36話:魅了が効かない絶望
結論から言う。
――魅了、全然効いてなかった。
「……え?」
マコトは、目の前の現実を理解するのに少し時間がかかった。
ベルゼビュートは、腕を組んだままこちらを見下ろしている。赤眼には、動揺も、混乱も、好意の揺らぎすらない。
「なに、その顔」
「いや……えっと……」
マコトは、そっとスキルを意識した。
魅了。発動。
……。
…………
無。
「……あれ?」
ベルゼビュートは、眉をひそめる。
「今、何かした?」
「……はい」
「そう」
それだけ。
世界最強格の魔王は、鼻で笑うことすらしなかった。
「効かないものは効かないわ」
あっさり言われた。
「魔王竜よ? 下位概念に左右されるわけないでしょう」
「……ですよねー……」
マコトは、がくりと肩を落とす。
横で見ていたリーネが、なぜか少し安心した顔をしている。
「……ふう」
「なぜそこで安堵する!?」
「い、いえ別に!」
ベルゼビュートが、ちらりとリーネを見る。
「安心していいわ。この男、私を魅了できるほどの器じゃない」
「追い打ちやめてください」
マコトのメンタルが削られる。
「もふぅ……」
モフが、俺の肩で小さく鳴いた。
(もふ……頑張ったのに……)
(※慰めてる)
「ありがとう、モフ……」
プーコも、俺の足元で鼻を鳴らす。
(まことの魅了なんて、最初から期待してない)
「それフォローになってない!」
(でも、まことはまことだろ)
「……うん」
だが。
ベルゼビュートは、少し考えるような仕草をした。
「……それでも」
赤眼が、じっとマコトを見る。
「あなた、私と話すときだけ、妙に落ち着いてる」
「そう?」
「力を使わないからよ」
アイシアが、静かに頷いた。
「心読も、魅了も、ベルゼビュートには通じない」
「じゃあ、俺……何もできてない?」
「いいえ」
ベルゼビュートが、否定した。
「何もしないという選択をしている」
マコトは、きょとんとする。
「私に近づく人間は、皆、力を振るう」
「恐怖か、崇拝か、支配か……」
「でもあなたは、ただ、隣に立ってる」
沈黙。
それは、魔王にとって異質な距離だった。
「……ムカつくわね」
「え」
「魅了も効かないのに、嫌じゃないなんて」
ベルゼビュートは、ふっと目を伏せた。
「それは……」
マコトは、少し考えてから言った。
「拒絶されないの、俺のほうが慣れてない」
その言葉に、ベルゼビュートの口元が、わずかに緩む。
「……本当に、不思議な男」
リーネが、くすっと笑った。
「マコトさんらしいですね」
「どこが」
「絶望してるのに、ちゃんと前に進んでるところ」
マコトは、頭を掻いた。
「……魅了が効かないなら」
「なら?」
「別のやり方で、向き合うしかないよな」
ベルゼビュートは、赤眼を細める。
「……それで?」
「それで、いい」
その言葉は、世界最強の魔王に向けたものにしては、あまりに素朴だった。
けれど。
その距離感こそが――彼女を縛らない、初めての関係だった。
ベルゼビュートは、少し驚いたように俺を見た。
「……あなた、本当に変わってる」
「よく言われる」
「私は、世界を滅ぼすかもしれない存在よ?」
「知ってる」
「それでも、こんなに普通に話せるの?」
「……だって」
俺は、正直に言った。
「お前、寂しそうだから」
ベルゼビュートの表情が、一瞬止まった。
「……何を言ってるの」
「心読は効かないけど、表情は読める」
「表情?」
「お前、笑ってる時も、どこか虚ろだ」
ベルゼビュートは、何も言わなかった。
「それに……」
俺は、少しだけ笑った。
「俺も、ずっと独りだったから。独りの顔、わかるんだ」
赤い瞳が、大きく揺れた。
「……あなた」
「だから、魅了が効かなくても、別にいい」
俺は、手を差し出した。
「普通に、話そうぜ」
ベルゼビュートは、その手をじっと見つめた。
長い沈黙のあと、彼女は小さく笑った。
「……本当に、馬鹿ね」
「よく言われる」
「でも……」
ベルゼビュートは、俺の手を取った。
「悪くないわ」
その瞬間、微心読が少しだけ反応した。
驚き。そして、少しの安心。
「……あれ?」
「何?」
「いや、ちょっとだけ、お前の気持ちが読めた気がする」
「そう」
ベルゼビュートは、手を離した。
「魅了は効かないけど、心読は少しだけ通じるのかもね」
「なんで?」
「さあ? あなたが、純粋だからかしら」
「純粋……」
「支配しようとしないで、ただ理解しようとしてる」
ベルゼビュートは、空を見上げた。
「それは……久しぶりに感じる感覚」
その言葉に、胸が痛んだ。
彼女は、ずっと独りだったんだ。
誰にも理解されず、恐れられ、拒絶されて。
「ねえ、ベルゼビュート」
「何?」
「お前も、仲間になれよ」
ベルゼビュートは、驚いたように俺を見た。
「……仲間?」
「ああ。プーコも、モフも、アイシアも、リーネもいる」
俺は、みんなを見た。
「みんな、最初は独りだった。でも、今は一緒だ」
「ぶもー」
プーコが、賛成するように鳴く。
「もふ!」
モフも、尻尾を振る。
リーネが、少し複雑そうに笑った。
「……マコトさんは、本当に優しいですね」
「優しい?」
「はい。世界を滅ぼすかもしれない魔王にも、手を差し伸べるんですから」
アイシアが、呆れたように言った。
「やれやれ。お前は、本当に無謀だな」
「でも……」
ベルゼビュートが、小さく呟いた。
「……嫌いじゃないわ、その無謀さ」
彼女は、少しだけ笑った。
「わかった。しばらく、あなたたちと一緒にいる」
「本当に!?」
「ただし、条件がある」
「条件?」
「世界を壊すべきかどうか、判断させてもらう」
ベルゼビュートは、真剣な目で俺を見た。
「もし、あなたたちの行動が世界を守る価値があると判断したら、私は味方になる」
「じゃあ、もし価値がないと判断したら?」
「……その時は、容赦しない」
その言葉に、リーネが不安そうに俺を見た。
「マコトさん……」
「大丈夫」
俺は、ベルゼビュートの目を見て言った。
「俺たちは、世界を守る。絶対に」
ベルゼビュートは、満足そうに頷いた。
「いい目ね。じゃあ、見せてもらうわ」
絶望は、確かにあった。
魅了が効かない。心読もほとんど通じない。
でも。
それは同時に、新しい繋がりの始まりでもあった。
力じゃなく、心で繋がる。
それが、俺にできること。
「よし、じゃあこれから……」
「ぶもぉ!」
プーコが、突然大きく鳴いた。
「どうした?」
(腹減った)
「……は?」
(私も!)
モフも、賛成する。
ベルゼビュートが、呆れたように笑った。
「……あなたたちの仲間、面白いわね」
「面白いって……」
「でも、悪くない」
彼女は、少しだけ柔らかい表情で言った。
「久しぶりに、笑えそう」
その言葉が、胸に沁みた。
世界を救う旅は、まだ始まったばかり。
でも、仲間が増えた。
それだけで、希望は広がっていく。




