8話:嫉妬が多すぎて戦えない
――その日の討伐依頼は、本来ならいつも通りのはずだった。
森の外縁に出没する中型魔獣の群れ。危険度はB寄りC。
今のマコトたちのパーティなら、少し慎重に行けば問題ない。
……はず、だった。
「…………」
マコトは、歩きながら胃が痛くなるのを感じていた。
理由は明確だ。視線が、痛い。
「マコトー♪」
唐突に、横から衝撃。
「うわっ!?」
ミルファが、当然のようにマコトの腕に抱きついた。
「マコトの隣はミルファの場所にゃ!」
「ちょ、ちょっとミルファ! 歩きづらいから!」
「平気にゃ! ミルファ軽いにゃ!」
実際軽い。だが問題はそこではない。
――感じる。背後から、氷点下の沈黙。
「………………」
リーネが、何も言わずにこちらを見ている。
表情は穏やか。口元も柔らかい。
だが、目が笑っていない。
「……リーネ?」
「何でもないです」
即答。否定の余地ゼロ。
そのさらに後方。
「……」
ベルゼビュートが、腕を組み、黙って歩いていた。
だが――。空気が、重い。
まるで周囲の魔力が、彼女を中心に歪んでいるかのようだ。
(……今日、機嫌悪い?)
マコトが内心でそう思った瞬間。
「マコト」
「は、はい!?」
低く、艶のある声。
「貴様……最近、増えすぎではないか?」
「な、何が?」
「女だ」
ずばり。
ミルファが、むっとする。
「ミルファは女じゃないにゃ! 猫にゃ!」
「胸がある時点で女だ」
「にゃっ!?」
ミルファが慌てて胸を押さえる。
リーネは、静かに一歩前へ。
「ベルゼビュートさん」
「何だ、人間」
「増えたのではありません」
「ほう?」
「マコトさんが、断らないだけです」
「…………」
空気が、さらに重くなった。
マコトは、今すぐ地面に埋まりたかった。
「ち、違うからね!? 僕、何もしてないから!」
「マコトは優しいにゃ!」
「マコトさんは断れないだけです」
「マコトは――」
ベルゼビュートの目が、細くなる。
「……マコト」
「は、はい……」
「戦闘前に、他の女に触れるな」
「えっ?」
「気が散る」
「理屈!?」
「もふぅ……」
モフが、マコトの肩で震えている。
(もふもふ……怖い……)
「お前、いつも震えてるだろ……」
「ぶもぉ……」
プーコも、遠くから様子を見ている。
(近寄れない)
「お前まで……」
その時だった。
――異変。
森の奥。本来なら、魔獣の気配が濃くなるはずの地点。
静かすぎる。
「……おかしい」
リーネが、小さく呟いた。
「魔獣の反応が、消えています」
ミルファが、耳をぴくりと動かす。
「……逃げてるにゃ」
「え?」
「いっぱい、全力で逃げてるにゃ」
マコトは、嫌な予感がした。
その瞬間。
森の奥から、数体の魔獣が飛び出してきた。
――逃走。
こちらを見て、さらに速度を上げる。
「え、ちょっと待って!?」
マコトが声を上げるが、魔獣たちは振り返らない。
「……これは」
リーネが、ゆっくりとベルゼビュートを見る。
「あなたの威圧ですね」
「知らん」
「絶対知ってますよね?」
「……少し、感情が漏れただけだ」
ベルゼビュートが、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「貴様が、他の女に囲まれているのが悪い」
「理不尽!?」
その時。
「……っ」
マコトの背後から、微かな気配。
エルナだった。いつもより、一歩距離が近い。
「……戦えない理由、初めて見ました」
「え?」
「魔王の嫉妬で、魔獣が逃げるなんて」
淡々とした声。だが、どこか呆れている。
ベルゼビュートが、ちらりとエルナを見る。
「貴様もだ」
「……え?」
「マコトを見る目が、柔らかくなっている」
「そ、そんなことは……」
エルナが、思わず視線を逸らす。
ミルファが、にやりと笑った。
「また増えたにゃ」
「増えてません!」
マコトの叫びが、森に響く。
結局。
その日の討伐依頼は、魔獣が全て逃走したため、
「異常事態につき、依頼完了扱い」
という、前代未聞の結果で終わった。
帰り道。
マコトは、深くため息をついた。
「……戦ってないのに、疲れた」
「それはマコトのせいにゃ」
「えっ」
「マコトが、無自覚だからにゃ」
リーネも、小さく頷く。
「マコトさんは、人も魔獣も、無意識に引き寄せます」
「それが、一番厄介です」
ベルゼビュートは、腕を組んだまま言った。
「……次からは、覚悟しろ」
「何の!?」
「嫉妬は、さらに増える」
マコトは、空を仰いだ。
(……俺、戦闘より先に、人間関係で詰む気がする)
その時、森の奥から突然魔獣が現れた。
「……っ!」
マコトは、反射的に前に出た。
だが――
魔獣の爪が、マコトの腕を掠めた。
「マコトさん!」
リーネの声。
エルナが、素早く回復魔法を放つ。
「【癒しの光】!」
傷が、瞬時に塞がる。
「……ありがとう」
「……怪我、してたのに」
エルナが、少しだけ怒ったように言った。
「なぜ、すぐに言わないんですか」
「え?」
「庇って……あなた、怪我人ですよ」
その言葉に、マコトは少しだけ驚いた。
「……いや、でもこれくらい……」
「こ れ く ら い?」
リーネの声が、冷たくなった。
「マコトさん。あなた、自分の命を軽く見すぎです」
「……ごめん」
「ぶもー」
プーコが、マコトの足を鼻で突く。
(怒られろ)
「お前まで……」
ミルファが、マコトに抱きついた。
「マコト、怪我したらダメにゃ!」
「……うん」
ベルゼビュートが、マコトの前に立った。
「マコト」
「……はい」
「次、怪我を隠したら……」
彼女は、真剣な目で言った。
「私が、お前を縛る」
「縛る!?」
「ああ。動けなくする」
「それ、過保護では……」
「過保護ではない」
ベルゼビュートは、マコトの頬に手を添えた。
「お前は、大切だから」
その言葉に、マコトの顔が真っ赤になった。
「……っ」
「にゃー! ずるいにゃ!」
ミルファが、慌ててマコトに抱きつく。
リーネも、マコトの手を握った。
「マコトさん。私たちが、守ります」
「……ありがとう」
エルナも、小さく呟いた。
「……次は、ちゃんと言ってください」
「……わかった」
マコトは、仲間たちを見回した。
怒られてるけど――
温かい。
その横で。
ミルファが、満足そうに喉を鳴らす。
「今日も平和にゃ」
魔獣は逃げ、戦闘は起きず。
だが。
マコトの周囲の火種だけは、確実に増えていた。
新ヒロイン増加により、魔王の機嫌は最悪である。
次の戦闘が、無事に始まるかどうかは――
誰にも、分からなかった。
その夜、宿で。
マコトは、ベッドに寝転びながら考えた。
(……俺、本当に大丈夫かな)
「もふぅ……」
モフが、マコトの枕の上で丸まっている。
(大丈夫?)
「……ありがとう」
「ぶもー」
プーコも、部屋の隅で眠っている。
マコトは、小さく笑った。
(……まあ、なんとかなるか)
そう思いながら、マコトは眠りについた。




