっこい。
「ローザ伯、寝起きでよくこんなの食べれますね」
チーズたっぷりのなんだかリゾットみたいなのとか、鹿肉くさいチーズまみれの肉のなにかとかたくさんあって、もてなされているのは解るけど、胃に優しくない。
「そうか? 我輩は客人が来る時はいつもこうやってもてなすが……人間の口には合わぬか?」
「いえ、料理はとても美味しいです」
これがランチタイムなら食べれるんだけど……。
まだ体が起きてないからきつい……。
「お馬鹿さん。無理に食べようとする必要はありませんよ。食べれるものを食べれるだけ頂きなさい。最後に出されるお茶だけ残さずに飲めば礼儀としてはぎりぎりですが問題ありません」
「何そのぎりぎりって」
こっそり耳打ちしてくれるスペードだけど礼儀とかそういうこと一番嫌いそうなくせにやたら詳しいし。
「あ、そういえば伯爵の弟だっけ?」
「余計なことを思い出さないでください。ほら、スープを頂いたらどうです? 薄味で飲みやすいですよ」
「スペードって薄味好みだよね」
「素材の味がひき出ますからね」
アラストルは何にでもチーズぶっ掛けるからなぁ。
「あ、ジルは?」
「ユリウス様なら部屋で食事を取られていますよ。何でも、カトラス様と同席はしたくないとのことで」
やっぱり。
あの人我侭だからなぁ。
「ってかジルが食事って想像できない」
「そりゃねぇだろ。アイツだって人間だろ?」
「宮廷騎士は人間ではない。陛下と契約して不老を得る。最も、王が隠れた後も契約印さえあれば半永久的に持続するがな」
さすがぁ。伯爵は詳しいね。
「ローザ伯とか、伯爵の皆さんはどうなんですか?」
「まぁ、先祖が王家と契約しているからな。子孫も不老を得るが、不死ではない。最も、一族内で暗殺でも起きぬ限り死なないがな。我輩の兄弟はそれぞれ争いあって死んだからな。残ったのは我輩だけだ。ナルチーゾは平和だぞ。何せあの金髪の坊や一人きりだったからな。父上は戦で無くなった。あれほど平和な一族も珍しかろう」
ローザ伯はどこか楽しそうだ。
「カロンテ」
「はい」
「ナルチーゾに行かんか? たまにあれの顔を見るのも悪くない」
「お言葉ですが、今はそのような余裕は無いかと」
「そうだったな」
カロンテの言葉はどこか厳しい。それに今まで楽しそうだった伯爵が急に大人しくなる。
事態は深刻なのだろうか?
「カトラス」
「何です?」
「ムゲットの動きはどうだ? クォーレ嬢が暴れだしそうだと思ったが?」
「ああ、クォーレですか。彼女なら相変わらず首を追い掛け回していますよ」
「悪趣味だな」
「今更でしょう?」
また知らない名前だ。
一体誰だろう?
「ねぇ、クォーレって誰?」
スペードに聞く。
心臓なんて風変わりな名前はなんかスペードの仲間っぽいし。
「お前は知らなくていいことです。お前が会うことは無いでしょうから」
スペードは言う。
私に会わせたくない人か。
「ああ、スペードのコイビトか。そうだね。子連れだなんて思われたら大変だもんね。まぁ、スペードの場合パパって言うよりおじーちゃんかもしれないけど」
「なっ……」
慌てるってことは図星?
