17話:エルナの過去
夜の街。
灯りはあるのに、どこか落ち着かない。
大規模魔獣狂化事件討伐。
それは、森ではなく、街の外縁から始まった。
「数が……多い」
リーネが、屋根の上から状況を見る。
「統率はないけど、方向性がある」
ベルゼビュートが、低く唸る。
「……街を、試している」
その時。
「マコトさん」
後ろから、小さな声。
エルナだった。
いつもより、さらに距離を取って立っている。
「……今、少し、話せますか」
今は、緊急事態。
それでも、彼女の声は切実だった。
「……うん」
マコトは、頷いた。
路地裏。
騒音から、わずかに離れた場所。
エルナは、深く息を吸う。
「……私は」
「昔、魅了能力者に支配されました」
マコトは、何も言わない。
ただ、立っている。
「言葉一つで、判断を奪われ」
「笑えば、疑問すら消えた」
エルナの指が、震える。
「仲間も、患者も」
「……自分の意志で守っていると、思わされていた」
マコトの胸が、きしむ。
「逃げられたのは、偶然です」
「だから……」
彼女は、マコトを見た。
怯えと、恐怖と、怒り。
「あなたの力は、優しすぎて、怖い」
マコトは、ゆっくりと頷いた。
「……うん」
「怖いと思って、いい」
エルナが、目を見開く。
「え……?」
「俺は、自分でも、怖いから」
マコトは、距離を詰めない。
一歩も。
「だから、使わない」
「今は」
沈黙。
遠くで、魔獣の咆哮。
「……あなたは」
エルナが、小さく呟く。
「どうして、何もしないんですか」
「街が……」
「俺が出ると、壊れる」
「でも、今は――」
マコトは、路地の向こうを見る。
「守れる人が、いる」
その瞬間。
爆音。
魔獣の群れが、街に侵入した。
「来た!」
リーネの声。
マコトは、前に出る。
だが――力を解放しない。
「……エルナ」
「ここで、一緒にやってほしい」
「回復で」
エルナは、一瞬、迷う。
そして。
「……条件があります」
「俺から、距離を取る?」
「いいえ」
彼女は、顔を上げた。
「心を、読まないで」
マコトは、即答した。
「しない」
戦闘が始まる。
魔獣は狂化。
強い。
だが。
マコトは、仲間を指示するだけ。
「右、二体!」
「ミルファ、下!」
「リーネ、後ろ!」
力は使わず、判断だけ。
エルナの回復が、的確に回る。
「もふぅ……」
モフが、マコトの肩で震えている。
(もふもふ……怖い……)
「大丈夫だ、モフ。みんながいる」
「ぶもー!」
プーコが、魔獣に突進する。
「ぶも!」
(任せろ)
「頼むぞ、プーコ!」
ミルファが、素早く動く。
「にゃー! マコトの指示、完璧にゃ!」
リーネの氷魔法が、魔獣を封じる。
「【氷結封印】!」
エルナは、マコトを見ていた。
支配しない。
命令しない。
奪わない。
(……この人、本当に……)
戦闘終了。
街は、最低限の被害で済んだ。
「……ありがとう」
エルナが、初めて言った。
マコトは、少し笑った。
「……まだ、怖い?」
「……はい」
「それでいい」
その言葉に、エルナの目が少しだけ潤んだ。
「……あなたは、優しすぎます」
「優しいって……」
「でも、それが……」
エルナは、小さく笑った。
「少しだけ、信じられそうです」
マコトは、安心したように頷いた。
「……よかった」
ベルゼビュートが、満足そうに笑った。
「ふふ……いい関係になったな」
リーネも、微笑んだ。
「ええ。マコトさんらしいです」
ミルファが、マコトに抱きついた。
「にゃー! マコト、かっこよかったにゃ!」
「……ありがとう」
その夜。
狂化は、収まらなかった。
むしろ。
質が変わっていた。
「……試されている」
ベルゼビュートが、低く呟く。
「マコト」
「お前の使わない選択をな」
マコトは、拳を握る。
(守るために、使わない)
(でも……使わなきゃ、守れない時も――)
街の闇で。
誰かが、嗤っていた。
「……次は、本命だ」
黒衣の人物が、立ち上がった。
「魔獣使いを、追い詰める」
「あの男が、力を使わざるを得ない状況を作る」
フードの男が、邪悪な笑みを浮かべた。
「そして、街ごと壊させる」
「完璧だ」
レグスも、その場にいた。
「……あいつを、落とす」
「ああ。次の満月の夜に」
マコトは、まだ気づいていなかった。
敵の本気が、すぐそこまで来ていることを。
そして――
自分が、選択を迫られることを。
力を使うか、使わないか。
その選択が、全てを変えることを。
翌朝。
エルナが、マコトに声をかけてきた。
「……マコトさん」
「ん?」
「昨日は、ありがとうございました」
「いや、俺は何も……」
「いえ」
エルナは、小さく笑った。
「あなたは、私の恐怖を、否定しなかった」
「それが……嬉しかったです」
マコトは、少しだけ照れた。
「……そっか」
「これからも、よろしくお願いします」
「……うん」
エルナの心が、少しだけ開いた。
それは、マコトの優しさがもたらした、小さな奇跡だった。
でも――
大きな試練が、すぐそこまで来ていた。




