23話:均衡を消す者
レグスは、高台から街を見下ろしていた。
夜の帳に包まれた王都ガルディア。無数の灯りが、人々の営みを映し出している。
美しい光景だ、と、彼は思わなかった。
「……十分だな」
彼の声には、感情がなかった。
「均衡という概念が、この世界を腐らせている」
背後に控える信徒たちへ、レグスは静かに語る。
「魔獣と人間」
「強者と弱者」
「支配と被支配」
彼は、掌をゆっくりと握りしめた。
「すべてが、中途半端に保たれている。だから歪みが生まれる」
「ならば、消せばいい!」
均衡そのものを。
信徒たちは、無言で頷いた。
彼らの目には、狂信が宿っている。
「レグス様の御心のままに」
「世界は、浄化されるべきです」
レグスは、それを聞いて微かに笑った。
「浄化、ではない」
「破壊だ」
◇
地面に刻まれた魔法陣が、淡く、いや、不気味に脈動している。
街の外。森の奥。地下水路。至る所に、同時多発的に仕掛けられた術式。
それは――魔獣狂化。
だが、これまでとは違う。
「……質を変えた」
レグスは、静かに呟いた。
「今回は、暴走ではない」
「命令に従う狂化だ」
つまり、制御された、兵器。
信徒の一人が、震える声で問う。
「レグス様……これほどの規模、街が……」
「街が、どうした?」
レグスの声は、氷よりも冷たい。
「均衡を消すために、犠牲は必要だ」
「それに――」
彼は、遠くに視線を向けた。
「あの魔獣使いが来るだろう」
「彼こそが、均衡を最も歪めている存在だ」
◇
最初に悲鳴が上がったのは、外壁近くの倉庫街だった。
「魔獣だ!」
「数が……多すぎる!」
狂化した魔獣たちは、しかし、無差別ではなかった。
人を避け、建物を壊し始める。
通路を塞ぎ、逃げ道を断ち、街を分断する。
「これは……計画的だ!」
衛兵が叫ぶ。
「誰かが操ってる!」
だが、もう遅い。
魔獣たちは、次々と街の要所を破壊していく。
狙いは、『混乱』。
レグスは、すでに勝利を計算していた。
◇
「ギルドに緊急招集を!」
「Bランク以上、全員出動!」
ギルド本部は、一瞬で戦場になった。
受付嬢が、震える手で魔法鐘を鳴らす。
甲高い音が、街中に響き渡る。
「これは……街規模の狂化だ!」
「数が、尋常じゃない!」
冒険者たちが、武器を手に走り出す。
その中心に、マコトの姿があった。
「……来た」
ベルゼビュートが、低く呟く。
「始まったな」
「うん」
マコトは、頷いた。
「……これ、レグスの仕業だよね」
「間違いない」
リーネが、杖を握りしめる。
「規模が大きすぎる……今までと次元が違うわ」
「にゃー! でも負けないにゃ!」
ミルファが、元気よく叫ぶ。
「ぶもー!」
プーコが、鼻を鳴らす。
「もふぅ……」
モフが、マコトの肩で小さく震えていた。
マコトは、モフを優しく撫でた。
「大丈夫」
「みんなで、守る」
レグスは、遠くからその様子を"見る"。
魔法ではない。観測だ。
彼の目には、街全体の魔力の流れが映っている。
「……なるほど」
彼の視線が、マコトを捉える。
「やはり、均衡の外側の存在」
「お前がいる限り、この世界は揺らぎ続ける」
だから。
「――壊す」
レグスは、新たな術式を展開した。
今度は、魔獣だけではない。
「ギルドを、戦場にする」
空が、歪んだ。
「な……!?」
「魔力反応、上空!?」
街の中央広場に、巨大な影が落ちる。
狂化魔獣の群れ――第二波。
「数が……増えてる!?」
冒険者たちが、絶望の声を上げる。
だが、
「全員、聞いて!」
マコトが、叫んだ。
「魔獣たちは、操られてる!」
「殺さないで!」
「え!?」
「無理だろ、そんなの!」
冒険者たちが、戸惑う。
だが、マコトは譲らなかった。
「殺したら、レグスの思う壺だ!」
「魔獣たちは、被害者なんだ!」
ベルゼビュートが、マコトの言葉を補足する。
「やつは、お前たちを試している」
「守るために、どこまで壊すか、とな」
リーネが、頷いた。
「なら……答えは一つね」
「壊さずに、守る」
マコトは、前に出た。
「プーコ! アイシア! ベルゼビュート!」
「ぶもー!」
「承知した」
「任せろ」
魔獣たちが、一斉に動く。
マコトの【獣魅了】が、発動した。
だが――効かない。
「くっ……!」
狂化が、魅了を上回っている。
「やはり、直接ではダメか……」
ベルゼビュートが、冷静に分析する。
「なら、術式そのものを壊す」
「どうやって!?」
「魔力の流れを、逆流させる」
アイシアが、詠唱を開始した。
「氷結の道、逆らいし風――」
冷気が、街全体を包む。
魔獣たちの動きが、鈍る。
「今だ!」
マコトが、風魔法を放つ。
詠唱なし。
威力を抑え、範囲を広げる。
魔獣たちを吹き飛ばさず、ただ動きを止める。
「すごい……」
冒険者たちが、息を呑んだ。
「あれが、B級の力……」
だが、レグスは笑っていた。
「……まだ甘いな」
街の四方から、新たな魔力反応。
第三波。
そして――
「建物が……崩れる!?」
魔獣たちが、建物を次々と破壊していく。
人々が、逃げ惑う。
「避難を!」
「こっちだ!」
エルナが、回復魔法を展開しながら叫ぶ。
「負傷者を集めて!」
「全員、生かす!」
ミルファが、素早く動く。
「にゃー! こっちに逃げるにゃ!」
セレナが、冷静に指示を出す。
「冒険者は、魔獣の進行を止めて」
「民間人の避難を優先よ」
ギルドと冒険者たちの総力戦が、始まった。
◇
マコトは、歯を食いしばった。
「これ……一日で終わる量じゃない……」
ベルゼビュートが、頷いた。
「ああ」
「長期戦だ」
リーネが、マコトの手を握った。
「でも、諦めないわ」
「……うん」
マコトは、前を向いた。
「みんな、覚悟して」
「これから、本当の戦いが始まる」
レグスは、その全てを見下ろしながら、呟く。
「さあ、マコト」
「お前が選べ」
「守るために、どこまで壊す?」
彼の笑みは、冷たく、確信に満ちていた。
「均衡を消すか」
「――世界を壊すか」
大戦闘は、もう止まらない。
街は、悲鳴を上げ続ける。
魔獣たちは、次々と現れる。
そして――
マコトたちの、最も過酷な夜が、始まった。




