38話:魔王の孤独
夜だった。
星が、やけに近い。
マコトは焚き火の前に座り、ベルゼビュートは少し離れた岩の上に腰を下ろしていた。
リーネは先に休み、プーコはマコトの足を枕に寝息を立てている。
「……眠らないの?」
ベルゼビュートが、夜空を見たまま言った。
「眠れなくて」
「ふふ。人間らしいわね」
マコトは少し迷ってから、口を開いた。
「ベルゼビュート」
「何?」
「……寂しい?」
風が、止まった。
彼女はすぐに答えなかった。怒るでも、笑うでもなく――ただ、考えていた。
「寂しい、という言葉は」
やがて、静かに言う。
「私には、少し軽い」
「……そっか」
「私は、一人でいることが前提だった」
マコトは、何も言わずに聞いた。
「生まれた瞬間から、恐れられる存在だった」
「近づく者は滅び、跪く者は心を捨てた」
「誰も、私を選ばなかった」
ベルゼビュートは、自嘲気味に笑う。
「世界は私を、装置として扱ったの」
「均衡を壊すための刃。それ以上でも、それ以下でもない」
焚き火が、ぱちりと弾ける。
「だから、孤独だとは思わなかった」
「それが、普通だったから」
マコトは、ゆっくり立ち上がり、岩の下まで歩いた。
「……それ、俺に似てる」
「あなたが?」
「うん」
照れくさそうに頭をかく。
「村でさ。怖がられて、避けられて」
「誰も悪くないって、分かってた」
「だから、一人が普通だと思うことにした」
ベルゼビュートが、初めてマコトを見る。
「でも」
マコトは、プーコを見下ろす。
「触れてくるやつがいて」
「拒絶しない存在がいて」
「……普通が、壊れた」
ベルゼビュートの赤い瞳が、わずかに揺れた。
「怖かった?」
「めちゃくちゃ」
即答だった。
「だって、失ったら痛いから」
「……」
「でもさ」
マコトは、彼女を見上げる。
「今は思う」
「痛いってことは、ちゃんと持ってるってことだ」
沈黙。
夜風が、二人の間を抜ける。
「……あなたは」
ベルゼビュートの声が、少し低くなる。
「私を、選ぶの?」
「うん」
マコトは、迷わなかった。
「装置でも、魔王でもなく」
「ベルゼビュートとして」
彼女は、目を伏せた。
そして――ほんの一瞬だけ、マコトの袖を掴む。
「……ずるいわ」
「え?」
「そんなこと言われたら」
小さく、吐息。
「孤独だった、なんて」
「今さら、言えなくなるじゃない」
マコトは、微笑んだ。
「じゃあ」
「これからは?」
ベルゼビュートは、星空を見上げる。
「……不器用に、生きる」
「それ、俺も一緒」
その時、プーコが寝言を言った。
(飯……)
「寝てても食うこと考えてんのかよ……」
ベルゼビュートが、くすっと笑った。
「……可愛いわね」
「可愛いけど、重い」
「ぶもー……」
プーコが、寝返りを打つ。さらに重くなる。
「うわっ……」
ベルゼビュートは、その様子を見て、少しだけ柔らかい表情になった。
「あなたたちを見てると、不思議な気持ちになる」
「不思議?」
「ええ。世界を救うとか、壮大な使命とか、そういうものじゃなくて……」
彼女は、焚き火を見つめた。
「ただ、そこにいる。それだけで、温かい」
「……それが、仲間ってやつだよ」
「仲間……」
ベルゼビュートは、その言葉を噛み締めるように呟いた。
「私にも、仲間がいるの?」
「いるよ。もう」
マコトは、笑った。
「お前、俺たちの仲間だから」
ベルゼビュートは、少しだけ驚いたようにマコトを見た。
「……本当に?」
「本当に」
「でも、私は魔王よ? いつか、世界を壊すかもしれない」
「それでも、今は仲間だ」
マコトは、真剣に言った。
「お前が壊そうとしたら、俺が止める。でも、お前が苦しんでたら、俺が助ける」
「……矛盾してるわ」
「矛盾してていいんだよ。それが、人間だから」
ベルゼビュートは、長い沈黙のあと、小さく笑った。
「……あなた、本当に変わってる」
「よく言われる」
「でも……」
彼女は、マコトの隣に座った。
「嫌いじゃない」
焚き火が、静かに燃える。
二人は、しばらく黙っていた。
「ねえ、ベルゼビュート」
「何?」
「さっきのお前の過去話し、途中だったから、もっと聞かせてくれよ」
ベルゼビュートは、少し考えてから言った。
「……いいわ。でも、退屈な話よ?」
「退屈でもいい。お前のことを知りたい」
彼女は、小さく息を吐いた。
「……私が最初に目覚めたのは、数千年前」
「世界が、まだ若かった頃」
「魔獣たちが暴走し、人間が絶滅しかけた時代」
「私は、その混沌を鎮めるために生まれた」
ベルゼビュートは、夜空を見上げた。
「私が目覚めると、魔獣たちは静まった」
「人間たちは、私を神と崇めた」
「でも……」
「誰も、私に近づかなかった」
その言葉が、胸に刺さった。
「恐怖と崇拝は、どちらも距離を作る」
「私は、英雄でも神でもなく……ただ、独りだった」
ベルゼビュートは、小さく笑った。
「それから何百年も、私は眠りについた」
「目覚めるのは、世界が危機の時だけ」
「そして、また眠る」
「それが、私の役割」
マコトは、何も言えなかった。
「でも……」
ベルゼビュートは、マコトを見た。
「今回は、少し違う」
「違う?」
「あなたがいる」
その言葉に、胸が温かくなった。
「あなたは、私を恐れない」
「私を、ただの存在として見てくれる」
「それが……嬉しい」
ベルゼビュートの目が、少しだけ潤んでいた。
「……ありがとう」
マコトは、優しく言った。
「いや、こっちこそ」
「こっちこそ?」
「お前がいてくれて、ありがとう」
ベルゼビュートは、驚いたようにマコトを見た。
「……なんで、あなたはそんなことを言うの?」
「だって、お前がいなかったら、俺たちは今頃……」
「今頃?」
「多分、邪教団に負けてた」
マコトは、笑った。
「お前は、俺たちの仲間だ。だから、感謝してる」
ベルゼビュートは、しばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「……本当に、ずるいわね」
「ずるい?」
「そんなこと言われたら……もう、壊せない」
その言葉に、マコトは安心した。
「じゃあ、これからも一緒にいてくれよ」
「……ええ」
ベルゼビュートは、小さく頷いた。
「しばらくは、あなたたちと一緒にいる」
焚き火が、静かに燃える。
魔王は、まだ魔王だった。
でもその夜、孤独は、少しだけ形を変えた。
装置ではなく、一人の存在として。
恐れられる対象ではなく、仲間として。
ベルゼビュートは、初めて自分の居場所を見つけた。
「ぶもぉ……」
プーコが、また寝言を言う。
「もふぅ……」
モフも、リーネのテントから顔を出して、眠そうに鳴いた。
「……賑やかね」
「まあね」
「でも……」
ベルゼビュートは、微笑んだ。
「悪くないわ」
星が、静かに輝いている。
世界は、まだ危ない。
でも、今夜は――
誰もが、温かかった。