「おじいちゃんですか。似合いすぎですよ。スペード」
「セシリオ、からかわないでください。そんなわけ無いでしょう? あれと僕が合うはずが無い」
「そうなんですか? 私、会ったこと無いの。クォーレ・アリエッタ。噂程度にしか知らないわ」
うわっ、セシリオ完全に女モードだ。
「アラストル、知ってる?」
「んー、前にウチのボスが賭けでボロ負けした相手だ。赤い髪のめちゃくちゃ気の強い女だったって聞くな」
「ふぅん。ねぇ、美人だった?」
「は?」
赤毛か。きっと凄い美女なんだろうなぁ。
「ミカエラお姉さまとどっちが綺麗かな? あ、でもカルメンみたいな可愛いタイプかも」
「ウチのボスはリリムと玻璃以外の女は全員同じ顔だと言い切りやがったが?」
「へぇ、それは凄いね」
「だろ?」
ルシファーらしいけど。
「クォーレ嬢はあまりムゲットにはいかんからな。カメーリアやナルチーゾ、アザレーア、オルテーンシアを転々として荒稼ぎしてる賭師だ。ムゲットにはカトラスがいるから近づかんという噂だがな」
「へぇ」
つまり確実に儲けたい人なんだ。
「クォーレならこの子が戻る前日に一度オルソの酒場で会いましたよ。次はロートで荒稼ぎすると言っていましたが、メルクーリオにつまみ出されるでしょうね。あれは賭け事が嫌いですから」
領土で賭け事を始めようものなら建物ごと消滅させるような人らしい。
見かけによらず激しい。
「あれは拗ねてるだけだ。可愛い弟が立派な魔術師になると思ったらいつの間にか賭け事に溺れて里帰りもしなくなったからロートで賭け事を禁じるという掟を作り始めた。困ったものだ。たまにやるから楽しいのだが……近頃はタロッキを見せただけで睨まれる」
メルクーリオって……実はブラコンなんじゃないか?
「クレッシェンテ人ってきょうだい溺愛しすぎる人多いんだね」
「は?」
「ほら、瑠璃とかメルクーリオとか。あれ? アラストルもだっけ?」
「俺はあそこまで酷くねぇ」
まぁ、リリアンは「お兄ちゃんなんか嫌い!」なんて時期が無かったから可愛かったんだろうけど、瑠璃は時々うざがられてるのも気にしてないからね。
「私一人っ子だからちょっと羨ましい」
「ほぅ……あれでよければ差し上げますが?」
「いや、メルクーリオはちょっと……過激派みたいだから遠慮しておく」
「うちの養女になればもれなく瑠璃と玻璃が付きますが?」
「なります!」
「即答ですか!」
スペードに小突かれる。
「いや、我輩の娘にならんか?」
「へっ?」
いきなりですか? ローザ伯。
まさかの伏兵に驚いています。
そして何よりカロンテが持っているものが気になる。
「書類に署名してくださるだけで結構です」
笑顔が怖い。
ご丁寧に万年筆まで添えてくれてるけど一体何の書類だろう?
「あっ、ずるいですよ! そんなものまで用意して」
「口約束では証明できまい」
「僕なんかもう三枚も書いてるんですから僕のほうが上手く書けますよ」
「だったら我輩に一人くらい譲ってくれても良いではないか。我輩はいまだ配偶者もいないから跡継ぎを確保したいのだ!」
大人気ない大人の言い争いにしか聞こえないけど、何の書類なんだろう?
「スペード、あれ、何?」
「養子を迎える時に書く書類です。子供の指紋または署名が必要なんですよ。セシリオのところは本当に幼い時だったので、指紋でしたね。まぁ、そのうちの一人は今も自分の名前すら書けない娘ですが」
呆れたようにスペードが言う。
「養子って……え? 私が?」
「どうするんですか? セシリオの養女になればクレッシェンテでの安全は確約されますよ。ああ、ローザ伯の養女になればこのローザの全てを手に出来ると言っても過言ではありませんね。まぁ、どちらにも苦労は付き物ですが……。で、僕の妻になる気はありませんか?」
さらりととんでもないことを言われた。
「この流れでどうしてそうなるのかな?」
「言ってみただけですよ。お馬鹿さん」
スペードは笑う。
大人たちの醜い言い争いを背景に、少しスペードが寂しそうに見えたのは気のせいではないはずだ。